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日本人「空襲から避難するやつは非国民。消火活動するのが当たり前!」
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0001それでも動く名無し
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2023/08/14(月) 09:06:33.52ID:bESYrFiMr
太平洋戦争末期、日本の各都市は米軍による空襲に見舞われた。主な大都市が焼き尽くされると、1945年6月ごろからは全国の中小都市が標的になった。空襲では消火に当たることが国民の義務であり、避難するのは「非国民」――。国はそう国民に呼び掛けた。こうした統制が被害を拡大させ、青森市では行政による「脅し」が起きていた。

45年7月28日夜。当時9歳だった平井潤治さん(87)は、鳴り響く警戒警報で眠りを破られた。家族で空襲を避けるため、山間部の親族の家に身を寄せていたが、この日は2週間ぶりに青森市内の自宅へ戻ったばかりだった。

 程なくして米軍機B29のごう音が響いた。母にせかされ外へと飛び出し、町外れの高台へ向かった。市街地を見下ろすと、周囲を焼き払う材料が入った爆弾「焼夷弾(しょういだん)」が、空から無数に降り注ぐのが見えた。町は真っ赤に染まっていた。

 平井さんは不思議だった。「なぜ、みんなは家に戻ったのだろう」

 それまで空襲を受けていなかった青森市では、14、15日に本州と北海道をつなぐ青函連絡船が敵機に襲われていた。多くの市民は「次は街が狙われる」と考えていた。

 同様の体験をした人は他にもいる。金澤時信さん(90)で、避難先から戻った同じ日に空襲に遭った。中心部から逃げられず、火の海に包まれる中で一夜を過ごした。朝、周辺は焦土となっていた。「焼け焦げた遺体が忘れられない」。青森空襲では1000人以上の命が奪われた。

 なぜ人々は危険な市街地に戻ったのか。

 空襲10日前の7月18日付の地元紙が、当時の金井元彦・青森県知事の発言を報じていた。
0002それでも動く名無し
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2023/08/14(月) 09:06:51.71ID:EFTnjW3nd
安倍晋三
0003それでも動く名無し
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2023/08/14(月) 09:06:55.11ID:bESYrFiMr
 「一部に家をからっぽにして逃げたり、といふものがあるさうだが、もっての外(ほか)である。こんなものは防空法によって処罰出来る」。避難を始めた市民に帰還を呼びかける内容だった。

 防空法は国民に消火を義務付け、避難を制限していた。政府が国民向けに作った防空マニュアル「時局防空必携」では「命を投げ出して持ち場を守ります」という「誓い」も掲げられている。政府はこうしたマニュアルやポスターで焼夷弾を「恐ろしいものではない」と宣伝し、国民にバケツリレーの訓練を繰り返させていた。

 青森市の対応も、拍車をかけた。「28日までに(自宅に)復帰しなければ、町会の人名台帳より抹消する。物資の配給は受けられなくなる」と通告した。物資不足の戦時下で、配給の停止は餓死を意味する。多くの市民が自宅に戻ったのはこのためだった。その期限の日、空襲は来た。

 防空法制に詳しい早稲田大の水島朝穂教授は「逃げれば非国民にされるという社会的強制が、犠牲者の拡大につながった」と指摘する。

https://news.yahoo.co.jp/articles/8262131b580db6c6a3c01b69675eb4bf01707146
0004それでも動く名無し
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2023/08/14(月) 09:09:14.68ID:QQvLo1BAM
ナチュラルに国が敵
0005それでも動く名無し
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2023/08/14(月) 09:10:45.06ID:k2oOr3K+0
気狂いやんか
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