権藤博「バントしてくれるとホッとする」
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権藤氏は「監督として、どうやって27個のアウトを取るかを考えた。(バントでアウトを1つ)くれるのであれば、ありがたい」と話す。
「僕は投手出身ですから、投手の立場になれば、(相手が)バントをしてくれるとホッとするわけですよ。『1つくれた、アウトをくれた』と思うわけなんですよ。
(アウトの数が)3つと2つとでは、全然違う。逆に考えれば、攻撃しているときは27のアウトを取られないように考えるわけですから、(バントで)それを無駄に与えることはないということです」
データに加え、「相手にアウトを無駄に与える必要はない」という考え方は、大リーグの中でも「バント否定派」の根幹だ。
https://www.nikkei.com/article/DGXZZO22541370Q1A130C1000000/ バントの否定はセオリーの否定
「それを数字的に裏付けるデータはあったのか?」と問えば、「なかった」というから、"脱バント"には相当な抵抗があったと想像できるが、そのあとに続く言葉に日本球界特有の事情がにじむ。
「仮に(データが)あったとしても、例えば、『バントなんかするもんじゃないよ』って言える評論家なんていないんじゃないですか」
バントの否定は、不変と思われてきた野球のセオリーの否定につながる。
「バントをすると、得点期待値が下がる」――。これまでのコラムで紹介してきた数値を伝えると、権藤氏は「それを評論家とのところへ持っていってね、
『あなた、いつも解説のときに、バント、バントって言ってますけれど、アメリカではこういうデータがあります。年々、バントの数が少なくなっていて、(バントをすると)これだけ、点がとれなくなっています』と言っても、言うこと聞かないだろうね」と苦笑した。
では、客観的な裏付けを持たず、異端扱いされる中で、なぜ権藤氏は"脱バント"を貫けたのか。 定石にこそ疑う余地
お会いしたとき、上梓されたばかりの著書「教えない教え」をいただいたが、その中にこんな下りがあった。
「『これが絶対に正しい』と思い込み、それだけに囚われてしまうと、臨機応変な対応もとれなくなる。
『これは違うんじゃないか』、『もっといい方法があるんじゃないか』、そう思うことで柔軟な対応がとれ、そこからより良き発想も生まれてくる」
おそらく、これが犠牲バントに対する、権藤氏の答えの一つではなかったかと思う。定石にこそ、疑う余地があるのではないか、ということだ。
ただ、指揮官がセオリーに挑戦しても、選手が受け入れられなければ、ことは動かない。監督時代にはこんなこともあったという。
「石井琢朗とか波留(敏夫)は、サインを出さなくても勝手にやっちゃうんだ(笑)。それでバントした後、ベンチに戻ってきて、チームメートとハイタッチしてるわけ。でも、こっちの方、ずっと見てるの。
だから、実際には出していないけど、『サイン通り、サイン通り』って言ってやると、頭をかいてるの」 バントは球団がプラス評価
話を選手の犠打に対する意識に戻せば、やはり、波留らのケースは例外のようだ。多くの選手はバントのサインに素直。それは「選手の言い訳」と、権藤氏は見る。
「バントすると、会社(球団)の評価が結構いいんですよ(笑)。チームのために、犠牲になったということでプラス評価。バントが成功したら0打数0安打で打率は上がりも下がりもしないけれど、貢献度がプラスされるから、選手はやりたがる。
打って、ゲッツーとかだと『なんでバントしないんだ?』という声が多いわけ。評論家も含めてね。そうなると、ぬるま湯と同じで、戦っているのに、周りから言われないように、無難にやりましょ、ということでバントになっちゃう」
そこから透けて見えるのは、選手個々の問題というより、日本野球界の体質として犠牲バントを"保護"する意識。
これをメジャーに置き換えた場合、試合中に選手が犠牲バントを決めてダグアウトに戻れば、「Good Job(よくやった!)」という言葉とともにハイタッチが交わされるが、
契約にどう影響するかといえば、少なくとも、歩合に犠牲バントの数が含まれているという話は聞いたことがない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています