最新の関ヶ原の戦いの研究結果「場所は関ヶ原じゃなくては山中、すぐ終わって家康はいなかった」
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
「小早川は戦闘前から東軍についてた、吉川の弁当の話は創作、そもそも天下分け目の戦いじゃなかった」 まあでも歴史学なんて新設マウントの取り合いだから常に新しい説出さな研究する意味ないよね
研究した結果、通説のとおりでした!!
じや実績なし判定されるやろ 当たり前の話やが歴史上の人物ってドラマや漫画みたいに誰かが創作した登場人物じゃないんやからキャラとかそんなシンプルに人物像考えたらあかんやろ 信長公記も嘘だらけだとか分かってきてノッブ神格も止みそうやな >>93
あれは伊勢街道から撤退しようとしたらあとから来た井伊軍に追いかけられて全滅したみたいやね
普通に逃げた連中はほぼ無傷で逃げ切れてる 関ヶ原のなかに山中という土地があるだけで関ヶ原の戦いって名称は間違ってないんちゃうか >>113
あれは首巻とそれ以降でかなり信憑性が違うらしいな >>113
そもそも近臣が書いたから東スポと同じで歴史的事実の日付以外は信用できへん >>2
奇抜な新説やないと誰も見向きしてくれんからな
だから逆張りと過剰に盛るのが流行る
今川義元とか松永久秀とか 瀬名姫は三河の安寧を考えた貿易立国だがなんだかわけわからんうんちみたいなものを目指したのも最近の学説でええやろうか >>1
異世界サムライだとちゃんと関ケ原で戦ってたけど? >>63
松尾山城にいた西軍を力ずくで追い出してるからな
あんな位置に東軍が現れたらそら大垣城の西軍は大谷隊の援軍に向かうわ
そして南宮山の北を素通りした東軍に挟み撃ちされたと 昭和時代の定説にこだわってるバカは何がしたいんだ
その定説とやらが何を根拠にしたものかハッキリ言えるのか? >>119
その二人とかはそもそも江戸時代に面白おかしく盛られすぎだからそれを是正する意味もあるだろ
逆方向に盛りすぎるのもアレだが >>79
1回目は壬申の乱だけど2回目ってなんや? 新説やと西軍が関ヶ原に布陣したのは松尾山にいる小早川を追いやるためって解釈やったな
そこに東軍が横っ腹を付くような形でツッコんできてさらに小早川も加わり合戦は定説よりも早く終結した 近江大坂方面に逃走中の西軍主力が、ちょうど関ヶ原に達した辺りで追いついた東軍にズタボロにやられて壊滅したってだけでは面白みがないので
位置的に日本の中央ってのも加味して天下分け目の正面決戦だったって事にした 田中角栄の評価すら定まらないし
何なら安倍ですら評価割れるのに
江戸時代の大名の評価なんか定まるわけない 上杉謙信は戦国最弱武将とか逆張りしとけばええんか? >>125
奥州から略奪行軍してきた北畠顕家と足利方の土岐の戦い >>131
うんこきばってる時に血管切れて死んだ人って扱い >>130
プーチンがウクライナ攻めた理由もよーわからんからな >>130
むしろ現代の人物の方が評価は難しいやろ
短期的には成功に見えても長期的には失敗とかあるから >>133
松平忠吉に先陣切らせた功労者って立場なんじゃね? >>113
あんな「信長さまはありがたい」連呼してる本オカシイやろ >>133
苛烈すぎる性格から考えるといつかはそうなるよともいえる最期ではある 定説定説言ってるやつってその定説の根拠を示せるのかね
教科書も10年経てば全く違う内容に変わってたりするのをちゃんと知ってて言ってるの? ちょっと興味持って調べるとそのエピソードは創作やでってパターンが多すぎて萎えるんよな >>103
上司には好かれるけど同僚には嫌われるタイプなんやろ 秀頼が参陣したら西が勝ってたんやろ?
家康も秀頼には弓引けないから >>142
定説のほぼ全てが後世の奴らが勝手に決めただけなのにね
金田が170キロ投げてたレベルの話 今の学生は士農工商なんて習わないってマジなのですか? >>142
通説(江戸時代後半の資料や司馬遼太郎がソース)みたいなのが多すぎるからなぁ >>140
うんこ体に塗りたくって浮浪者のふりして難を逃れたとかいう逸話がある桂小五郎の方が持ち上げられるべきだと思う 今残ってる戦国時代の逸話とか歴史って江戸時代に創作されたり盛られたりしたモノばっかなんでしょ? そもそも徳川家康なんていなかったゾ
明治維新以前の歴史は新政府によって書き換えられゾ でも山羊が降りれるから馬も行けるやろってのは完全に創作なんやろ? >>154
せや
江戸中期に平和になって戦国ブームが起こってそこで話作られまくった 夏の陣は圧倒的な負け戦すぎて可哀想だよな
負けイベントやんけあんなん 西軍の布陣図だって秀頼麾下や三成が本陣で
大谷隊が前衛、宇喜多軍が主力で対松尾山城として見れば自然な格好なんよな
しかも西軍陣地の堀が松尾山城の方に向けて急造されてたことも分かってる それで食っとる奴ら以外は過去がどう変わろうがどうでもええしな
学びも研鑽もない肥溜めかき混ぜて喜んどる >>149
というか自分が学校で勉強してた時期の知識からアップデートされてないんよ
自分が学校で習ったことと子供が習ってることが全然違ったりすることを知らないくせに定説とかバカなことを言う 大名の少年時代のエピソードの8〜9割は創作やな
生まれた時点で後の将軍の最有力候補みたいな立場だったならともかく
単なる小勢力の嫡男(下手したらその家の御曹司ですらない)の記録をいちいち残すねんと これ嘘だったら松尾山の小早川陣営に向けて家康が鉄砲撃って謀反を催促した話も嘘なのか とにかく西軍の先鋒が即死しててそのせいでビビった総大将の毛利がほぼ抵抗せず即降伏したのは間違いないやろ >>165
それは元々嘘だとわかってる
寝返るか様子見してる人に鉄砲撃ったりはしない 後世の歴史学者「安倍晋三は戦後残る日本人の荒々しい気風を拭い取るためあえてガイジを演じた」 >>165
本当は織田有楽斎が古田織部を投げ込んだらしい 安易に江戸期創作の歴史広めちゃったの昭和の歴史家が悪いって事で >>167
輝元はビビッて大坂城から出てこなかったけど関ヶ原にはいなかったぞ 正直歴史研究って意味あるか?
みんなに夢みせるべきやし研究禁止にすべきや でも家康が勝ったのは事実だし
伝説として伝わってることに事実がふくまれてるかもしれんではないか >>165
問鉄砲は後世の資料に突然出てきた設定だし時代によって記述も違うから創作と言われてるね 桶狭間も「信長は常識に反して少数なのに場外で戦いを挑んだ」とか言うが
その常識ってノブヤボの常識やろと
行軍中の敵を襲う方がよっぽど勝率が高いしそっちの方がよっぽど兵法の常道 反社の抗争だと思えば美談にするのがあほらしくなるわ 後世の歴史学者「戦国BASARAという資料によりますと~」 >>172
あれは攻めたんじゃなくて鳥居が明け渡さなかっただけやからな とりあえずセンゴク書いてた宮下先生の大乱関ヶ原で関ヶ原の戦いをどう描くか楽しみに待つか >>164
12歳で管領家と本願寺家の和睦成立させた長慶みたいなのもいるから……
一次資料あさると元服前から父親の元で取次や代官みたいな仕事とかしてたみたいなのわりとびびる ティラノサウルスには毛が生えてた!聖徳太子はいなかった!鎌倉幕府は1185年!関ヶ原の戦いはなかった!
逆張りもほどほどにせえや >>181
地の利は信長にあったし今川は軍を分散させてたから
奇襲すれば勝てる >>75
大谷吉継って戦死やったん?
身体ボロボロやし病死かと思ってたわ 有名な剣豪将軍、足利義輝の話
畳に名刀を突き刺して戦った ← 江戸期の創作
実際は
薙刀を使って戦った説が濃厚 スレタイと>>1の歴史観の何が面白いんだよ没だよ
研究費出てるんだからもうちょっと面白いストーリーにしろよ 有名な話だと比叡山の地質調査結果から当時大規模な火災の跡が見つからなくなったので焼き討ち虐殺は坊主側の捏造とかね >>172
内通したのはその後や
関ヶ原の数日前に徳川側と話がついてる
家康としても豊臣家で秀頼に次ぐNo2の秀秋が味方になるのはめっちゃ大きかった筈や 新しい説は一応検証されるけど大概は嘘
江上波夫の騎馬民族征服説なんて戦後流行ったけど学会ではもう完全否定されてるしな 知ってる知ってる
信長は本能寺で死んでないし江戸幕府も存在してへんねん >>195
たっぷり焼いたのは半将軍細川政元なの好き >>192
らい病おじさん、あの当時ですら目が見えなくなってて甲冑も着れないくらい体病んでたって話あるから自害しなくても死んでた気がする >>187
死に近づくとわびもまたはっきりと見えてくる論すき ワイ桶狭間も奇襲というほどではなかった説を聞き震える >>198
源義経はチンギス・ハーンだし
織田信長はジョルダーノブルーノだしなw どうせ逆張りするなら「松倉勝家は実は有能だった」ぐらいやってほしい >>203
少なくとも天下統一を考えてた大名なんてほとんどいなかったとはなってるな >>187
柿は胆の毒じゃ!食わん!って言ってた三成は嘘だった…? 戦国オタはチー牛多いけど
荒々しい男臭さに憧れてるんやろな なんでもええけど織田信長と武田信玄の肖像画はやく確定させてくれや
両方とも全然ちがう人物買いとるやん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています