不安の原因は、開発の現場にありました。
苦労の末に招き入れたボーイングのOBたちと、三菱航空機の技術者たちとの間に、溝のようなものを感じていたと川井さんは話します。

川井元社長:
「そのすごさが教わる側が分かっていれば、ちゃんと聞くんですけど、私がいろいろなことを言っても、彼らは『自分のやり方でやります』とはっきり言うとそういうタイプ。
その当時の技術者は“うぬぼれ”があったのではないかという気がしています。
飛行機としてはいい飛行機を造ってくれます。いわゆる履き違えていたんです。
飛行機を造ることと、安全性を証明していくことは違うことなのが分かっていなかったんだと思います。
やっぱり謙虚さに欠けていたところがあると思います」

開発に費やした事業費は約1兆円。
結局、MRJの型式証明は申請から約15年をかけても取得することができませんでした。

川井元社長:
「完成機はもうないと私は思っています。しばらくは…。
これは国家的な損失だと思います。世界における日本の地位がどんと下がりましたから」