【悲報】「勝ち組」と「負け組」の起源、いくらなんでもやばすぎるwwww
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1945年(昭和20)8月14日、日本のポツダム宣言受諾を伝える放送はブラジルでも聞くことができ、敗戦の知らせを聞いた日本人たちは呆然とするばかりであった。
しかし、少し時間がたつと、敗戦という受け入れ難い事実を受け入れる代わりに、それまでに得た情報を願望によって都合よく再解釈し、敗戦はデマであり、実は日本が勝ったのだと言い出す者が出てきた。
その言説は、すぐさま日本人の間に伝わり、敗戦を受け入れたくない多くの人たちに信じられることになった。これらの人たちは、勝ち組、戦勝派、信念派などと呼ばれた。
一方では、このように多くの日本人が敗戦の事実を認めずに軽はずみな行動をとることによって、日本人全体がブラジル社会から排斥されることを恐れた日系社会の指導者層の人たちが中心となり、
敗戦の事実と日本の置かれている現状を戦勝派の人たちに納得させ、ブラジルの社会のなかでとるべき生活態度を皆で考えいくための時局認識運動(略して、認識運動)を起した。
この運動に従事する人は、認識派、負け組、(勝ち組から悪意をこめて)敗希派などと呼ばれた。
だが、この行動は戦勝派の人たちをかえって憤激させることになり、宮腰らは「国賊」「非国民」として攻撃の対象となった。 情勢はさらに悪化し、1946年(昭和21)年3月以降、勝ち組の過激分子(特行隊と名乗った。「トッコウタイ」と日本からの短波放送で音でのみ聞いていたため、特攻隊でなく、特行隊としたといわれる。)による日系社会の指導層や認識派の人たちを狙ったテロが頻発した。
3月7日バストス産業組合専務理事 溝部幾太、4月1日元日本人文教普及会事務長 野村忠三郎(元駐アルゼンチン公使 古谷重綱も同日襲われたが未遂に終った)、6月2日バストス産業組合理事長で退役陸軍大佐 脇山甚作がそれぞれ殺害された。
また、地方で認識運動に挺身している人たちも襲撃されたり、小包爆弾が送りつけられたりする事件も発生した。
https://www.ndl.go.jp/brasil/s6/s6_1.html 負けを望んでるとか言われたらどうしょうもないやん
頭おかしくなった集団からは逃げるしか無いんやな まさにネトウヨやん
ある意味まだ教育の洗脳が解けてないだけの被害者やけど 負け組「いや負けてるやん・・・・・・😅」
勝ち組「君消す😊」
負け組「😨」 >>12
左翼は関係ないですよね?
ネトウヨと同じというのが正しいですよね? 勝ち組にとって攻撃していい対象なのは現代も同じやん >>10
今でも政権批判すると「そんなに日本が嫌いなら出ていけ」って言う連中おるしな >>15>>16
ジャップは右も左も糞という話をしてるのにどうした?
ちなみに俺は在日だからこんな薄汚い民族とは関係ない ネトウヨでも日本が戦争に勝ったと思ってるやつおらんよね チョンって自分達の国が戦勝国だと自分に言い聞かせてるよね
恥ずかしい民族だよまったく😂 >>20
ネトウヨじゃなくても勝ったと思ってる奴おるやろ
戦後教育の敗北や ネトウヨブチギレてて草
思い当たる節があるんやろなぁw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています