1945年(昭和20)8月14日、日本のポツダム宣言受諾を伝える放送はブラジルでも聞くことができ、敗戦の知らせを聞いた日本人たちは呆然とするばかりであった。
しかし、少し時間がたつと、敗戦という受け入れ難い事実を受け入れる代わりに、それまでに得た情報を願望によって都合よく再解釈し、敗戦はデマであり、実は日本が勝ったのだと言い出す者が出てきた。
その言説は、すぐさま日本人の間に伝わり、敗戦を受け入れたくない多くの人たちに信じられることになった。これらの人たちは、勝ち組、戦勝派、信念派などと呼ばれた。

一方では、このように多くの日本人が敗戦の事実を認めずに軽はずみな行動をとることによって、日本人全体がブラジル社会から排斥されることを恐れた日系社会の指導者層の人たちが中心となり、
敗戦の事実と日本の置かれている現状を戦勝派の人たちに納得させ、ブラジルの社会のなかでとるべき生活態度を皆で考えいくための時局認識運動(略して、認識運動)を起した。
この運動に従事する人は、認識派、負け組、(勝ち組から悪意をこめて)敗希派などと呼ばれた。

だが、この行動は戦勝派の人たちをかえって憤激させることになり、宮腰らは「国賊」「非国民」として攻撃の対象となった。