自由化計画の当初、保護の必要があった幼稚産業も極めて速やかに一人前に成長し、欧米先進諸国の競争相手と互角に渡り合えるようになった[229]。自動車産業がその典型で[229]、当時、自動車が輸出産業になるとは誰も考えてなかった[29]。池田は「昭和60年前後には、日本の自動車が世界のトップクラスに入る」と言っており[230]、実際その通りになった。