正岡子規、夏目漱石、南方熊楠、秋山真之←こいつらがクラスメイトだったという事実
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>>2
正岡子規…松山藩家老で金持ち
夏目漱石…東京の没落士族で貧乏
南方熊楠…和歌山の造り酒屋でそこそこ金持ち
秋山真之…松山の没落士族でド貧乏 >>8
大学予備門(のちの一高、現:東京大学教養学部)までは一緒やったんやからセーフや >>6
あと曹参と劉邦もな
同じくらいのミラクルやな >>11
でも夏目漱石読んだ限り今より知的レベル高いと思う >>13
夏目漱石は今なら東大教授クラスやろ
東大教授のレベルはわらんが 東京帝国大学には優秀な人間が自ら進学するものだから
偶然ではないしな
サイモンとガーファンクルが同じ小学校のクラスメイトっていう方が運命的 >>14
いや、そういう意味に限らず、
漱石の手記や小説で描かれる明治の一般人の言葉遣いや会話内容・行動から察するに
我々令和の日本人よりも遥かに精神的・知的に高尚であったように感ぜられた >>16
そら漱石周辺の人間がレベル高いだけじゃねる >>14
コメが稲から採れること知らなかったけどな 「もう御婆さんさ。取って一(いち)だもの御前さん」
姉は黄色い疎まばらな歯を出して笑って見せた。実際五十一とは健三にも意外であった。
「すると私とは一廻以上違うんだね。私ゃまた精々違って十か十一だと思っていた」
「どうして一廻どころか。健ちゃんとは十六違うんだよ、姉さんは。良人うちが羊の三碧で姉さんが四緑なんだから。
健ちゃんは慥か七赤だったね」 >>19
これは「道草」の冒頭会話の抜粋であるが
「主人公の、年の離れた学のない姉」ですら今の我々からすれば何をいってるか分からぬ如き博識である
明治人はこれをスラスラ読んで理解していたということである >>21
それは例えるなら今のスマホの知識とかを別時代に披露してるだけとかじゃない? このメンツ(熊楠は居なかったかも)で江ノ島まで徒歩で貧乏旅行したエピソード好きだわ >>20
東大は結果的には今では超名門大学だが
発足当時は数ある大学の中のひとつでしかなかった
むしろ当時の学生が東大を名門に仕立て上げたといえる
漱石だって卒業後はただの教師
子規は新聞記者
秋山は海軍下士官
熊楠は無職である >>22
スマホの知識が何かによるが
iPhone13のカメラの機能がどうこう、という話なら10年後には全く無価値だろう
暦というのは今でも存在し使われているから、やはり知識として価値があると思われる >>26
士族は全国一斉リストラで貧乏暮らしでいじめられまくってた
むしろ下級国民や >>23
あのエピソードすきやけどあれって一次資料あるんかな
司馬遼太郎マジック? >>29
筆まかせ に元ネタがあって江ノ島に行った事は事実らしい
面白いエピソードは創作も入ってるかも >>23
渋谷から江ノ島まで10銭(今でいう3000円)だけもって徒歩旅行ってまあまあきついよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています