6歳の頃、ジャマイカ人の父と日本人の母が別居し、ジャマイカから日本に来て母の地元である群馬で暮らし始めました。

 日本では、街中を歩くと指をさされたり、通りすがりに「黒い」と言われたりして、人の多いところでは母の陰に隠れて歩いていました。

 そして、小3になると、それまで仲がよかった友達の態度も変わってしまいました。ある日の休み時間に教室で、「おーい、ハンバーグ」「フライパン」と呼びかけられたのです。「ふざけるな」と飛びかかり、ケンカになりました。仲裁に入った担任の先生からは「両方が悪い」と言われました。なぜ僕が悪いのか納得できませんでしたが、そのことを話すと余計に自分が傷つく気がしました。反論することをやめ、心を閉ざすようになりました。

「僕は一体、何人なんだろう」。子どものころは常に思い悩んでいた

 悪口に傷つき、泣きながら帰ったことも度々ありました。母は当時、複数の仕事を掛け持ちして僕と弟を養ってくれていました。そんな母には見られたくない。家の前で涙をぬぐってから玄関を開けていました。肌の色を白くしようと、家でベビーパウダーを体中に塗りたくったりもしました。でも、シャワーを浴びるとすぐに元通り。白く濁って流れる水や、鏡に映る元の自分の姿を見ると、より悲しみが大きくなりました。