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伊良部秀輝哀しき最速エースの肖像 ~生き別れた父を探して~
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0001 警備員[Lv.21][苗]
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2024/04/20(土) 19:50:40.33ID:9xegghWZ0
「大リーグで親父を探す」

 牛島の助けを借りて、伊良部は覚醒した。'94年シーズンに15勝10敗、最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得。'95年、'96年はそれぞれ11勝、12勝を挙げて、2年連続最優秀防御率を獲得。日本を代表する投手となった。そして'97年シーズン、念願のニューヨーク・ヤンキース入りを果たす。このとき、ヤンキースは黄金時代を迎えようとしていた。特に、'98年シーズンのヤンキースは圧倒的な強さを見せつけた。2位のボストン・レッドソックスに22ゲームもの大差をつけ、114勝48敗というアメリカン・リーグ記録となる勝率で優勝したのだ。

 〈伊良部はアメリカの軍人だった実の父親と生き別れになっている〉そんな新聞記事がアメリカで掲載されて以降、何人か「自分が伊良部の父親である」という男が名乗り出てきていた。

そして'99年春—フロリダ州タンパで行われていた春季キャンプにも、父親を名乗る人物から手紙が届けられた。球団職員から手渡された手紙を一読すると、伊良部は、何かが爆発したような、はっとした顔になった。差し出し人は〈スティーブ・トンプソン〉。母親から実の父親だと教えられていた名前だった。伊良部はすぐに日本の母親に電話して、手紙の内容を確かめ、トンプソンと会うことにした。

 息子・秀輝との再会がかなったのは、'99年春のことだった。

しかし、伊良部と会ってみると話は全くはずまなかった。伊良部の顔は強ばり、目は泳いでいた。トンプソンをまともに見ることもできなかった。伊良部は何を話していいのか分からないようだった。伊良部は突然、トンプソンにたずねたことがあった。

「ここまで来るのにどれくらいおカネがかかったんですか?飛行機代とかレンタカー代とか、かかってますよね」

「おカネは必要ない。私はそんなつもりで来たんじゃない」
「君を見捨てたことは悪かったと思っている。すまない」

伊良部は「分かりました」と答えた。

「しかし、どうしてしばらく連絡が途切れてしまったのかを説明できなかった。自分の頭がさまざまなことを受け付けなくなったこと、ベトナム戦争によるPTSDに苦しんでいるんだ、とね」

実の父親と会ったことは、伊良部の心に強い影響を与えていた。トンプソンがタンパを去った後、伊良部の目から力が失われ、ぼんやりすることが多くなった。集中力の欠如はプレーに影響した。そして「事件」が起こる—。
0002 警備員[Lv.21][苗]
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2024/04/20(土) 19:50:51.99ID:9xegghWZ0
春季キャンプ終盤に行われたオープン戦で伊良部が一塁のベースカバーに入らなかったのだ。そのプレーを見て怒ったのが、ヤンキースの名物オーナー、ジョージ・スタインブレナーだった。緩慢なプレーに怒り、「太ったヒキガエル」と罵倒した。伊良部は臍を曲げて、次の遠征先に同行しなかった。そのため、'99年シーズン開幕直後の先発ローテーションからしばらく外れることになった。

トンプソンと会って以来、伊良部の成績は下降線を辿った。出会った年、'99年シーズンこそ11勝7敗、防御率4・84とまずまずの成績を残し、ヤンキースのワールドシリーズ制覇に貢献した。しかしその後、あれだけこだわったヤンキースとの4年目の契約を破棄してモントリオール・エクスポズへ移籍。新天地には2年間在籍したが、わずか14試合の登板に終わった。2勝7敗、防御率6・69という成績だった。次の移籍先のテキサス・レンジャーズではリリーフに転向するも、3勝8敗16セーブ、防御率5・74と調子は上がらず、シーズン終了後に自由契約となった。

その後、帰国して'03年に阪神で13勝を挙げたが、活躍は長続きせず2年で戦力外。独立リーグに籍を移しても、輝きは取り戻せなかった。「大リーグへ行って、親父を探すんや」。中学時代から公言していた目標を達成して、燃え尽きてしまったかのようだった—。

自殺の約2ヵ月前、最後のインタビュアーとなったぼくが伊良部に話を聞いたとき、こんなやり取りがあった。

「ミッドライフクライシスになっちゃった。なんていうのかな、虚無感。心に穴が空いたみたいな。それが最近つらいですね。何もしないで、ぼうっとしているでしょ。何もしない自分に罪悪感を感じる。何もしないと世の中から取り残されていってしまうみたいな」

「朝5時から6時ごろ起きて、パソコンに向かってメールを見たり。音楽聞いて、日本のテレビ番組をユーチューブで見たり……。引きこもりですかね。毎日、何もしていないですよ」伊良部は自嘲気味に笑った。

酔っぱらうと、日本にいる知人に国際電話をかけて、弱音を吐いた。「奥さん、家を出ちゃったんですよ」「酒飲むなって言われてたのに、飲んで家に帰ってな。飲んだでしょと言われたんで、うるさいんじゃと怒鳴ってしもうた。もう怖いから出て行くって」泣いて電話することもあった。「日本に帰ってこい」と友達に諭されても、家族とのつながりが切れるのが怖いのか、「死ぬほうがましや」と何度も死と言う言葉を口にしたという—。

温暖なロサンゼルスでは、若くして財産を作り仕事を辞めて、悠々自適の生活を送っている人間も少なくない。しかし、自分はそんな生活はできないと伊良部は首を振った。

「人生のチャプター・ツー(第二章)がある人は羨ましいですよ」

伊良部は野球のなくなった「第二章」の頁をうまく開けず戸惑っていた。

「いずれ日本に帰ります。それは頭の中で決めています。ここに永住する気はないんで」

伊良部が念願の日本に帰国したのは、死後、遺骨となってからだった。
https://gendai.media/articles/-/39409
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