今川義元←こいつバカにしてるやつ完全ににわかだよな
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良い君主、政治家だったと思う
子供がアレなのはまあ仕方ない 車ブーンって走らせてガソリン代でオッケーじゃねぇんだから😅 でも京かぶれの公家コスプレしてた方がキャラ立ってたよね アホほど金かけて京に行く意味も考えてねぇんならバカ殿だろ😅 朝倉も名門中の名門
足利の要請に応じてさっさと上洛していたら織田信長が勢力拡大することもなかった >>18
無双に先駆けてすでにノブヤボで公家グラにされてたがな😅 >>19
これはまじでそう
時運が信長に味方したとも言える 格下の信長にやられた間抜けやん
評価してる奴のほうがただの逆張りやろ 六角家臣団←こいつらバカにしてるやつ完全ににわかだよな 磨呂メイクって今でこそダサいし弱そうやけど
当時は高貴でかっけえってなってたんかな 北条とか他に候補が沢山いたから
一番天下に近いっては言えないけど
桶狭間がなかったら間違いなく尾張は滅ぼしてたと思う 江戸時代はどんな評価されてたんやろ
神君徳川家康の烏帽子親で元服・初陣の後見人やし 京都にいくのになんで周辺国ボコして行かなきゃいけないのかがわからん
謙信とかはどうやって上洛してたんだ? こんなうんt立浪和義レベルを崇め奉ってる時点で中日ドラゴンズは尾張 別に京都行っても天下人扱いになるわけでナシ
領土狭すぎだし 松平みたいな奴がふらっと現れて三河に居付いて
今川の完全傘下にならずに上手いこと領地確保してる時点で今川の海道一の弓取りとかいう評価が過大評価やん 一向宗暴れてたし朝倉は上洛なんて無理やったろ
その後にある程度やりあえたのは敵の敵は理論で一向宗との対立が緩和されたからやろうし 麻呂メイクで公家文化に精通していたみたいな逸話が今ではダセえとか軟弱の象徴みたいに語られるけど
当時からしたら教養や家格の高さを示す証として肯定的に見られていたのでは?
今で言うなら東大卒のヤクザみたいな感じで
マイナスどころかプラス要素だったはず >>19
朝倉は斯波の守護代で立場は織田本家と変わらんやろ 六角家「街道封鎖して京都と尾張を分断したろw」
戦略は悪くなかった
ただ相手が強すぎた 東海一の弓取と言われたっていうけど
その実は義元本人というより今川「勢」への評価やろ >>20
義元の祖父もやしなあ
今川は戦が下手くそすぎる >>57
何年か前にNHKが取り上げて再評価してる 桶狭間の時の今川義元は京に上ろうとはして無かった説が有力だろ
尾張を潰す目的だったと言われてる 武田とか今ですら山しかない地域昔はもっと地獄みたいな地域だっただろうし勝てるわけない。 >>39
松平は伊勢氏の被官やし三河は将軍直参の領地が点在してて
今川もちょっと手を出しにくい 最近は今までの低評価から逆張り再評価されてるから、今はむしろやたら持ち上げるやつのほうがニワカやろ 演じた主な俳優
成田三樹夫
江守徹
生瀬勝久
春風亭昇太
片岡愛之助
野村萬斎 >>6
本人もその傾向があったんや
雪斎教授に尻叩かれて君主やってたんやで 関東情勢見誤ったから西進するしか無くなったって感じやし
無能寄り評価のままでええと思うわ >>73
風林火山は義元・雪斎・寿桂尼のトリオが実況板でも人気やったな バカ殿みたいな風貌で蹴鞠しとるイメージつけたやつ誰やねん 静岡駅の竹千代像の後ろで座ってる義元像は
野村萬斎のイメージやな 最近は「そんなスゲエ奴を奇襲で倒した信長すごい!」の方針とはいえ
なんで昔はバカに描いてたんだろうな あの戦力だと信長を倒せても斎藤義龍は厳しいだろ
互角の兵力になりそう いや普通にガチ有能マンになってるんだよなあ。信長の野望 世界史で言うならオスマン帝国のバヤズィト1世かな
確かに優秀な君主で当時最も覇権に近かったが、突如現れた不世出の英雄に惨敗して全てを失い「無様なやられ役」として歴史の教科書に名が残ってしまった
ただしオスマン帝国はその後衰退するも再興し全盛期を迎えるのに対し今川家はそのまま滅んでしまった >>74
花倉の乱をちゃんとやったのは風林火山くらいやしな >>77
朝倉とかはそのイメージで描かれないのにな
最初にノブヤボで担当した人に聞いてみたいわ
ノブヤボより前に大河とかで前例あるんか? 野村萬斎めちゃくちゃイメージにあってたな
