>>364
もう言ったって聞いてないでそんなんw

で理解するというなら「寝る」という行為は極めて日常的な動作として我々は理解しているわけやん

その時点でまず「死ぬ」という事とは異なるし、究極的には意識的な断絶が起こっていたとしても、やはり「もう一度起きられる」ということは同じく学習しているとこなんやないか?その感覚的、常識的な認識はどうやったら覆せるというんや?

そして錯覚とは言うがならあんたは明日の自分の事を考えないのか?ただ今日の自分の為に生きているのか?

第一もしも仮に死と睡眠が同じ様な事柄なのだとしたら「寝る」が「死ぬ」になり変わるだけなのではないか?
「寝る」に対しての理解を「死ぬ」に対して適応できる理由があるのか???逆はなぜしないんだ?