0001それでも動く名無し
2023/08/22(火) 08:23:11.74ID:Ss6qTPFia「こうなったら“郡司得”でしかない。日本で一番、僕が関わりが深いですからね。僕のための決勝みたい」
ウキウキなのには、わけがある。仙台育英はもちろん、慶応にも愛着たっぷりの秘密は中学3年時にさかのぼる。千葉出身の郡司少年は進路を選ぶ際、最初に志したのが慶応だった。当時から丸刈りを強制しないことなどにひかれて受験したが、桜は咲かなかった。
名門・仙台育英に進学した後は春夏で2度の甲子園に出場し、3年時の15年夏はロッテ・平沢らとともに決勝に進出。中日・小笠原を擁する東海大相模に6―10で敗れ、東北勢初優勝はならなかったが、8回まで同点という熱戦を演じた。
慶大時代も慶応と交流試合をやったことがあり、同校の森林貴彦監督とも面識がある。仙台育英時代も毎年、慶応との練習試合を実施。ゆかりだらけの決勝に「塾高(慶応)を落ちて育英に行った人なんていない。激アツです」と繰り返す。
仙台育英には他のプロ野球選手のOBとともに、毎年恒例である記念Tシャツを寄付した。夏の甲子園2連覇が懸かる母校には「ここまでのチームになると思っていなかった」と躍進に驚きつつ、一方で「刺激は受けてます。自分も頑張らないといけない」と気を引き締めた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7855bac7db725ca51ae1c3b9b542def865f8bf49