大河はアレやったが >>80
重臣も引き連れて神輿に乗ってやってきたのはまあ結果的にアホ呼ばわりされても仕方がない
大将だけでなく重臣もまとめてやられたのが今川家凋落の最大の原因 >>88
あの大河、家康以外はめっちゃハマってたわ なんで京にいきたかったんやろ
趣味が講じてってやつか あのイメージを作られたのはなぜかっての
調べても出てこない
バカ殿?ちがうよ有能だよ みたいなやりとりは腐るほど出てくるが そもそも公家顔を悪いと思うのがおかしい
時代劇やバカ殿なんかの悪印象を引きずってるせいやろ
信長の野望は公家顔で強キャラだったのに >>82
信長の野望で能力低かったことなんてないだすよね >>89
当時神輿で移動するのはステータスなんやで
今川はただの武家とは違うんやで 麻呂キャラはどうかと思うけど今の有能貴公子キャラもなんか個性がなくて違う しかも信長も別に奇襲仕掛けたとかじゃなくて正面突破で負けてるんやろ
どんだけ間抜けやねん >>92
圧倒的兵数差なのに信長に討たれた無能ってことで言いたい放題になってたからな よくよく調べると偉大なのは親の氏親でむしろ義元は親の遺産(戦国大名になるための国人統制、分国法制定、駿河遠江平定)を桶狭間の討死によって一代でダメにしてんだよな 烏丸少将くらいしか知らんわ
公家でカッコいいキャラ 今川義元←雪斎のお陰とも言われるがまあ再評価される
朝倉義景←時代が変わっても宗滴のお陰のまま
この違い・・・ 雪斎が超絶有能で西三河と尾張東部を獲得したはいいけど義元にはそれを維持する能力はなかった >>105
朝倉義景は地元では英雄扱いとちがうんか 風林火山で冷酷イケメンハゲ今川義元が人気を集める
↓
すかさず自分のとこのゲームでもパクる
コーエーさんのミーハーっぷりよ >>103
柳生よりも強い剣の達人公家とかロマンの塊やな
実在しないらしいけど >>99
合戦で戦死した大名って
今川義元
竜造寺隆信
扇谷上杉朝定
斎藤道三
あたりか >>105
あちゃくらさんはゴロツキのノッブと関わり合いになりたくなかったんやと思うわ 義元死後に今川は求心力失って衰退してるから今川に必要な棟梁だったとはいえる 包囲網の時に雪積もって来たから帰るねって義景退却して信玄めちゃくちゃキレてて草生える そろそろ織田信長の他にも未来人を受け入れてくれそうな便利偉人を発掘しとかないと信長のとこが渋滞しそうや >>94
風雲録 統率** 武勇79 智謀** 政治87 魅力92
覇王伝 統率83 武勇65 智謀58 政治87 魅力**
革 新 統率85 武勇70 智謀79 政治89
創 造 統率93 武勇63 智謀87 政治98
段々評価が上がっておるw 家康「氏政の弟の家系大名にして後北条氏再興するわ」
家康「息子に武田名乗らせて大名家再興するぞ」
家康「あ、今川は旗本なw」
なぜなのか 朝倉義景とかいつどーしようもない奴の肩を最後まで持った
浅井長政もバカだよな
信長も義弟ゆえ許すから降伏しろって言ってたのに 政治98とか信長氏康や秀吉と同じレベルじゃないの。石田三成とかどういう数値になってるか知らんが 浅井長政とかいう絶対必要だけどすぐ死ぬからいじれない人 太原雪斎も過大評価やと思うわ
後北条と対等な同盟結ばされてる時点でいろいろ失敗しとったやろ ちなみに三国同盟の方々
義元 統率93 武勇63 智謀87 政治98
信玄 統率100 武勇88 智謀94 政治97
氏康 統率95 武勇86 智謀95 政治99
やっぱ三国同盟締結かな? あの戦力差あってサラッと負けて消えた所と麻呂なのが悪いんじゃない >>128
まぁ無理じゃないかな
結ぶ当時はそれぞれ敵を抱えてて国力も拮抗してたし
相手に自分の要求を呑ますにはそれ相応に自信が巨大じゃないと難しい でも信玄には戦国最強武将が
吉本には戦国の主人公が立ちふさがる
一方北条 三国同盟で一番得したのは今川だろう
格下で国内分裂状態の織田家とか赤子の手をひねるが如し
謙信押し付けられた信玄だけの貧乏くじ >>57
普通に家来にナメられてたと思うんだ
あと氏真の子供も再興しようと思わなかったんかなぁ(家康に謀反ではなくその下としてだけど) >>138
二○堂「ほーん、俺の前でそんな事いえんの?」 >>137
剣術の腕前がすごいんだあああああとか擁護されてなかった?
