「聖徳太子の事績はデタラメ。実際は法隆寺建てただけの単なる仏教好き王族“厩戸王”」

→①“厩戸王”は1960年代に学者が考えた用語、近世以前の史書には一切登場しない。

→②単なる仏教好きの王族如きが交通の要衝たる斑鳩の地に最新鋭の宮を造営出来ない。

→③聖徳太子が有象無象の王族であったら、息子の山背大兄王はそもそも皇位継承問題に巻き込まれる事もなく、とすれば殺される事も無い筈で、斑鳩宮から山背大兄王殺害当時の焼け跡が発見されている事実と矛盾する。