立浪とのPL二遊間は幻…指名寸前で西武に奪われた松井稼頭央 93年ドラフトで中日はなぜ大魚を逃したか

スカウト歴37年、元中日の中田宗男さん(66)が今回振り返るのは、西武・松井稼頭央監督(47)を巡る1993年ドラフトだ。後に世界へ羽ばたく強肩、強打の名遊撃手は、なぜ指名寸前で奪われたのか―。

あの瞬間、私はドラフト会場の東京・新高輪プリンスホテル内の控室にいました。

 「西武ライオンズ3位、松井和夫。投手、PL学園」

アナウンスを聞いてなお、私はピンときませんでした。「え、松井って言った?」。数秒後に事態を認識し、頭の中が真っ白になったのです。

選手の能力評価を誤った時、スカウトは反省しますが、後悔はしません。でも判断を誤って逃がし、後に大魚となったケースは本当に後悔します。私のスカウト人生にそんな選手が3人いますが、松井はそのうちの1人でした。

PL学園ではエースでしたが、故障がちで投手として指名するレベルではありませんでした。遊撃の練習を始めたのは夏の大会が終わってから。視察すると、初体験とは思えないほどセンスがある。肩、脚力、パンチ力もある。そして私が「野手の適性がある」と確信したのは、偶然、着替えを見た時でした。

筋骨隆々、ギリシャ彫刻かのような鍛えられた上半身に、私はほれ込みました。学校関係者に打診しましたが、感触は良好。他球団の影はなし。それなのに私があまりに松井を推すため、ドラフト前のスカウト会議では高木守道監督がこう言ったほどです。

「そんなに評価しているんなら、上位で指名すれば?」。しかし、下位で獲得できると信じていた私は、5位で十分、念のために4位でと進言しました。この判断が全てでした。

この年は逆指名制の初年度で1、2位は大学・社会人に人気が集中。3位からウエーバー方式でした。10番目の中日は投手を指名。折り返しの4位で松井を指名するまで、あと4人でした。しかし、11番目の西武に松井を指名されたのです。

当時の西武のスカウトは、根本陸夫さん(この年からダイエー監督)の方針で、一切、他球団のスカウトと交流していませんでした。通常は最も見やすいネット裏から呉越同舟で試合を視察しますが、西武だけは麦わら帽子をかぶり、野球好きのおっちゃんのように応援席に溶け込むのです。

私がパイプを築いていた野球部関係者ですら寝耳に水の西武・3位。結果論で言えば、4位は西武が先なので中日は3位で指名するしかなかった。「なぜあの会議で3位でいきましょうと言えなかったのか」という自責の念と「結局、3位の選手だと思っていなかったんじゃないのか?」という自問が交錯しました。

https://www.chunichi.co.jp/article/715102