1杯、2杯、3杯、4杯、5杯、6杯、7杯…。「いただきます」の号令もそこそこに、おかわりのご飯をよそう選手が炊飯器の前に列を作る。

 高校野球の強豪・花巻東(岩手)の寮の夕食。呆気にとられている私をよそに、選手たちは次々とご飯を平らげていく。部員130人で、2升炊きの業務用炊飯器9個の中身はカラッポに。まさに圧巻の食事風景だった。

 そういえば、大谷翔平選手(現日本ハム)も「高校時代は1日10杯を食べていた」と話していた。そのときは「まさか…」と思っていたが、現実だったのだ。

 「大谷は入学時、身長が190センチもあるのに65キロしかなくて、本当に細かったんです。体の使い方は上手。技術的にもしっかりしていた。あとは体を大きくして強くする、という課題が明確でした。雄星(菊池・現西武、投手)も同じ。体作りはしっかりやれば筋力はついてくる。体はウソをつきませんからね。2人とも、卒業までに20キロ増えました」(佐々木洋監督)。

菊池雄星の代から自主性に任せる

 かつて、全員同じ食事の量で体作りに取り組んでいたこともあったが、菊池の代(08年秋)から選手の自主性に任せることになった。

 「それぞれ体型も違うし、中には食事制限が必要な選手もいる。そこでみんなで話し合って、10杯、7杯、5杯、3杯…と食べる量でグループに分かれて食事することにしたんです」と当時の主将で、現在花巻東コーチの川村悠真さんは説明する。しかも当時は、全員食べ終わらないと部屋に戻れないというルールまで作ったというから驚く。

 「夜は9時くらいに練習が終わり、片付けをして寮に戻って夕食を食べ始めるのは10時くらい。11時には点呼があるので、10杯組の選手は食べ終わっていないと、点呼が終わってからもう一度食堂に戻って食べる。本当、大変そうでした(笑)」(川村さん)。

 この取り組みがお手本となり、“10杯メシ”が伝統となった。

 「雄星さんも大谷さんも10杯食べたと聞いています。先輩たちもそうやって強くなったと聞くと、頑張って食べようと思います」と中塚悠樹選手(内野・2年)。今は、食べ終わるとそれぞれ部屋に戻れるようになったが、プロで活躍する先輩たちが高校時代に行った取り組みが、後輩たちの士気を高めているのは間違いない。

 監督、コーチが何杯食べたかを厳しく管理する学校もあるが、花巻東はグループ内でチェックする。「あれ、オマエ、ご飯の盛り方が少なくない?」「あ~、1杯ごまかした~!」と実は、選手同士のチェックの方が厳しい。とはいえ、和気あいあいと話しながら食事をしている姿は高校生らしく、ほほえましい。

 「もちろん、バランスも大切です。そこもしっかり見据えた上での食事になりますが、この子たちの練習量からいったら、カロリー的に足りていない。今はとにかく量を食べさせることを重視しています」(佐々木監督)。