「自分の好きな物を批判されると、自分が批判されている気がする」←これなんでやろな
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別に批判されてるのは自分の好きな物であって
それを好きな自分が批判されているわけではないのに 「◯◯が好き」というのを自分のステータスのように思ってるからアカンのかな いや一緒やろセンスがないってことやから恥じたほうがええで >>3
つまりそれは「◯◯が好き」ってのを
自分のセンスの良さとイコールに思ってるってことやな 今考えただけだが、自分が好きな物というのは自分の一部として認識しているからではないかな
ある物を好きになる、というのは自分という括りの中にその好きな物が入ってくるような感覚なのではないか
言い方を変えれば好きな物は自分を構成する一部分となっていて、それを批判されるから自分の領域が
侵されているような錯覚に陥る >>5
ワイが何かを好きになっても別に何かがワイのなかに取り込まれるわけでは全くないのだが
それを取り込まれてると感じているからアカンのかな キャラクターとかだと自己投影して自分だと思っちゃうんじゃね >>6
まあ別にそういう感覚は特別おかしいものでもないし、存在自体が悪というわけでもないと思うわ
実際、日本にとってプラスな話題を聞けば大体の日本人は少なからずいい気分になるだろうし、そういう感覚が
あるからこそ愛国心だったり国を誇りに思うという人が存在する >>6
その感覚を自分の能力として過信して他を執拗に叩くなどということに繋げずに、ポジティブな方向に使って
いく分には何ら問題は無いとワイは考える 意見否定された時もそうやな
日本人はそういう傾向あるって聞いたで ケンモジジイとかなんGガイジに褒められる方が嫌だろ >>11
野球ファンはどこも自分の贔屓を自虐してる気がする 野球ファンの自分の贔屓を批判する思考は研究材料としては割と面白いよな こういうのって
「自分が好きなものを褒められると、自分が褒められているような気がする」とも大体セットだよね
褒められてるのは好きなものやそれを作った人であって
ワイが褒められてるわけでは全く無いのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています