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彼のメンタルを考える時に忘れられないのが、少年の頃に体験した戦争だろう。

「セルビアで育った私のような少年がプロテニス選手になる?そんなことは、どんなに条件が揃っても考えにくかった。そして空から爆弾が降るようになると、プロになる可能性はさらに小さくなっていった――」
1999年のコソボ紛争ではNATO軍が、ジョコビッチの暮らしていたベオグラードへの空爆を実施した。当時12歳だった彼は、シェルターでの生活を余儀なくされる。
普通に考えれば、この状況でテニスどころではないが、彼は違った。爆撃された近くのテニスコートを探して練習に励んでいたのだ。なぜなら、NATO軍の爆撃機は、同じ場所を2度と攻撃しないと考えていたからだった。

「サイレンを気にしないことを学んだ。時間だけはたくさんあったから、その全てをテニスに充てられる幸せを感じるようにした。自分には才能があると信じていたから、集中さえできれば、世界一の選手になることも可能だと思っていた」