まさか――。郡司にとってこれ以上ない夢のカードが、甲子園の決勝で実現する。母校・仙台育英と、ゆかりある慶応の対決が決まり「決勝の育英対慶応はちょっと期待してました」と心を躍らせた。さらに、「俺が得をする」を意味するネット用語「俺得」をもじり、なおも続けた。

 「こうなったら“郡司得”でしかない。日本で一番、僕が関わりが深いですからね。僕のための決勝みたい」

 ウキウキなのには、わけがある。仙台育英はもちろん、慶応にも愛着たっぷりの秘密は中学3年時にさかのぼる。千葉出身の郡司少年は進路を選ぶ際、最初に志したのが慶応だった。当時から丸刈りを強制しないことなどにひかれて受験したが、桜は咲かなかった。

 名門・仙台育英に進学した後は春夏で2度の甲子園に出場し、3年時の15年夏はロッテ・平沢らとともに決勝に進出。中日・小笠原を擁する東海大相模に6―10で敗れ、東北勢初優勝はならなかったが、8回まで同点という熱戦を演じた。

 慶大時代も慶応と交流試合をやったことがあり、同校の森林貴彦監督とも面識がある。仙台育英時代も毎年、慶応との練習試合を実施。ゆかりだらけの決勝に「塾高(慶応)を落ちて育英に行った人なんていない。激アツです」と繰り返す。

 仙台育英には他のプロ野球選手のOBとともに、毎年恒例である記念Tシャツを寄付した。夏の甲子園2連覇が懸かる母校には「ここまでのチームになると思っていなかった」と躍進に驚きつつ、一方で「刺激は受けてます。自分も頑張らないといけない」と気を引き締めた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/7855bac7db725ca51ae1c3b9b542def865f8bf49