江戸時代の食事「山盛りご飯!漬物!味噌汁!」
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白米はビタミンE以外は完全食なので飯さえ食ってればいいんだよ ご飯の大盛りも今で言うデカ盛りみたいな盛り方してたんやろ?
お腹はいっぱいにはなるやろ
味気ないだけで 江戸は寒かったから頻繁に飢饉がおこってたろ
歴史の教科書にもあるはず >>3
デカい寿司食ってたらしいし
タンパク質はまあ足りてるんちゃうか 味噌なんて食えたか?
調味料は明治昭和でも貴重やったしなあ めちゃくちゃ肉体労働してるからエネルギーだけは取るんだよな >>6
都市部は長屋で飯炊きなんかしたら火事になるからみんな外食やで 当時タンパク質という概念はあったんかな
大豆系の料理食べまくればいけそうだが 日が暮れたら寝てたんだから日中やることだらけで食う暇なさそう 参勤交代に付いていった武士はやることなくて糞暇やから昼から飲み屋で飲んだくれてたらしいな ご飯どれくらい不味かったんだろ
まともなご飯なら卵と醤油があれば生きて行けるわ >>21
獣扱いされる
仏教の影響で、肉をまともに食うようになったのは明治以降 好き嫌い激しい人があの時代にタイムスリップしたらまず食事面で詰みそう
今は嫌いな物があったら避けられる時代だしな 朝に晩御飯分も含めて飯をたんまり炊く
総菜屋で惣菜買って帰る ファストフード・コンビニ飯と安風俗で、ぼっちの性病中年孤独死
今の東京賃貸奴隷層と内実は一緒やね なんや参勤交代で江戸来たら体調おかしいわ…江戸患いヤバいわ
国に戻ったらケロッと治る模様 タンパク質は豆腐やぞ
あいつら豆腐ばかり食ってたからな 農薬も化学調味料もないから全部の食材がめちゃくちゃ甘味も旨味もコクが凄くて美味かった >>20
ハレとケや 休みや祭りの時に働いてたら村八分にされるで ご飯食べまくってたら糖尿病なりそう
当時糖尿病はどういう診断だったんやろ >>33
品種改良されてないからエグみがクソあって不味い定期 ぶっちゃけ豆腐・納豆・おしんこ・梅干し・野菜とひじきと油揚げの煮物あれば
21世紀の今でも余裕よね >>39
卵追加や
卵料理だけで100種類以上あるくらい大人気やったで 里芋の煮っころがし、かぼちゃの煮つけも落語頻出の江戸期の総菜やな >>37
江戸末期で蜜尿って呼ばれとった模様
それまではなんやよう分からん病やな~程度やったんちゃうかな 飲み物って当時何があったんやろ
水、麦茶、緑茶、甘酒、酒
こんな感じ? 平安頃に飲んでた酒も味醂みたいなもんやったらしいし昔から相当数おったんちゃうか >>41
卵百珍なんて本が1785年に出とるんやな ラーメンハゲの人の江戸の飯漫画だと色々あって味も美味しそうだった >>44
糖尿より甘そうやな蜜尿
ってか糖分が尿に含まれてるの気付いたってことは舐めたんかね…? 現代のワイより贅沢な食生活送ってるくせに栄養状態が悪いとか言って早死にする江戸庶民とかいう無能 >>43
里芋の煮っころがし
各種田楽
明暦の大火以降公共事業のため人口が爆増してあちこちで酒と一品料理を提供するようになった、やったかな >>20
武士の勤務はワークシェアリングで暇だったらしい 江戸時代の主婦はガチで大変そうやな一日家事で終わるやろ >>56
玄米じゃなければ余裕
もろみ味噌美味そう! 米あんま食いたくないワイからしたら地獄やな
酒と干物と漬物でええわ 大名は庶民の食べ物の天ぷらや寿司の屋台に気安くいけないけど
美味しいからこっそり身分隠して食べに行ってたみたいやな 1日3食が定着したのも江戸時代の途中くらいからみたいやな
それ以前の人間とか腹減って倒れたりしなかったんやろか 昔の人って大した食料ないのにたまに恵体が出てくるの何なんだろうな >>51
ターヘル・アナトミアと解体新書の比較してたとき関連資料として出てきた書に書いてあって偶々記憶してただけや、蟻が叢がる(群がる)とか書いてたような 独身男性が多いから
煮売屋(惣菜屋)、居酒屋、一膳めしや、蕎麦屋なんかで食ってた >>56
たまにこういう食事してみたいね
塩いらない >>45
夏は甘い水に白玉を入れた冷や水とかあるで
あと飴湯もこの頃かもうちょい後に始まってたはず 現代人が昔にタイムスリップor転生したときに特にキツそうな要素はやっぱ医療技術の低さやろね >>68
恵体いうても身長は今と比べてだいぶ低かったんやろ?
