東浩紀の『訂正する力』を読んでるんやが
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そら東浩紀は哲学や思想をどうやって社会実装するか考えてるからな
経営者になって机上の空論で理想論並べることに意味ないことを学んだんや
だから現実みない文系の大学人をよく批判しとる 三浦瑠璃にやらせてもらったバカ
この一事だけで、あのアホのいうことなんか
きくきにならなくなる >>5
名前からして、東はもろ皇室の犬だろが
アホか 東自体はリベラル派やろうけど内実は保守主義者みたいなこと言い始めた
共同体とは言ってないけどトグウィル引用して結社の重要性を説いたりネオリベ批判したり家族ということを言い出したり ゲンロンは補助金貰わないでやっとるから補助金貰って適当に耳障りの良いこと言って責任とらない知識人より誠実な仕事しとるよ ワイ保守はあんまり好きじゃないけど保守主義は好きやから保守主義の本はいくつか読んでるんやけど似たようなというかほぼ同じこと言い始めてて草 >>8
その辺はもろ経営者感覚内面化した哲学やん
家族解体みたいなテンプレ左翼論は何も実態あらへん 訂正する力ってつまり左翼の人が好きな改良主義を否定して社会を大幅に変えずに少しずつ訂正していこうってことが書かれてるけどこれ保守主義の本でよく書かれてる漸進主義と同じやし 近代リベラル思想は先進国では現状失敗し続けてるしそうなるのもしゃーない 東浩紀のことはダメな人文界に失望して経営者になった側面を見ないと言ってること深く理解できないと思うで >>11
実際経営から学んだみたいなことは書いとるな >>5
保守が現実的なんて空虚な妄想に逃げるな
それともお前は反日カルトの統一教会とズブズブに癒着してる安倍晋三を愛国の烈士とでも今でも主張してるんか しかも途中に認めてるし
> 「じつは……だった」という訂正の精神が、本質的には保守主義に近いものであることはたしかです。過去との連続性を大切にするからです。 >>16
まあ保守も一枚岩ではないからな
反米保守と親米保守がいて安倍晋三崇拝してるのは親米保守や
東が言ってることは反米保守の論客に近くなってきてるそのうちグローバリズム反対とか言い出すんかな 会社経営してたら左翼にはなれんのよ
口では左翼っぽい事言う経営者も経営実態は保守的なもんやで >>14
女ほんこんと一緒に安倍と統一教会の癒着を否定しとったとんでもねぇ話もその側面みれば深く理解できるんか? 東に関しては批評家としての体幹が弱いと指摘してる町山のいうことが的を得てると思ってるわ
三浦瑠璃にええカッコしたかったんやろなチー牛的と言えばそれまでやけど > でもまあ僕は東浩紀氏は統一教会の回し者とかではないと思います。彼は猪瀬直樹や橋下徹知事を支持したり、白票が意思表明だと言ったり、自分が主催者側だったあいちトリエンナーレが右翼に叩かれると一緒に叩いたり、コロナはただの風邪と言ったり、すべてにおいて選択を間違い続ける人なだけですよ。
> 東浩紀氏が判断を誤り続ける理由は、「僕は統一教会がカルトかどうか判断する立場にない」という彼の言葉に如実に表れていると思います。つまり足元がふらついてるんですよ。批評家としての体幹が弱いんですね。
https://x.com/TomoMachi/status/1547281160593477633 統一の件以降こいつの言うことは真面目に聞く気にならんわ アンチリベラルなのは前からやと思うけどね
若い頃は知らんけど まあとはいえワイは保守主義的になってきてるのは歓迎するけどな保守主義標榜してる人の中にもリベラル派の人はおるし例えば中島岳志とか 少し訂正したら次はこれ次はこれってなるからな
譲るな 確かに訂正する力て批評家としての軸のぶれの自己肯定かよ感は否めないわ アカデミズムで認められずにビジウヨ落ちした負け犬をかばうのも大変だな >>24
町山に的確な正論をぶつけられる男 って屈辱以外の何物でもないやろ 東浩紀は若い頃は凄かったらしいけどな
千葉雅也の『現代思想入門』で東のデビュー作のデリダ論がめっちゃ持ち上げられてたし
人間のおかしい人なんやと思うわ動物化するポストモダンはよかったけど批評家になってアカデミズムに逆張ろうとして失敗した人みたいな印象ある 動物化するポストモダンしか読んだことないけどめちゃおもしろかったわ そらそうやろ
あずまんのはリベラルやなくてナルシシズムや
やからセカイ系に沼るんや 動ポモの後でオタクのブームが月とかに移っただけで
それを説明できなくなった男 とんでもねぇ話を訂正できないならどんだけ言葉尽くしてもダメなものはダメ >>39
「そういう話を申し上げているのではない」 ワイ大学のレポートに書くために動ポモ熟読したけどデータベース消費自体が当てはまってるのはアニオタとバチャ豚くらいやな
YouTubeのコンテンツの発達によって小さな物語に閉じこもって動物的に快楽に興じているのは現代人に広く当てはまってる
でもこれは別にあずまん独自の発想ではないけど >>42
大きな物語の崩壊→小さな物語へ→その小さな物語すら必要でなくなってきている(データベース的消費)って話ちゃうかったか
でも実際にオタクの世界でその後に起きたのはむしろ小さな物語への回帰やった
ソシャゲ時代になってまたちょっとデータベース的消費に近いムードが戻ってきた部分もあるけど、逆にむしろ対人コミュニケーションが
楽しいっていうオタクに限らない一般的な消費を楽しむ奴らも増加していった(YouTuberやVTuberへの推し活) 一般よくまとまってるのが三島賞の存在論的、郵便的の筒井康隆の選評やな
あれを読むだけで東浩紀がどれだけの偉業を達成したかがわかる >>14
失望したから辞めたって随分と便利な言葉だな >>43
そういう話やな
でもデータベース消費って例えばオタクが(二次)創作をするときにオタク文化内の巨大なデータベース(大きな非物語)から例えばアホ毛にピンク髪にドジっ子みたいな要素を抽出してキャラや物語を構成してるって話やとワイは解釈してる あずまんは生放送で酔ってないことを証明するために片足立ちチャレンジする男だからな
壊れちゃったね 二次元オタクコンテンツの主流がアニメからVtuberに流れてるのを眺めると、まさに物語性を失った動物的共同体というのが適当だと思う >>49
それ動物っていうか原始人的とでも言うんちゃうの 原神のような自由度の高い能動的な体験ベースの二次元コンテンツをどう扱うかは難しいけど、Vtuberの盛り上がりを見ると最初からオタクという生き物は物語に弱かったんだと思います >>51
VTuberまでいくと物語以前の「女の子とおしゃべりしたい!」っていう原始的な欲望なんでは
物語性を大事にしているVTuberもおるやろけど別にそこまで本質的にくっついてへんやろ >>49
アニメにどんな物語性があってオタクがどう動物的なんや >>52
そういう話をしてんのよ
完全にバーチャルな雑談が行われてるだけだから、アニメと競合するものでは無いと思ってたけどVtuberの隆盛に応じてアニメの話題性や人気が吸い取られていったのを見て、最初からアニメもただのコミュニティケーションツールとしてしか求められてなかったことがバレた >>54
VTuberが物語的 ってのは違和感あるし、動ポモで取りあげられていた物語⇔データベース的消費の対立軸と
「女の子と話してコミュニケーションしたい」って消費は別もんやろ 俺が10代の頃、Z会の現代文の文章にこいつの文が採用されてたけど、
それがオタクがどうしたこうしたと、オタクについて
オタクであるこいつが分析したような内容で、あまりの気持ち悪さに途中で読む気失せたわ >>56
一応筑駒から東大文一の受験エリートでもあるから吐き気をもよおさず読んでおけば学力上がったかもしれんで ここら辺界隈の内輪感すごいよね
近づけないし近付きたくない 千葉雅也はすっかり売れっ子やな
今でも千葉は東をデリダ研究者として尊敬しとるらしいけど喧嘩してからは疎遠になってまったな >>57
なんぼ文系受験エリートでも書く文章がすごいかどうかはそこまで相関ないで
「当たり前の文章を当たり前に書く」って能力は割と保証されるし、高卒とかより
すごい文章書く確率は当然高いけど 在野で東浩紀ほど息の長い哲学者はあんまおらんやろな
20年くらい新著売れ続けてるのはすごいことや ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています