真田昌幸ってそんなに戦国最強の有能武将か???
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>>144
それは昌幸だけじゃなくて国境を接する国衆にはそういう書状が全部送られている
昌幸が有名だから昌幸だけ裏切ろうとしていたとかいわれているけど 毛利は国人の後継ぎですらなかった立場から中国地方全部はやべーよ
しかも正室の子三人はおろか側室の子供達まで有能揃いという育成上手 >>149
勝手にその1点
有能すぎて実弟なんて危険な存在が
勝手に動くなんて許せる事では無い
間違いなく次の敵になる(と考える) 真田信綱・真田昌輝・真田昌幸合わせて400騎だぞ
真田一族って武田家中の最大級の派閥なのにかしょうひょうかされすぎや >>156
島津も義久の命令で義弘が秀吉と仲良くしてたってのか? >>154
本人にその気がなくても権力者側が勝手に疑心暗鬼になるのはよくあることや 大内義隆とかいう衆道のもつれで滅びるやつに頭下げて息子の尻まで貸し出してたのって恥ずかしいよな >>147
うむ
武田二十四将に数えられる土屋昌継も
織田の本陣まであと一歩まで攻め立てたけど
鉄砲の乱射を浴びて戦死してしまったし
土屋昌継も真田信綱も
後を継いだ弟の方が有名になってしまったんだよな 今残ってる松代藩の真田子孫は伊達の男系子孫なもよう 大内って室町時代からずーっと後継者争いでゴタついて粛清の嵐なんだからそのうち滅んでたやろ >>157
真田家って何か武田家中でも恐ろしい存在だから
表面上重要視しつつも
心の中ではいろいろ遠ざけられてたのかもしれな 身内とか国人衆が武田カツに妙に冷たいのがなんかね
どうなのよ 家康ってなんでつまらんのやろ
三國志で言う呉ぐらいつまらんで >>160
そもそもの話として武家勢力の棟梁としての頼朝の立場はそこまで盤石じゃないんだよ
後白河法皇の直属兵として義経が反頼朝の立場で挙兵する可能性は当時の感覚として普通にありえた >>150
毛利入れるなら守護代の家臣の織田家分家から天下人の信長や三河の胡散臭い豪族の松平から天下人の家康のが上やろ 真田と言ったら昌幸なのに
歴史捏造司馬遼太郎のせいで真田の代表が幸村になってるのは遺憾ザキ
あんなの初陣が40代の経験不足で
鉄壁の大坂城で幸村がいなくても相手は何もできない状況で1回守っただけ
掘を埋められた2戦目は戦死
全然凄くねーわw 幸綱←信玄が何度攻めても取れなかった砥石城を謀略で乗っ取りました
信綱←なんかすっごい勇猛だったけど早死にしました 毛利勝永とかいう創作だと真田に功績吸い上げられている人可哀想 >>156
戦争終わったのに身内に日本史最強クラスのキラーマシンがおったら怖いわなそら >>153
この書状読めばわかるけど武田滅亡前に昌幸から北条の取次である長尾憲景に2回書状が送られてて北条に臣属したい旨を申し入れてる
長尾憲景から北条氏邦へ報告がいって氏邦から昌幸へこの度の武田の没落はどうしようもないことだがこれを機に氏直へ忠義を尽くしてくれといった内容の書状が送られてる
まあ昌幸だけじゃなくどこの国衆もやってたことなのは史料にはないが想像はつくよ >>173
関東勢百万といえども男は一人もおらず😏
超かっこいいやん 真田幸村とか北条早雲とかおっちゃんしか使ってない呼称やろ >>181
でも「北条早雲」って呼称めっちゃカッコいいよね? 真田とか言う田舎豪族に信繁の名前を使わせた武田って神だわ >>174
幸綱は砥石城の地の利をよく知っとったんやろ
竹中半兵衛は岐阜城を謀略で乗っ取った話と同じようなもんやで 上杉「北条やなくて伊勢やろが」
北条「何が上杉や長尾やろが」 >>173
司馬遼のせいなわけねえだろw
もっとはるか前の江戸時代初期からずっと一貫して世間のイメージは真田=幸村だよ 大名家の真田家は名字だけ残ってるだけの他家にのっとりされてる家やけど幸村の段系子孫は伊達の家臣となり今も残ってる
どっちがよかったのかね >>189
場所なんか三河片田舎スタートでも天下人になれる >>183
ちなみに信幸は夭折した信玄の三男と同じ名前や >>187
猿飛佐助っや霧隠才蔵や根津甚八が配下で活躍しとるイメージのやつかw 昌幸って関ヶ原どっちが勝つ分からんかった訳やし無能だよな
有能なのは徳川に全振りして戦後莫大な恩賞貰ってるのばかり >>196
弾正>信玄>弾正って3連ケツしてたのか >>191
信長の金魚の糞やん
幼少期に知り合いになるっていうウンSSRやし >>181
んなことないやろ
むしろ有名な呼び方あるのに歴史的に正しい呼称にこだわるやつのほうが少数派やわ 秀吉の黒田官兵衛に対する扱いと一緒で
真田一族は信玄や勝頼に才能を評価されながらも
影ではいろいろ恐れられとったんやろ 寡兵で大軍破ったら名将よ
毛利元就北条氏康織田信長真田昌幸 >>190
大名なんてどこもそうなんちゃう
養子貰わずに続けられた家の方が少なそう >>197
大津城攻めにガッツリ加担しておいて土壇場で裏切ったらたっぷり恩賞もらえたコバねぇ >>190
武家は血統のつながりは重視してなかったらしいしあんま気にしてないんちゃうか >>202
武断派が三成に付くわけ無いわけで有能もクソも無いわ
どっちも選べる立場の人間ならともかく >>195
信玄には特にお気に入りの近習が三人いたそれは高坂昌信、三枝昌貞そして真田昌幸だ
信玄がジャニーさんだとすると高坂が郷ひろみ、三枝がマッチ、そして昌幸がタッキーみたいなもんや
つまりそういうこっちゃ 徳川は名字変えてかなり他家のっとりしてるが島津も伊達もかなりのっとりしとる
福岡黒田藩の子孫の中身は島津やし >>214
戦働きで出世した奴らはみんな武断派だぞ 立地ガチャと家柄ガチャSSRの六角とかその気になれば天下取れたんちゃうん?