金で買っただけだと思うけど 信長に負けず尾張を手に入れていたら京まで行けたの? >>136
俺は好きだよ
武将としてはだめだったけど
早川殿と夫婦二人三脚で戦国時代を生き抜いて
持ち前の高い教養で朝廷との接待役になって幕末まで今川家を高家として残した偉人 >>136
嫁と仲良くてそれなりに人生楽しそうだったしセーフ 島津も化粧してたらしいやん?
今の常識とは違うもんなあ
常識なんてそんなもんよ
外国に行っただけで違うし >>128
後北条を巻き込んで武田と対等同盟とみれば悪くないんちゃう?
後北条君は実質身内やから同盟なくても今川からは侵攻しないし後北条からも侵攻ないし
なお 桶狭間の戦いで負けなかったとしてもなんやかんやで滅亡あるいは家康に乗っ取られてそう 磨呂眉、白塗り、お歯黒はあまりにも不気味すぎて時代劇では基本無かったことにされるよな
平清盛は視聴率捨ててその辺割とちゃんとやってた 室町時代にブイブイ言わせてた奴全員没落してんの
笑える
山名とか畠山とか斯波とか六角とかゴミばっか 六角「家柄S 立地S」←こいつが天下取れなかった理由 >>150
色んな説あるけど
自分は鳴海城救援とついでに尾張一部か全土を手中に収めるつもりで行ったんじゃないかと思ってる
信長は大うつけってバカにされてたし >>154
つか逃げ上手の若君に出てくるほとんどの連中 >>157
赤松も守護代の浦上や別所が台頭して衰退してなかったか 領土拡大のチャンスだから隣を攻めただけってのが最近のトレンド >>152
家康が外向きになったのは後半やからなあ
義元と雪斎の墓参りは欠かさんかったらしいし
今川続いてたら今川を支える将とかの中にいて終わりやったかもな >>57
難易度ベリーハードの状態でのスタートやったからな
普通の価値観で戦国大名やってたら間違いなく早死してたと思う
当時の常識や恥、外聞を気にもせず親の敵や元部下に媚びへつらって結果
激動の時代を戦とは無縁の悠々自適に人生謳歌出来たのは勝ち組と言える 義元が生きてたら家臣の岡部元信がとんでもない猛将になってたかもしれない >>151
後北条とやりあってるやで
三国同盟以後の話やなくてそこに至るまでの話や 今川健在ならノッブの天運は尽きてたやろなあ
八方ふさがりや >>164
家康は誰かの下にいる時は大人しいけどそいつがいなくなった途端に暴れるからな >>158
なんなら武田信玄の西上作戦もそうだよな
2万3万そこらの兵で京を目指して何ができるねんと 家康は基本的にかなり義のある武将で義元がおったら義元に忠誠誓ったままやろうし
信長おったら信長にもそうやろう
秀吉にも屈服させられてからはひたすら従ってるわけで
ただ別に家臣ではなく元から一国の大名やから個人に従っても家にまでは従わん >>156
佐々木宗家やけど
鎌倉に付いて尊氏と戦って
分家の佐々木道誉(京極氏)に色々仲介してもらったから
形見が狭い
管領代にはなってる時期もあるが 信長は荒れ果てた京都と室町幕府再興が目的だった話は結構好き
義昭がどーしようもないやつで
全く政治しないから代わりに信長がやるしかなくなって、意見書を出したら逆ギレされて武装蜂起するから京都から追放しなくちゃいけなくなったり
行き着いた先の毛利も困ってて「早く戻ってこい」って信長の書状があったり >>178
割りと保守的な人間でどうして...ってなってそう >>171
朽木とか高島とか近江の同族が将軍奉公衆になって
六角の影響下から離れるのが苦々しかったんでは ドジャースの戦力あるのに
舐めプして中日に負けるような監督って感じか >>177
秀頼に孫娘を嫁がせてるんだからそらそうよ
次の代まで大人しくしていれば徳川の一族になれた
大人しくしてればなぁ… 義元も織田さえ倒せたらそのまま西に行けなくはない
ただ跡継ぎのこと考えたら義元でどこまで伸ばせても結局今川は駄目だったんじゃないかと思う >>174
あれも義昭の要請を大義名分に
遠江、三河、尾張の一部を取りに来ただけだな
切り取り自由だったし >>176
六角も対三好長慶してた頃は存在感あったんやけどな
浅井に刃向かわれてからはパッとしないまま滅んだな >>185
松平元康に後継者級の教育施してるからその後については元康に期待してそう おまえらもしかして谷原章介じゃなかったら、それまでのような路線の俳優でもこんなことになってた? 義元
家督相続後は家中を安定させました
初期に北条に譲った以外に失った領土はありません
長年争った武田北条と同盟しました
民草が飢えなくなり一揆も減りました
松平元康とかいうガキを一門衆にしました
織田は滅亡寸前です
なぜ一時でも無能になったのか >>190
根切りにしたのは比叡山やなくて長島やろ 勝頼はめっちゃ再評価されてるよな
最大の版図を築いたとかで
まあ統治できなきゃ意味ないんやが >>184
子作り出来る様になったら即全精力を千姫に注ぎ込むべきやったわ
前田はそうした >>197
少なくともあんな惨めな最期を迎えるほどの人間じゃないわな >>192
そのあたりが元で再評価されてる節があるよな >>197
あの時点の信長に勝つのが難易度高過ぎるから 武田北条と仲良くして西へってちゃんと根回ししてたのに負けるの酷くない あと長篠の戦いも従来は信長の先進的なアイデアの前に無謀な戦いしかけたアホ勝頼って構図だったけど
これも否定されとるわね >>188
数字はわからんけど
一応内政はしっかりやってた
軍事面は太原雪斎がバリバリやってたけど
義元は今川佳奈目録を改訂したり
やることはちゃんとやってて
今川義元時代には駿府は最盛期を迎えた
悲しいことに武田信玄にボロボロに破壊されちゃうんだけど >>199
いやいや御館の乱の介入ガイジムーブかましといてさぁ
当然の末路やろ >>206
中立だからまだいいんだ
明確に景勝の肩持って北条方と敵対したわけじゃないから
むしろそのくらいでキレた北条が悪い 義元が生きてたら上杉対三国同盟もあり得たんやろか? >>207
あんなもん完全に金に目がくらんで
北条に喧嘩売ったも同然やろ 御館で景虎勝つとそれはそれで北条がデカくなりすぎるんだ
伊達蘆名も実質傘下辺りまで行っててさらに上杉も傘下に 御館の乱のこともあるし
更に平山優は
戦うべきでない戦(長篠)を戦い
戦うべき戦(家康の駿府乱入)を戦わなかった
と指摘してたな
毛利と同じで最終的に追い詰められたろうけど
慎重な両川に比べるといろいろ下手を打った点は否めない 信長の野望で再評価、スーパーマンになるような家臣おりゅ? >>197
あのクラスの大名なら誰でもしばらくは勢いで拡大できるからな >>194
運がなかったから
戦場で大将が討ち死にというのはかなりレアやからな
やからこそ戦場で将軍首狩りマンの家久が有名になるわけで
奇襲で敗勢になったとしても100回やって1回死ぬかってところに当たった >>210
景虎が勝ったらそうなるな
最後は北条に吸収されてた
そのあとに秀吉とどう戦うかは見てみたい気もするけど かなり武闘派らしいぞ
自分の首とりにきた4人までぶったぎって5人目の毛利新介の指食いちぎって果てた >>190
山になぜ女がいるのだか
後は子供もな
稚児かな? 今川義元ってたまたまアホなミスして負けたけど
それがなかったら信長に勝ってて信長が天下取れなくて江戸幕府できてないんだろ?
今の日本があるのは偶然 >>197
国人どもに舐められてるから最大判図築いて舐められないようにしたら高天神見殺して信頼なくす
国人がうるせえから権力強化のために中央集権図ったら反感喰らって裏切り続出
まあ何しても無理やったやろな ノッブが台頭してなかったら最悪島津あたりが天下取ってた可能性がマジである >>190
まぁあれはいちいち一人一人首なんか切ってられないってのもあるけど
当時の比叡山はすこぶる評判悪くて
若い娘や金を信徒に献上させたり
鉄砲とかで武装してたり
すげー危険なオウム真理教みたいなもんで
信長自身も弟や重臣を56されたり
朝倉、浅井を匿うなら滅ぼすって警告したのに無視したから
ちなみに明智光秀は坂本がもらえるって焼き討ちに積極的だった
反対したってのは誤り 義忠 遠征先で頓死
氏親 脳卒中
氏輝 早世
義元 遠征先で頓死
氏真 天寿を全う
まあまあハードやな 勝頼も氏真も劉禅も一定の再評価されてるけど正真正銘の無能っておるんか >>225
義元は花倉の乱からしてハードだよな
いきなり兄貴二人は同時に死ぬし
家督継承なんか回ってこないつもりで出家させられたのに呼び戻されて
弟の玄広恵探は武装蜂起して家中は二つに割れるし >>226
小早川秀秋
まあ若干20歳すぎにして肝硬変を成し遂げたことを評価する向きもあるが… >>229
そいつは早死しただけで無能ではないやろ
勝ち馬に乗ってるし >>226
海の向こうの東ローマ帝国のアンゲロス朝なんて歴代皇帝が全員無能とWikipediaにすら書かれてしまうレベルやぞ
ちな5代19年という年数で実態を察してほしい >>224
消極的どころか作戦立案者は光秀さんやもんな >>226
大友義統は良い評価聞かないね
島津から逃げ朝鮮でも逃げて最後は改易 >>128
今川氏親の時代に伊勢宗瑞がめちゃくちゃ活躍しとるから今川方も強くは出られんやろ
そもそも氏綱がクソほど有能過ぎて今川領土取られとるしな 武田信玄さんの裏切りの名手っぷりってなかなかすごいよな >>229
内応は予定調和だったとはいえ
自責の念で心病んで死ぬのは可哀想だったな 基本武将のいいところを押し出して描くセンゴクにおいて突出して無能に描かれたキャラ
上杉朝興
一条兼定 >>238
あいつアル中で肝臓の病気で関ヶ原前から既に死にかけやぞ 岩倉使節団の岩倉公こそむっちゃ公家で
ロンドンすごいでおじゃる!!とか多分言ってただろうけど
ネタにならん >>204
両軍ともめちゃくちゃ戦死出してるからね。少なくともワンサイドゲームじゃなかった >>240
前なのか
やばすぎやろ、あんな若いのに 大河武田信玄あたりから実はいい描かれ方してた今川義元 家康「織田に弔い合戦して復讐しましょう!」
氏真「重臣大量に亡くなって余裕ないから無理」
家康「なんやこいつ裏切って三河切り取ったあと織田と同盟したろ!」
なぜこいつが義理堅いと思われていたのか 10年後も20年後もこうやって議論し続けるんやろなぁ
これぞ歴史のロマンよ >>226
負けたらボロクソに貶されるのが古今東西世の常だから負けた方が無能に書かれるだけやろ >>214
信長もまさか最初の戦で義元の首取れるなんてめっちゃビックリしたやろね でも義元が上洛したらどうなってたんやろ
あの頃ってまだ三好全盛期で機内5万ぐらいの軍は動員できたはずやから教科書載るレベルのどエライ合戦になってたんやろか >>244
10代前半から酒飲みまくって宴会大好きで借金しまくりのやべーやつや >>247
弟兄貴浅井足利武田上杉毛利松永荒木etcと裏切られまくった信長を裏切らなかった男やからな >>239
一条兼定がガチの無能なら大友から兵を引っ張ってこれたりしない
上杉朝興も生涯ほぼ負け無しの氏綱に土つけてるから無能ではない >>226
三好長治
数十年忠誠尽くしてきた家老を粛清した上に自国内で改宗強行して国がガタガタになって滅亡まっしぐら >>252
キミは裏切りっていうか勤め先が無くなったパターンの方が多いからしゃーない 今川北条長尾で結んで甲斐信濃を分割した方が良かったな
今川と上杉は領土が横に長くて収まりが悪いわ >>251
近江の六角や伊勢の北畠なんかに上洛要請のお手紙ないしなにより義元どちらかというと分国法作って室町幕府とかしらんし勝手にやるわなスタンスだから上洛する理由もなくないか >>247
氏政「武田と再び同盟組むわ」
早川殿「今川を駿府に戻すって約束は!?💢」
氏政「なかったことに」
早川殿「もういいわ!アナタ行くわよ!💢」
氏真「どこへ?💦」
早川殿「家康様、今川を駿府へ戻す約束を叶えてもらうためにやってまいりました」
氏真&家康「ファッ!?」
これ好き >>263
関ヶ原の布陣を見たら
毛利が内通してないなら家康はあそこに陣取らないし
秀秋が敵なら三成はあそこに陣取らないくらい秀秋のポジションは三成方や 最近なにかと義元は本当は上洛する気は無かったって説見かけるけどじゃあ一体何しに兵を率いて尾張まで来たんや >>265
そもそもその布陣図って信用できないんやろ >>265
三成の予言通り毛利の領土ほとんど削り取られて草 >>267
まあせやなつーか関ヶ原ってくっそ狭いからな
あそこで10万規模の合戦なんて無理やで
大垣城を出て退却中の三成方しんがりを福島と加藤が強襲して終わったとかのが納得するくらい >>266
尾張は信長の親父の信秀の時から狙ってた
当主がうつけになったから絶好のチャンスだと思ったんやろな
俺でも取りに行く 小早川秀秋は裏切り者、早死した小心者のイメージだったけど近年では割と荒々しい気性の若武者だったんじゃないかと言われてる
朝鮮侵攻でも活躍してる
三成に嫌味でも言われてその場の勢いで裏切ったんじゃないか割とマジで
早死したのは酒の飲み過ぎによる肝硬変じゃないかというのも後先考えてない馬鹿っぽい >>267
より当時に近い古い資料だけで考察したら
西軍があっさりと総崩れのロマンも何もない感じになるんだっけ ぶっちゃけ太原雪斎死んだ途端にコレじゃあどうせどっかでやらかしてた感がすごい >>269
毛利にとっては東西別れて戦自体起こさせないのが吉だったのにな
前田はそうしたのに輝元のアホ 一番過大評価が酷い大名って実は島津なんじゃねって思う >>257
センゴクの描写やとホレホレおじさん(上杉朝興)は無能で家臣は有能
足利義昭もなかなか無能に描かれてた気がする 有能だろうと環境に恵まれてないとどうしようもない部分もあるしやっぱ運やな >>280
有能鬱おじさん三好長慶、4年で兄弟と息子が死ぬ >>273
小早川も昼まで迷ってたとかじゃなくて
開戦した途端に大谷隊に襲いかかったとか 上洛って織田みたいに領地とっていって到達するもんだと思ってたけど今川や武田の上洛はよくわからん
ぱっと見旅行気分にも見える >>275
前田は東軍として出陣して西軍方とやりあってるで 外様でもうまく藩として残したところはうまくやった思うわ
うまく家督できなかったり、改易される隙を与えた外様大名は得てしてだめだと思うわ >>283
よほどの根回ししやな無理やからな
その根回しした形跡は今川武田とも無い >>283
基本的に幕府に軍勢つれて挨拶できたらまあokや
なんで道中の国主にお手紙だして通行許可もらえば喧嘩せずに上洛もできる >>30
息子の氏真が江戸にきて家康ズッ友アピがすごくて家康はウゼーって引っ越したんやで 戦国時代の始まる前で群雄割拠のままどこも平定されてないのに天下が近いってどういうこっちゃ?
ノッブにしてもサッルにしてもある程度戦国抵抗勢力潰してから天下人なっとるのに >>283
いや領地取って行くもんやで
義元もまずは尾張で完全試合、次に伊勢北畠と近江六角を軽く捻って、最後に三好と決勝戦
これで上洛成功=戦国の世を終わらすつもりだったんだろうな >>283
信長とか義龍とか六角健在のまま上洛しとるやろ >>284
関ヶ原になる前の話で
たぬき親父の真骨頂で家康の狙いはどこでもいいから戦を起こさせるのが狙いって前田は見抜いてて
あえて喧嘩に乗らなかったって話
五大老で誰も家康に叶うやつなんかいないくらい既に政治工作されとったし >>291
そうだっけ?
とりあえず斎藤家と六角家滅ぼして足利義昭のフラグ立ててから上洛してた気がする >>289
少なくとも領地で治世を敷いて評判も知れ渡っていた
この人なら天下を任せてもいいんじゃないかと考える賛同者はおそらくたくさんいたんじゃないか
もしイチローが〜の監督になるなら年俸安くても移籍したいって選手がたくさんいる状況 上洛自体は大内義興がとっくに成功してるが、まぁだから何だって話になる >>289
そもそもまだ幕府はあるからな
今川の立場だと織田領は欲しいので潰すとして斎藤六角浅井らには
足利幕府の大名に戻るなら官位貰って領地も安堵したるから協力しろでええんや
弱った幕府を支える今川を盟主にした東海道中部同盟に逆らえるのは三好だけ! >>243
バカ殿のモデルは徳川将軍の誰かだった気がする 足利義昭さんは再評価されてるし義輝さんもイメージ補正で評価されることあるけど義栄さんは史実でもフィクションでも扱い悪すぎて草なんだ ここでいう上洛はただの貢物渡して官位もらいに行くような上洛じゃなくて道中の大名蹴散らしながら突き進むガチの天下取りの上洛な >>300
この時代は家格が重要なとこあるから
三好家とか長慶時代は応仁、両細川の乱からつづく畿内動乱沈めて京や畿内の復興、細川時代からつづく茶道や連歌、能楽等の文化支援、地下銭廃止による民間経済の活性化や朝廷との良好な関係性まで築いたけど元が将軍の部下の管領のその部下の陪臣とかいうクソ低い身分だから周辺大名がわりと反発しやすい状態だし 信長に殺されなかったら、信玄に殺されてる
信玄には奇襲ではなく正面切って支城を順繰りに落とされ、領土を蹂躙されたあげくに首を落とされてる >>279
義昭も信長包囲網作ったりしてるし無能とは言い切れんところがあるし何ともなぁ
ワイ等は答えを知っとるからあいつアホやなーって眺める視点で見られるから間違える大名をアホ扱いしてまうんやと思う >>304
寿命がね
血筋も元は関東の堀越公方のほうになるから正当性では一段落ちるし
むしろ義栄を十四代将軍に就任させた篠原長房がなにげにすごいことしとる >>298
信長公記
御敵今川義元は四万五千を率い、おけはざま山に人馬を休息させていた。
永禄三年五月十九日
午の刻(11~13時)、戌亥(北西)に向かって軍勢を備え、鷲津・丸根砦を攻め落として"満足これに過ぎるものはない"と、義元は謡を三番唄ったという。 >>302
あのその弱った幕府どうにか立て直そうとしてたのが三好家なんですがいいんスかねそれ >>294
松永「また俺が悪くいわれてる・・・酷いよ」 >>294
その松永さんですら近年は実は凄い忠義者だったって説があるくらいやもんなぁ >>314
でもあなた肝心な時期に義昭を朝倉に引き抜かれて三好家詰ませましたよね? >>314
クリスマスを楽しむやつなんか滅びればええんや ここ最近の「信長は実は保守的だった」「秀吉は陰湿だった」「上杉謙信は不義理だった」「松永久秀は忠臣だった」「宇喜多直家は誠実」みたいな逆張り路線ほーんま嫌い なぜ〜は力を持ちながら天下を取りに行かなかったのか
みたいなこと良く言われるけど
大大名は皆んな自国の安定しか考えてなくて
天下統一しようなんて発想そのものがないやろ
信長すら天下統一は敵を順番に叩いた結果論でしかねーわ 歴史の再評価ってなんで0から100みたいな極端なやつばっかになるんやろな
もっとバランスの取れた中間の評価があるやろうに >>319
松永が忠臣化したから長慶が実質乱世の梟雄化したのわりとすき でも、目がキラキラしている宇喜多直家はそれはそれで嫌だなあ・・・ >>319
逆張りでもなんでもなくて中央権力とのつながりが尾張>>>>>>>>駿河遠江だからなあ
今川に斯波氏カードなんてないしw >>326
奇襲じゃなかったら余計まずいじゃないですか >>320
面白いからそれでええやん
過程が違うだけで結果は同じやろ? >>315
摂津の豪農の息子が兄弟揃って長慶に引き立てられて兄弟どちらも文官と武官で重用されて兄は大和、弟は丹波の国主にまで優遇されてるからなあ
久秀に至っては帝の相婿だしここまでされたら裏切るとか企むとかのリスクのがでかすぎるし恩もでかい そもそも今川ってワンチャン将軍になれてたようなガチ名門やからなぁ
別に主君が誰であろうと強力な勢力であることには変わりなかった
最近は家の力を過小評価して個人の力を過剰に捉え過ぎな気がするわ 三好家乗っ取りも企まず
将軍暗殺もせず
東大寺も焼き討ちしない
ボンバーマンでもない
そんな松永久秀なんか松永久秀じゃないよ >>315
創作やけどじんかんの聖人久秀は面白かったわ >>319
人間なんて色んな面があるんだから何とでも言えるんだよね
足利尊氏なんて何言うてもええし >>329
応仁の乱始まる前に時点で義敏派と義廉派に分かれて内紛やし
しかも乱で長い間領地空けたせいで守護代の力が強まるし >>329
まぁ室町の初代からして圧倒的名門の筈が佐々木道誉に追いやられた負け犬やからな
元から家格があるだけ実力は感じさせない家やわ 信長保守的常識人説はじゃあどこに優位があったんだよって聞きたくなる >>340
尾張が立地最高
普通のことを普通にやりきるというのも有能な証
思想は保守的だけど戦略戦術は超一流 >>326
奇襲っていうか横腹をついて前衛を破ったら意図せず義元の本陣がありました、らしい >>335
息子がガッツリ将軍暗殺に参加しててその後も息子と活動してるのにな >>340
伊勢湾の経済力
優秀な家臣団
機内に比較的に近かった
本当にやべー武田は徳川と睨み合ってた
三好は自滅していった
とか色々 >>340
尾張の経済力と義昭確保に上洛までの道中の大国が大抵内訌おこしてる運
これに組織力あるのが強かった >>322
弟の長頼の方が実は超絶有能だった説とかもあるよな
ただ松永兄弟はマジでとんでもない有能だったのは間違いないし
今より遥かに家柄やら血筋が権威を持つ時代にあそこまで出世するのは本当に凄いわ こんな散々擦られたネタでスレ立てって哲学ニュースnwk辺りか? 信長は時々やってる真っ先に駆けつけてそのまま味方が揃えば襲うってのが強すぎる
誰に習ったか知らんがそれって1次大戦後半くらいに広まったやり方やし なろうで作品になりそう
転生したら南部家で奉公することになっちゃいました
実は俺松永弾正は忠義者だったのです 三好長慶は復讐してたら成り行きで天下人になった感が強くて野心が感じられない >>340
信長さんの優位性は祖父が湊押さえて経済基盤を確保
親父が経済圏拡大&朝廷に寄進しまくって関係強化
それから信長登場やから一代であそこまで拡大出来たんやなくてしっかり道筋付けてもろうとるんよな >>319
信長は保守的というか
戦前に信長の革新性を象徴するとして提唱されはじめた楽市楽座、兵農分離といった政策の実態が
呉座勇一先生らも言う通り現在の中世史学で否定されとるんや
比叡山焼き討ちは政教分離!とか信長が熱田衆や根来衆などの宗教勢力を利用したことと矛盾するし
【呉座勇一の日本史講義】織田信長は革命児か
https://www.youtube.com/live/tjcB1eEoO6U?si=oCKbeR2hA7j5livq
>>340
信長には虚像の楽市楽座が膾炙しとるが
畿内の諸勢力に多額の矢銭を課税、京で三好が廃止した地子銭を復活、安堵した座から座役銭を徴収
といった旧来的な政策はまるで影が薄い >>348
三好長慶自身が直に扱える部下がおらず一族衆も叔父の後の三人衆の長逸ぐらいで人手いないから本拠地の摂津から人集めるしかなかったからなあ
松永兄弟に岩成、野間兄弟、松山、鳥養とか三好家臣って地下の出が結構多い
弟たちや笑岩や篠原は阿波細川家被官だから使えないといえ長慶はほんまようやっとる 松永久秀は別に実は忠臣だったとかまでは皆言ってなくていうほど裏切りの人でもなかったっていう話では >>352
やったことは三好宗家分家の主導権争いと可愛らしいよくあることよな
結果が畿内から足利将軍と細川管領を蹴り出してるの大事故すぎる >>350
天王寺砦の時とかもやったらしいな
光秀の窮地救うためとは言え下手したら死んでるわ >>358
三好宗家に対しては忠臣で間違いなさそう
足利幕府の仕事やってる時も義輝より長慶優先するし後に義継逃げてきた時も保護してるし >>358
本人はいたって普通な人だけど
やったかどうだかわからない東大寺を燃やしたとかいうので
「戦国の梟雄」とか変なあだ名つけられたのが可哀想ね >>354
リベラルから批判されてる保守的な学者やんけ >>362
あと信長に対して2回叛した事でも言われてそう
光秀が成功しちゃったから尚更
あれも大和での筒井との勢力争いで織田が筒井側の肩をもったのが原因らしいが 畿内史に詳しい天野忠幸先生いわく織田信長が勢力を拡大させる一方で家臣から謀反が頻発したのは
信長から課される際限なき軍役への疲弊や尾張閥と外様の扱いの差への不満が背景にあったという
信長に謀反した重臣として有名な荒木村重と松永久秀はともに外様の出身
呉座先生も織田家をブラック企業的体質と指摘し光秀と他の謀反者との違いは信長を直接討てる状況にあったかの違いに過ぎないとする
>>363
織豊期を実像以上に革新的とする風潮はむしろ戦後のリベラルというかマルクス主義史学で広がった
太閤検地を封建革命と称した安良城盛昭あたりが有名 >>365
信長は明智でなくとも多大な軍権を授けた軍団長の誰かにいつか殺られただろうとの見方を示していたと思うが
それはそれでかなC >>154
京極って都合よく政経も吉童子丸も死んで後見人の尼子が勢力拡大したけど
あれ経久が仕組んだのかね?たまたま運良く京極が死んだだけなのかね? >>319
上杉謙信は武田が塩で困ってる時に
越後の商人達には「値段釣り上げることも、値下げして安売りすることも禁止な」って書状出してるのがわかってるから
敵に塩を送るとかいうか普通に商売してねって感じだったのは確からしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています