よくMLBを引き合いに出して書くと「日本は日本」とか「MLBかぶれ」と言われる。明治時代ですか?と言いたくなる。


「日本には日本のやり方がある」というのは「もっと優れているかもしれない他の国の事例を目にするのが怖いから、目を閉じ、耳をふさいでいる」小心な愛国者のたわごとなのだろうと思っている。

日本の野球ファンのほとんどは「今」にしか興味がない。それも「贔屓のチームが勝つか、贔屓選手が活躍するか」だけに集中している。
「応援団」はまさにそうであって、ひたすら「チームが勝つこと」だけを念じ、そのために大声を出し、体をゆすっている。「贔屓を作って応援すること」は、どんな対象であれ「好きになる」近道ではあろう。

しかし「野球」と言う1世紀以上ファンを魅了してきたスポーツは「勝ち負け」だけの単純なものでは全くない。

野球は、強者、弱者だけでなく様々な個性を持つトップアスリートが試合を通じて自分の「個性」を存分に発揮することで、連綿と続いてきた。その堆積、蓄積が野球を「文化」「歴史」に押し上げてきたのだ。