21歳の度会が夢をつかんだ。事前公表した中日だけでなく、計3球団が手を上げた。望外の複数指名に目を丸くし、「うれし過ぎて気付いたら涙が出た」。DeNAの交渉権獲得が決まると、万感の思いがあふれ出た。
横浜高時代は指名漏れ。底抜けに明るい人柄だが、帰りの車では家族が声を掛けられないほど落ち込んでいたという。
 その後に進んだ社会人野球。バットコントロールや、長打力に磨きを掛け、練習試合の相手だったDeNA首脳陣の目にも留まるほどに成長した。育ててもらったENEOSの大久保監督とも歓喜の瞬間を分かち合い、「大好きな監督であり、大好きなお父さん」と笑う。
 喜びを語る記者会見の様子を見守ったのは父の博文さん。ヤクルトで2008年まで15年プレーし、代打などで存在感を示した。「僕の背中を押してくれた父親の言葉がたくさんある。いつも勇気づけてくれた。ここからが本当に家族に恩返しできるチャンス」。プロとして、父を超える選手を目指す野球人生が始まる。 

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