父は元プロ野球選手で、現・巨人3軍打撃コーチの小笠原道大です。父が最初に所属した日本ハムファイターズが2004年、北海道に移転する前、東京ドームを本拠地にしていた時から、家族で球場に行った記憶があります。私が幼稚園にいた頃です。

 父は北海道に単身赴任でしたが、家族でよく札幌ドームにも見に行っていましたし、寂しさは感じなかったです。球場に行かない時はテレビ観戦し、家族で父を応援していました。大きなスクリーンで部屋を暗くし、父が打席に立つたびに母が大声で応援し、2つ下の妹と私も祈るように見ていました。それは、巨人に移籍した後も続きました。

 巨人での最後の3年、父は思うような成績が残せず、苦しんでいました。母は、一生懸命、父をサポートしていました。そんな中、中日ドラゴンズから声をかけてもらい、父は2014年に移籍。当時、私はまだ、ドラゴンズのことをよく知らなくて、連覇経験もある「強いチーム」というイメージ。そんなチームに父が入っていくのは怖いなと思い、詳しく調べたのがドラゴンズファンになったきっかけです。

母は、長年の父のサポートで、心身ともに疲れてしまったんでしょうね、応援が少しペースダウンしました。それなら、私がその分、しっかり応援しなきゃと思ったというのもあります。

家での父は、皆さんの想像通りです
 私がドラゴンズを応援していることについて、父は「勝手にどうぞ」という感じです。私は今、ドラゴンズとジャイアンツの試合は、仕事として試合を見ている父から、少し離れて観戦しています。併殺打で父が「よーし」と声を上げる時、私は悔しがっています。

 父は、おそらく皆さんの想像する通り、普段から寡黙で、多くは語らない人です。1人で晩酌するなど、1人静かに楽しむタイプ。それに、目標に向かって、やるべきことを考えてコツコツと努力する人ですね。私もそうありたいと思います。父はその姿勢を貫いて、ドラゴンズでも打率3割を打つまでに盛り返しましたし、素直にかっこいいと思います。

 私は今、大学職員として働きながら、芸能の仕事もしています。高校1年生の頃、家族で最初に、芸能関係の仕事をしたいと伝えたのは父です。父はまったく反対せず、「自分で選ぶ道なんだから、しっかりやりなさい」と。

 父は「やってみないと分からない」が口癖。子どもにも、とにかくやってみなさいと。それを身をもって示してくれる父親です。私は、言葉などで表現することが好き。父を通して知った野球の楽しさを伝える仕事をしていきたいです。