あとなんやっけ、飛脚みたいな仕事してる人達の大量が化け物だってオランダ人達が驚愕してたんだっけか >>59
専業ばっかりと見せかけて実はパート行きまくりやぞ 日常の献立
北条時頼→玄米飯・味噌汁・大根味噌漬・焼き鰯
楠木正成→玄米飯・味噌汁・蕪の漬物・煮豆・芋の煮物・山鳥の焼き肉
武田信玄→玄米飯・味噌汁・ごぼう味噌漬・凍豆腐の煮物・大根煮しめ・塩焼き鰤
徳川家康→麦飯・味噌汁・大根味噌漬・芋の煮物・煮魚
記録にある感じだとこんなもんみたいやな >>67
大火の復興の際に大工や左官が昼食とってたのが始まりとかいう説あるね >>75
モモンジ屋つって獣肉を食わせる店があった
農村では当然食ってた 長屋住まいの独身弱者男性同士で春画を貸し合ってシコってたとかなんかいいよな 徳川吉宗の時代は現代と似てて
「質素倹約するわ」
つって財政政策全くやらなくなったから江戸に人口が集中して、結婚しなくなって、少子化になって、老人ばっかりになった
老人ばっかりになって歯が悪い人が増えたからうどん、豆腐とか噛まなくていい料理が発達した >>67
明暦の大火で江戸に集まった大工が2食じゃ足りなくて3食食べてたのが広まったんやなかったかな
まあ世界中で2食が基本やったみたいやし1食でたくさん食べてたんやろ >>82
ただまあそれ以前も合戦やら大規模な仕事やらがあるときは3食以上のケースもあったみたいやね >>71
質素なんだけどなんか美味そうに見えるよね 脚気と塩分過多の食事で早死が多かった
>>42
江戸時代の人骨普通に虫歯だらけだよ
江戸は梅毒患者も多くて骨に痕跡残ってる >>75
童謡「あんたがたどこさ」では
仙波山で狸撃って煮て食うってあるから
食ってたんだろうな 肉食については地域差とかいろんな条件差もあって狩猟で得た肉はOKで家畜を殺して得た肉はNGみたいな風潮とかもあったみたいやね >>84
何とか百珍ってレシピ本に書いてあるらしいな
あれ現代翻訳版欲しいわ ふりかけないかごま昆布とか鮭フレークがないとご飯食べまくるのは中々きついわ
ワイって現代っ子なんやなって 意外にもこんな食事で糖尿病にはならなかった…
ならなかったの? >>75
アナグマ定期
雑食の狸は臭くて無理や ちな同じ穴のムジナは元狸の巣にアナグマが住み着いてるから来てる説あるで 当時は芋は食べなかったんか?
いっぱいとれて腹膨らみそうだが 昭和時代は食事中に水を飲むのは行儀が悪いみたいな風潮もあったってマジ?
味噌汁があるからそれとは別に水はNGとかなんとかで 江戸初期までギリギリ残ってたミリ飯の芋がら縄と兵糧丸は皆一度作ってみてほしい >>85
江戸やと社会的強者の武士もそうやぞ
「殿様や上司が貸本屋から春本借りてて羨ましい」とか日記に残してる 江戸時代っちゅうか江戸の貧民食だろこういうの
農村部はまた違う >>99
サツマイモは飢饉の際の救済作物として奨励されたんじゃなかったか
吉宗のときの青木昆陽の話からするし >>77
飛脚はアスリートみたいなもんやない?引退早そう 今では国鳥とかいって珍重されるトキも江戸時代くらいには数が多い上に穀物を荒らす迷惑な害鳥扱いだったらしいな
食えないこともないけど似ると汁が赤く染まってグロいからまともに明かりがある状況下ではとても食えないと敬遠されてたとかで 「江戸時代の食事」と「江戸の食事」との区別がつかん頭悪いの多すぎやで >>97
その分動くから
どこに行くのも徒歩だから、10km20kmとか平気で歩いてた 飲食店が出来たの江戸時代のだいぶ後半ちゃった?
忠臣蔵で出てくるけどあの時代の蕎麦屋はないってテレビで見たわ >>97
車も鉄道も無いし肉体労働が多いから差し引きカロリーではそんな余剰は出ないんとちゃうか
皆が皆こんな大盛り食ってた訳でも無いし 昔の食事とかって現代の食材でアレンジして作ったらうまいだろうけど品種改良されてない当時の食材で作ったら微妙なもの多いんやろなと思う >>99
煮っころがしとかやな
日々徳用倹約料理角力取組って庶民の倹約料理にもちゃんと乗ってるで
https://i.imgur.com/6sCBtvJ.jpeg どこまで事実なのかはわからんけど
江戸時代に無人島に漂流した人らの小説で
無人島から自力で脱出して日本で夢にまで見たおかゆ出してもらったけど
長年食ってなかったから身体が受け付けんようになってて吐いちゃって泣く
いうシーンでもらい泣きしたわ >>101
芋がら縄は味噌で煮しめてて、即席みそ汁になるんだっけ 日本史って大人になってから学び直すとまたおもしろいな 庶民は魚すらめったに食えなかったらしいけど
なんでそこら辺の川で釣ってこないの? 昔の時代にブルーギルとかブラックバスいたら飢餓になってないし戦争ももっと強かったやろな うちの爺ちゃん甘い物を滅茶苦茶食ってたが糖尿病にはなってなかったな
やっぱ畑仕事で身体動かしまくってたからかな >>111
一応江戸時代の初期だな
それ以前はそばがき 味噌や塩や醤油はどれ位の価値やったんやろな
この辺が充実しとらんと大量の米を消費できんやろ >>104>>108
これ
このスレで語ってるヤツらのほとんどは江戸の町民だろ >>122
どじょうとかうなぎは江戸近郊でも獲って食ってたで
川魚は田舎じゃないと難しいやろ >>110
飢餓状態なら美味いのかもしれない…現代人が食うものでは無かった、あとめっちゃ繊維が歯に詰まる
>>116
そう
お湯で溶けばなんとか噛み切れた 川いっぱいあるし海も近いんやから魚はもっと庶民の家でも食えてもええのにな >江戸末期、江戸市中のそば屋の数は3760店を超えていたそうです。
屋台も含めると、もっとあったかもしれません。
今より多いなw >>122
川が今と違って整備されていないし泳げないで魚取るにも要スキルやからや >>111
飲食店ってそんなに存在しないからうっかり街道から外れた田舎町とか行くと飯が食えなくて餓死寸前になるらしいな >>119
ワイは辻田真佐憲の「戦前の正体」って本が日本史研究の本で久々に大ヒットやったわ とくに江戸はほぼ男しかおらんから酒と喧嘩とセックスばっかやったらしいな てか結婚率低かったから男やもめ多くてみんな外食だったぞ マグロが猫跨ぎって呼ばれて忌避されてたのホンマ勿体ない
捕獲出来る技術あったんだからあとは保存技術があればねえ >>134
まあ今だとラーメン屋みたいなもんやろな >>113
飯の不味さは基本過去に行くほど酷くなる一方や思うわ両親→祖父母→曾祖父母って遡っても戦時中抜きにしても皆昔の飯は不味かったが基本見解やし >>119
学生の時は年号暗記するだけで
死ぬほどつまらなかった
世界史赤点取って文系諦めたわ お前ら博識やなぁ
歴史は興味なかったが食の事は聞いてて結構おもろいわ 江戸時代から白米って言われてるけど江戸から帰るとみんな脚気が良くなるって言われてたのは
江戸だけなのかな白米が当たり前のように食べられたのは
みんな玄米や麦飯だったのかなあ 沖合から速い小型船に積み替えて急いで持ってきても
今の感覚ならうーんって鮮度やしな >>111
醤油が庶民に出回り始めたのは江戸中期からやからな
最初のほうは煎酒で食ってたらしい >>114
すぐランク付けしてたんだってな
参勤交代で上京してくる大名とか >>142
マ?
トロ以外は普通に寿司として食ってたって昔聞いたことあるんやが >>127
>>127
塩は当時は入浜式製塩方法が主流になったから、
江戸の消費量の大半を賄えるようになったらしいな >>148
弥次喜多コンビが同性愛関係だったという話 >>151
ワイの実家は今も市販の煎酒使ってるわ
出汁効いてて割と何にでも合う 幕府っていつから弱体化したんだろね
薩摩と長州二つの藩に敵対したら瓦解するって情けない
全藩で物量で潰せば良かったのに タイムスリップして山盛りごはんにのりたまぶっかけてあげたい >>147
江戸と地方を行き来するって要は各藩のお侍さんやと思うんやけど
>>19みたいに役が無くて暇、庶民と違って肉体労働しない、その割に食が充実してて美味いと
米だけじゃなく運動不足や栄養の偏りや馴れない食生活とか色々あるのかも >>142
サンマとか漁場が勝浦沖あたりだったらしいのだが、あんな直ぐ腐るもんをどうやって鮮度保って江戸まで運んできたのかわからん >>132
なんかクソほど濃縮した味噌味の紐しゃぶりながら飯食ったら美味そうやなと
冷静に考えたら飯がねぇな🙄 >>127
塩は海水煮詰めたら出来るから高価ではなかった
だからおかずがない貧乏はとにかく米に塩ふって食べていた模様 茶屋の看板娘が人気になって
浮世絵なんかも販売され
歓心を買う投げ銭のために独身男性が大挙して通うも
結局は店の主人と結婚する世の中 >>161
鍛えろやボケと思うけどシャワーもジムもないんじゃ筋トレもランニングもやる気にならんな >>158
もっと早くに潰れなきゃイケなかったんだよ
江戸幕府が260年も惰眠を貪ったせいで
大航海時代からも産業革命から落ちこぼれちゃったんだから >>166
そもそも筋トレという概念とか知識が無かったんじゃね? >>162
タイムスクープハンター思い出したわあれの後継作作れやってずっと思っとる >>162
漁船だって人力やからそんな沖に出られないやろ
沿岸で獲ったらすぐ港に帰って河岸で売り捌く >>153
漬けにして寿司やな
あとはネギマ鍋にするとか さっき上げた番付でもまぐろ料理は結構あったはず 八杯豆腐が人気だったけど言うほどおいしくないし普通 >>169
走り込みとかはありそうだな
昔って割と長く走れるやつが偉いみたいな風潮があったし >>158
その全藩の大多数が弱体化して借金経営だったりするから
日本全国で藩はたくさんあったのに名前の出ない藩が多いのはそういう事 >>127
塩1升500円
味噌1貫3200円
醤油1升3600円
調味料は塩以外なかなか高い
油も高い 当時のニート的存在の立ち位置はどんな感じだったんやろ
今みたいに金持ちなら豪遊できてた感じなんかな ワイらもあらゆる事で打線組みたがるし番付精神は今も受け継がれてるんや >>168
餡子や黒蜜、きな粉を使った甘味は当時にはあった >>174
やっこにして醤油だけで食った方がうまそう >>162
塩
とにかく塩漬けして水分抜いたらそれなりには保つ >>177
たっか!
そりゃ塩舐めて日本酒飲むわな >>162
銚子まで運んで利根川→布佐で木下街道経由で江戸川→行徳→小名木川で日本橋の魚河岸やったはず
たしか なま街道とかそんな名前 >>178
武士でも後継ぎじゃない奴は肩身せまかったらしい
どこかから養子の話がくるのを待つ身 実際旗本三男坊とかって三食食べられるけど結婚できないし暇だったのかな
女を抱くことも出来なかったら悲し過ぎる😭 落語の「らくだ」のお通夜で用意させた煮しめ
こんにゃく、豆腐、芋だの甘辛くうまく煮て
ほんで砂糖も醤油も張り込んで煮しめをば丼に三杯持って来い
煮しめはそうだな、はんぺんとこんにゃくと蓮(レンコン)くらいだ、塩を強めに、ダシをきかせて 江戸時代から力士いたらしいけど米だけであんな👂デカなるんか >>191
都会に出て労働者になることもできない
前近代の悲哀がここにある 砂糖も以外と早い時期に普及しとるんやな
1718年に日本初の菓子の製法書『古今名物御前菓子秘伝抄』が発行されましたが、
紹介されている全105種の菓子のうち約半数は砂糖を使ったものでした。 よく考えたら栄養がそこそこある玄米をわざわざ白米にする意味ってないよな
玄米そんなまずいわけでもないのに >>21
これよく言われてるけどみんな肉は普通に食ってたよ
宗教色の強い地域でごく一部の人が忌避してたってだけ
普通の村人なんかは狩りしてたし >>151
酸味(酢)は調味料としては塩の次に早かったみたいやね
奈良時代にはもうあった >>190
丸屋勘右衛門 56歳神田在住
まんじゅう50個 ようかん7棹 薄皮もち30個 お茶19杯 食いすぎぃ
https://i.imgur.com/Cnhg1Vq.jpeg 脚気の対策にあんドーナツ食ってたんやろ?知ってるで >>63
残して昼食えばいい
江戸時代は朝に一日分の飯を炊いていたという 田舎民は玄米を食ったんじゃなくて
白米と雑穀をまぜた雑穀飯を食っててから健康だった >>196
砂糖は沖縄からの舶来物で高級品やな
1斤で300文近くやからそうそう口には入らんと思う >>198
お新香のっけてお湯ぶっかけて食ったり
お茶漬けの元祖 >>209
汁かけ飯といえば深川めしなんかもあるしな >>208
500gで6000円か…ゴディバくらいの高級チョコ感覚やな 江戸時代に生まれてまったり暮らしたかったわ
今より楽しそう 江戸は庶民でもお腹一杯食べる事はできたんだよな
地方で飢饉が悲惨なことになるのも農民救済より収入を優先して江戸に優先的に米を回すからで失政という面も大きいし >>213
ちょっとした病気で死ぬこと考えたら今のがええやろ >>201
必死も必死で食べるやろうし観客の盛り上がりも凄かったんやろなぁ
もしかしてこれが大食い大会の発祥だったりするんかな? お茶漬けと聞くと聞こえは良いが
ひえた飯に漬物を乗っけてお湯をかけた飯か >>214
津軽の大飢饉は救済用の貯蔵米を
藩財政のために売ってたからやしな
そのせいで親の死肉を食ったとかいう悲惨な話も >>205
>>206
酒の部とかとんでもないで
鯉屋利兵衛30歳芝口 3升盃で6杯半
天堀屋七右衛門73歳 小石川春日町 5升盃で1杯半
松勘 残りの酒全部
https://i.imgur.com/CxSoq9k.jpeg
あとリバースする人続出
https://i.imgur.com/yxwKJMW.jpeg 白米喰い始めたせいでビタミンB1が足りずに脚気が多かったんやっけ
っぱ玄米よ 玉子って今の価格で1個300円~500円くらいだったんだろ?
贅沢品になっちゃう >>222
爺さん元気だなww
いや逆か元気だからその年まで生きられるのか >>222
アルコール度数1%以下の実質みりん風調味料的なものだったのかもしれんね 仙台藩もやが東北は飢餓輸出という人災で餓死者大量発生しとるな 江戸時代も味噌汁は飯にぶっかけて食ってる奴いたんやろか >>178
チャカポン(茶歌ポン) 言われてバカにされたニートでも
幕府大老職に就ける階級固定社会 当時の日本に持っていって受け入れてもらえそうな現代の食べ物ってなんやろね
日本人の舌に合う和菓子全般はいけるか 茶漬けや湯漬けは炊飯ジャーなんて無い時代やから冷や飯を何とか美味しく食べる方法よ
電位炊飯器の保温機能が付くまでまで普通にやってたみたいやな >>236
うな重 俺的オススメ日本料理筆頭はコレ >>236
なんでも泣いて喜んで食すだろう
野菜ひとつとっても甘みが段違いだろうし >>237
牧畜が難しかったので安定供給というものが無い
タイミングが合えば老いた農耕用の牛を潰して食うとかあったようだけど
それだとあまり美味くないし調味料も限られてるとねえ 一時期増量の為に山盛りご飯毎日食べてたがおかずないと結構きついわ
ラーメンの汁かけたりお茶漬けで流し込んでたわ >>233
5つ上の同母兄は挙母藩2万石へ養子だから
タイミング次第よな >>241
急に甘すぎても却って不味いんちゃうか?
変に甘いとか甘ったるすぎるとかいうタイプの不味さもあるやん >>236
生クリームホイップあんぱんとか食べてみてほしいわ >>228
あーみりん風や薄めてる可能性もあるのか
飯の部見てたら
三右衛門 41歳三河島 飯68杯 醤油2合
\醤油2合/ 英雄たちの選択の栄養学の回で米をひたすら少ないおかずで食う日本の伝統的食事が身体にいいわけないってやってたな 紋次郎の食事シーンの動画はおすすめに来ると観てしまう >>240
田楽→おでん
この頃まではまだ「おでん」とは串に刺して焼いたものを意味した。
その後、江戸時代後期に千葉県の銚子や野田を中心に醤油の製造が盛んになり、
これをきっかけとして江戸において醤油で煮込んだ「おでん」が誕生したと言われている。 >>245
今の米は喜ぶんやないかな
甘さというか食味(タンパク質の含有量)からして違う 米中心の食事やとどうしても栄養バランス悪くなるな
昔の日本人はそれでどうやって生きてたんやろな 調べたら昔の日本酒ってビールとかそれ以下くらいの度数まで薄められてたんやな
それにしたって記録盛りすぎやろとは思うけど 白菜は江戸時代にはまだ存在してへーんから白菜持って行ったら流行るやろなあ 喧嘩させたら海の近くに住んでる奴が強いよな海無し県の奴と比べて身体出来上がってそう >>255
というか寒さに強い品種の種もみが滅茶苦茶喜ばれるだろうな 食べるラー油あったらワイも山のようなご飯も食べられると思う
やっぱ油と濃い味がほしい >>258
何ヶ月も保存して冬も越すためやからしょっぱいやろなあ >>259
何度か伝来はしてたけどアブラナ科の作物と混ざって
マトモに育たず残らんかったみたいな話きいたことがある 昔の人は筋骨隆々だったんだよな
タンパク質が今みたいにとれない時代で凄いわ 保存食やと当時の食い物書いてる本朝食鑑に各地の名物干物が載っててお土産の定番でもあったみたいやな
明石のタコの干物とか長崎のからすみとかくっそうまそう 農家 米食い放題ですおかずありません
えたひにん 肉食い放題です米ありません >>256
だから平均寿命は今より短いわけだしそもそも健康な食事しなきゃすぐ死ぬわけじゃないからね
最低限の必要な栄養が取れてれば適当な食生活でも40、50までは大きな病気もなく生きれるでしょ >>268
あとは神社仏閣巡りが主な旅行目的やから
門前の茶屋で餅や団子の類やろな
でもないと保存きかんしな 富 名声 この世の全てを手に入れた
征夷大将軍徳川家康 >>271
人間それぐらいの寿命のほうが幸せだと思うわ 朝夕の二食が基本で腹減ると思ったら間食してたっぽいな 玄米を毎日2合食うようになったら異様に元気なったわ
いっそ米糠も食うか迷ってる 50歳寿命だともう
何年も生きてられない民 ばっかりやw 調味料って塩醤油味噌みりんとかで砂糖は貴重品?