てか愛知の奴らに天下取られて畿内の奴ら何しとんねん >>197
西軍についた最大の理由は大谷や宇多氏、三成との姻戚関係やからな
表裏比興なら徳川と二股外交しててもいいはずなのにやってない
家を残すのが最終目的なら達成はしてるが微妙よな 畿内の奴ら何か地縁血縁に縛られて思うように動けんかったんやないの? >>218
機内の奴ら同士でやりあってんやからしゃーない天下の定義によるけど定頼は一時的には取ったと言えなくも無い >>219
長男が本多忠勝の娘と結婚させてるんだから二股外交バリバリでは? 畿内に基盤があると勢力争いに巻き込まれるし僻地に引きこもってたら天下取れないし領地が地方にあって自分が畿内にいたら守護代に乗っ取られるしどうしようもなくね? >>219
なんだろう昌幸信繁親子は
歴史に残る承認欲求が半端なかったんやないかな
無名のまま生き残るよりも
華々しく歴史に残って散りたいみたいな欲求が
有能故に強すぎたとか 高野山に引きこもって最後は戦死したおっさんの子孫が仙台に残ってるのは皮肉よのう >>224
現代やと駅近過ぎると電車の音うるさくて却って立地良くないみたいな話やな 兄貴の仕送りで生活してるアラフォーの引きこもりニートが大阪でYouTubeとしてバズったようなモンやろ幸村 >>226
高野山に引きこもって最後は戦死したおっさんの名が消えるのを
片目のおっさんが惜しんだからな >>219
徳川と昌幸には遺恨があって秀吉に臣従する際に徳川の家臣にしないことを条件にするくらい
信之は徳川についたしどっちが勝ってもよかったのだろう ノフヤボ新生で真田の誰かと長野の爺さんのイベあったけどあいつら面識あったんやな 幸隆→昌幸→信之の世代交代リレー上手過ぎひんかこいつら >>225
君のレス全体的にレス先の話題からズレてない? >>231
西上野侵攻で信玄配下として攻めてるからな >>231
幸綱とその一族が武田信虎に真田荘を追われた時に長野の爺さんに匿ってもらってたやろ >>232
長篠で兄達が死んでなかった世界戦の真田家見たいわ >>232
なおそっちの系統は江戸中期で子孫全滅したもよう 北に上杉
東に北条
南に武田
西に織田
これでよく生き残れたな >>231
海野平の戦いで武田信虎に負けた滋野一族はそのまま武田に従属するか関東管領の上杉憲政の元に逃れる中で
真田幸綱だけは長野業正の元に逃れたから 信之有能扱いされてるけど長生きしすぎて老害エピソードもまあまああるからな >>3
おもらし幼女に種付けして孕ませたやべーやつ >>238
武田家そのものが包囲されてたし
信玄の時代は今川義元もいたんだよな >>240
政宗の直系子孫なんやし伊達に名字変えりゃいいのに スタートから最盛期で比べて秀吉の次に出世した日本人って誰になるんやろ 家臣「真田が大阪城に入りました」
家康「それは親(昌幸)か子(信繁)か?!」ガタガタ >>245
真田家に養子に入って真田の家継いでいるんだからそんなことする必要ある? >>224
畿内と関東が荒れた結果名古屋から天下人出てくるのは自然な流れなんやな
そういう意味では三英傑も運が良かっただけやわ >>249
北畠具豊「(生家の名前に戻しちゃ)いかんのか?」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています