日本軍、略奪をマニュアル化「補給しないから現地自活して。狙い目は銀行な」
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0001それでも動く名無し
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2023/08/11(金) 05:30:49.00ID:fyoDxtoxr
日中戦争の旧日本軍には「略奪マニュアル」があった “強盗”指南も
8/11(金) 0:59配信
毎日新聞

 1937年に始まった日中戦争で中国大陸に侵攻した旧日本軍は、現地住民の食料などを奪う行為を繰り返していた。大本営直属の経理部門「野戦経理長官部」は、39年3月に「支那事変ノ経験ニ基ク経理勤務ノ参考(第二集)」という冊子を発行した。そこには事実上の「略奪マニュアル」と言える内容があり、民衆が隠した物資をどのように発見するかの「コツ」が記されていた。

 冊子の一項目「住民ノ物資隠匿法ト之ガ利用法」には、次のような内容が書かれている。「前方にレンガの壁を設け、その後方の家屋や倉庫などの全体を覆い隠していることがある。この場合には壁を破壊する必要がある」。また「銀行の倉庫には抵当物として食料その他が発見されることがある」と「銀行強盗」を促すような内容もある。

 当時は戦地の兵士たちに日本国内から十分な物資が補給されず、食料は現地で手に入れる「現地自活」の方針が取られていた。資料からは、末端の兵士の判断だけではなく、軍として略奪行為を「指南」していた様子が浮かぶ。

 京都市出身の陸軍歩兵・小林太郎氏(故人)は、37年から約2年間にわたり上海戦、南京攻略戦、徐州作戦などに従軍。略奪や殺害を繰り返した日常を淡々と日記に残した。「行軍中いもを畠(畑)から掘つて来て、焼いも」(37年9月25日)、「行く行くの部落(集落)でニハトリ(ニワトリ)を徴発」(38年3月28日)といった行動を記している。

 さらに、敵のトーチカ(コンクリート製の防御陣地)を攻撃した際、そこで炊事をしていた民間人について「土民は銃殺。女は逃がす」(37年11月20日)などと記載。敗残兵を見つけたので殺した、という記述も多い。

※略※

https://news.yahoo.co.jp/articles/b843f42d006e599938fee4c4497825724f55c555
0002それでも動く名無し
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2023/08/11(金) 05:32:27.90ID:vV6unu8Od
ネトウヨまーた負けたのか
0003それでも動く名無し
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2023/08/11(金) 05:34:37.14ID:Op+U2eqM0
まあこれが戦争だよな
今回のロシウクでもロシアは残虐非道云々言うけど彼らだって生きるために戦ってるわけでそこ責めてもしゃーない
0004それでも動く名無し
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2023/08/11(金) 05:38:54.20ID:X3DQ9UgC0
>>2
しねゴキブリ
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