今川義元←こいつバカにしてるやつ完全ににわかだよな
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>>326
奇襲じゃなかったら余計まずいじゃないですか >>320
面白いからそれでええやん
過程が違うだけで結果は同じやろ? >>315
摂津の豪農の息子が兄弟揃って長慶に引き立てられて兄弟どちらも文官と武官で重用されて兄は大和、弟は丹波の国主にまで優遇されてるからなあ
久秀に至っては帝の相婿だしここまでされたら裏切るとか企むとかのリスクのがでかすぎるし恩もでかい そもそも今川ってワンチャン将軍になれてたようなガチ名門やからなぁ
別に主君が誰であろうと強力な勢力であることには変わりなかった
最近は家の力を過小評価して個人の力を過剰に捉え過ぎな気がするわ 三好家乗っ取りも企まず
将軍暗殺もせず
東大寺も焼き討ちしない
ボンバーマンでもない
そんな松永久秀なんか松永久秀じゃないよ >>315
創作やけどじんかんの聖人久秀は面白かったわ >>319
人間なんて色んな面があるんだから何とでも言えるんだよね
足利尊氏なんて何言うてもええし >>329
応仁の乱始まる前に時点で義敏派と義廉派に分かれて内紛やし
しかも乱で長い間領地空けたせいで守護代の力が強まるし >>329
まぁ室町の初代からして圧倒的名門の筈が佐々木道誉に追いやられた負け犬やからな
元から家格があるだけ実力は感じさせない家やわ 信長保守的常識人説はじゃあどこに優位があったんだよって聞きたくなる >>340
尾張が立地最高
普通のことを普通にやりきるというのも有能な証
思想は保守的だけど戦略戦術は超一流 >>326
奇襲っていうか横腹をついて前衛を破ったら意図せず義元の本陣がありました、らしい >>335
息子がガッツリ将軍暗殺に参加しててその後も息子と活動してるのにな >>340
伊勢湾の経済力
優秀な家臣団
機内に比較的に近かった
本当にやべー武田は徳川と睨み合ってた
三好は自滅していった
とか色々 >>340
尾張の経済力と義昭確保に上洛までの道中の大国が大抵内訌おこしてる運
これに組織力あるのが強かった >>322
弟の長頼の方が実は超絶有能だった説とかもあるよな
ただ松永兄弟はマジでとんでもない有能だったのは間違いないし
今より遥かに家柄やら血筋が権威を持つ時代にあそこまで出世するのは本当に凄いわ こんな散々擦られたネタでスレ立てって哲学ニュースnwk辺りか? 信長は時々やってる真っ先に駆けつけてそのまま味方が揃えば襲うってのが強すぎる
誰に習ったか知らんがそれって1次大戦後半くらいに広まったやり方やし なろうで作品になりそう
転生したら南部家で奉公することになっちゃいました
実は俺松永弾正は忠義者だったのです 三好長慶は復讐してたら成り行きで天下人になった感が強くて野心が感じられない >>340
信長さんの優位性は祖父が湊押さえて経済基盤を確保
親父が経済圏拡大&朝廷に寄進しまくって関係強化
それから信長登場やから一代であそこまで拡大出来たんやなくてしっかり道筋付けてもろうとるんよな >>319
信長は保守的というか
戦前に信長の革新性を象徴するとして提唱されはじめた楽市楽座、兵農分離といった政策の実態が
呉座勇一先生らも言う通り現在の中世史学で否定されとるんや
比叡山焼き討ちは政教分離!とか信長が熱田衆や根来衆などの宗教勢力を利用したことと矛盾するし
【呉座勇一の日本史講義】織田信長は革命児か
https://www.youtube.com/live/tjcB1eEoO6U?si=oCKbeR2hA7j5livq
>>340
信長には虚像の楽市楽座が膾炙しとるが
畿内の諸勢力に多額の矢銭を課税、京で三好が廃止した地子銭を復活、安堵した座から座役銭を徴収
といった旧来的な政策はまるで影が薄い >>348
三好長慶自身が直に扱える部下がおらず一族衆も叔父の後の三人衆の長逸ぐらいで人手いないから本拠地の摂津から人集めるしかなかったからなあ
松永兄弟に岩成、野間兄弟、松山、鳥養とか三好家臣って地下の出が結構多い
弟たちや笑岩や篠原は阿波細川家被官だから使えないといえ長慶はほんまようやっとる 松永久秀は別に実は忠臣だったとかまでは皆言ってなくていうほど裏切りの人でもなかったっていう話では >>352
やったことは三好宗家分家の主導権争いと可愛らしいよくあることよな
結果が畿内から足利将軍と細川管領を蹴り出してるの大事故すぎる >>350
天王寺砦の時とかもやったらしいな
光秀の窮地救うためとは言え下手したら死んでるわ >>358
三好宗家に対しては忠臣で間違いなさそう
足利幕府の仕事やってる時も義輝より長慶優先するし後に義継逃げてきた時も保護してるし >>358
本人はいたって普通な人だけど
やったかどうだかわからない東大寺を燃やしたとかいうので
「戦国の梟雄」とか変なあだ名つけられたのが可哀想ね >>354
リベラルから批判されてる保守的な学者やんけ >>362
あと信長に対して2回叛した事でも言われてそう
光秀が成功しちゃったから尚更
あれも大和での筒井との勢力争いで織田が筒井側の肩をもったのが原因らしいが 畿内史に詳しい天野忠幸先生いわく織田信長が勢力を拡大させる一方で家臣から謀反が頻発したのは
信長から課される際限なき軍役への疲弊や尾張閥と外様の扱いの差への不満が背景にあったという
信長に謀反した重臣として有名な荒木村重と松永久秀はともに外様の出身
呉座先生も織田家をブラック企業的体質と指摘し光秀と他の謀反者との違いは信長を直接討てる状況にあったかの違いに過ぎないとする
>>363
織豊期を実像以上に革新的とする風潮はむしろ戦後のリベラルというかマルクス主義史学で広がった
太閤検地を封建革命と称した安良城盛昭あたりが有名 >>365
信長は明智でなくとも多大な軍権を授けた軍団長の誰かにいつか殺られただろうとの見方を示していたと思うが
それはそれでかなC >>154
京極って都合よく政経も吉童子丸も死んで後見人の尼子が勢力拡大したけど
あれ経久が仕組んだのかね?たまたま運良く京極が死んだだけなのかね? >>319
上杉謙信は武田が塩で困ってる時に
越後の商人達には「値段釣り上げることも、値下げして安売りすることも禁止な」って書状出してるのがわかってるから
敵に塩を送るとかいうか普通に商売してねって感じだったのは確からしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています