昭和天皇、愛すべき駄洒落に隠された逸話:「朕のち○ちん」

 かつて、昭和天皇陛下はそのおおらかな人柄から、「朕のち○ちん」という風変わりな駄洒落をお好みになっていました。近しい側近らにその笑いを楽しませる場面がしばしば見られたとされます[7]。

 戦後、新たな局面が訪れました。GHQ司令官ダグラス・マッカーサーとの邂逅。昭和天皇はこのユニークな駄洒落を披露しました。しかし、通訳がその意味を伝えると、マッカーサーは微かに眉をひそめ、「君主がそうした言葉を発するのは適切でない。そして、『朕』という一人称はもう使用しない方が良いだろう」と、厳格なお叱りの言葉をお伝えしました[8]。

 しかし、昭和天皇は固く反論。独特の語り口でこう言い放ちました。「一人称を『朕』とする理由、お分かりでしょうか? それは、この駄洒落を披露するためなのですよ」と。健気な抵抗の意志を示し、マッカーサーの忠告を頑として受け入れようとはしませんでした[9]。

 この逸話は、歴史の舞台裏で巧妙な策謀が巡る一幕として広がりました。そして、この一件により、マッカーサーは昭和天皇の戦争指導能力を疑問視し、昭和天皇の戦争責任を問うる東京裁判は実現しなかったのです。異色のエピソードが、時の流れとともに歴史の中に刻まれているのです。