他に味欲しいなら日本のハーブみたいなの育てるしかないのかな >>276
米ぬかはすぐ酸化するから精米した時の出来立て以外食べないほうがええで >>281
そうなんか……
食べられるように専用の処理と加工しました!っていう商品あったけど高かったから
普通の生の米糠にしようと思ったけど、やっぱり食うには条件あるんやな 名前忘れたけど江戸時代の料理再現してる奴おもろかったわ
寿司の回すこ 東北の冬なんて干物漬物ぐらいしかおかずなかったやろなあ
そら塩分摂りすぎ民族なるわ 今より米の選別が悪くて青米も食ってたから昔の人間は力あったって聞くな >>280
白砂糖って南蛮船が積み荷のバランス取りで山みたいに持ってきてたからそれを福岡長崎佐賀藩は警備の特権を利用して直接購入してたみたいね
その流れであの地域の庶民には流通してたぽい 当時の江戸民は白米食って脚気になったら蕎麦で治したみたいやけど
案外経験則ってのもバカにできないんやな 昔の人は1日米5合食わすだけで300kg↑の米俵担ぎ上げてたから
そんくらいパワーがあるんやで炭水化物には 山奥とかで狩猟しながら生きてた奴らの方が都会より豪華な飯食えてそう 落語には昔の食事を説明する箇所があるけど朝は温ご飯で後は冷や飯 味噌汁は1回で漬物ばっかりというのが基本らしい
たまに魚とかは食えてたとか
>>276
そっちはぬか漬けで対応したらええよ
家に精米機あるならぬかを食ってもいいけど油が酸化しやすいから鮮度は大事 まぁ江戸時代も後半から全く人口増えなくなるからな
飢饉も相まって農民はかなり困窮してたっぽい >>237
江戸なら4ヶ所食べられる店あったで
大石内蔵助の息子が良く通ってた ドジョウとかアサリとか食えてたんちゃうの
深川丼とかいう 親子丼が庶民が食べれる動物性タンパク質で一番現実的なご馳走かな? タンパク質少ないのに、写真見たら筋肉モリモリの人ばっかなんだよなあ >>295
この時代の猟師ってメインの道具は弓?鉄砲?
武器の入手や管理とか今より遥かに厳しそうだから気ままに狩りとか出来たんかな >>298
薩摩は黒豚も喰ってたって聞いたよ
贅沢してやがる >>21
江戸では鶏鍋が人気やったらしい、普通に食ってたみたいやね 江戸は燃料代が高いから玄米よりすぐ炊ける白米食うようになった >>306
普段は罠、大物だと鉄砲持ち出すとかやないかな めっちゃ肉体労働する人は味噌汁と漬物は塩&塩で塩分多めや >>298
ソテツばかり食わせてた地域もあったらしいぞ
ちょうど薩摩に 当時の人間はゴリラみたいな腸内環境だったんやないの >>306
鉄砲だよ
なんなら農民もイノシシとか鹿が田んぼに攻めてくるから鉄砲で撃って鋤の上で焼いて食ってた >>308>>311
罠か
それなら役人に報告とかはいらなさそうだな こっそり肉食ってたと言われてる地域は現代もフィジカルエリート県だったりする >>310
なんで高いんや?
周りの木を勝手に切れないとか? 飛鳥時代あたりには蘇まであったのに鎌倉時代以降では日本で乳製品の存在感がなくなったのなんでよ すぐ痛むようなものでも保存手段と輸送手段があれば捨てずに食べることができる
冷蔵庫の発明と交通網の発達とロジを担う業者には感謝しかない 木造長屋ばっかりで火事起きたら町一つ消滅みたいなことあるから火の扱い失敗は重罪って聞いた >>318
もちろん
場所毎にここは◯村、あそこは△村と決まってる
藩や天領の木を勝手に切ったら悪質な場合死罪もあり得る 一般人は白いご飯なんてろくに食えんかったんちゃうの? >>111
そのテレビが何か知らんが1660年には蕎麦屋あるで
日野伝という蕎麦屋が人気あった >>292
江戸中後期には高松藩とかもサトウキビ栽培して製糖行われて
江戸に流通はしてたとか 山盛りご飯とか普通に農民じゃ食えないやろ?
今の学校給食みたいに国が嘘ついてる 米にパンに麺に穀物ってすげーよな
肉オンリー野菜オンリーはダメだがこいつら食ってれば生きていけるもん 木が建材であり燃料でありあらゆる道具の素材やもんな
薪の取り合いがきっかけで村同士の争いがよく起きてた 昔は玄米なんか食ってなかった
せいぜい七部突き程度 >>322
武士の首切ったり罪人の首切ったりした人いたじゃん
あーいう人が動物も切ってたのかね 玄米にそこそこ栄養詰まっとるからこいつを爆喰いするだけでもそれなりなバランス取れるんよな
なお江戸の町人は精米ばっか食っとるせいで脚気が流行りまくるもよう >>335
蕎麦が脚気にいいよって言われ始めても脚気になりまくってたからな
白米好きすぎたんだよ江戸の民は 四国のもんはクジラ食べ放題だったんやろ
問題はおろし生姜があったのかか >>300
息子やなかったわ
大石蔵之介本人やった
牛肉の味噌漬け焼いて食べてた >>282
1日3食は江戸後期からやな
それも土方メインで 健康の為に麦飯たまに食おうと思うんだが週一程度じゃ効果無い? >>337
生姜は江戸でも薩摩でも栽培されてたから全国的に栽培されてたんちゃうか Youtubeで良く見る木枯らし紋次郎のあれは一回食ってみたいわ >>320
中華も膾っつう生食文化あったのになんで火通すようになったんやろうな youtubeで江戸時代の飯再現してる奴おるけど結構うまそうに見えるよな その気になればうんこでさえ育つ豚さんが日本では流行らなかった理由とは? >>342
一日三食×7日は21食だから一週間に7食は目指そうや
なんもせんよりいいけど 昔は飯は赤米だろ
匂いも臭かった
女郎は少し平民よりはマシで魚の煮付けが毎晩付いたという >>348
さっきURL貼ろうとしたら書き込み出来なくなった
mateほんまこの仕様なんとかして >>328
瀬戸内海の島にはいまだにサトウキビあるで自生のレベル >>4
油もんがたらんねんな
鶏肉、鶏卵、油揚げあたりか? >>345
飢饉バージョンは昔は見れたけど今無いな
具のない味噌汁に薄いタクアンが二切れ、メザシが二匹で上等だとよ >>328
平賀源内に作らせたんやそれから和三盆が作られた
沖縄のサトウキビを移植したんだけどな 品種改良されてないとはいえ白米ドカ食い町が出来るくらいには美味かったんやろな
蕎麦は水に溶いてそのまま食ったりしたとか何とか聞いたわ >>360
天ぷら自体は宣教師から伝来してるし
搾油技術の発達や菜種の生産も盛んになったからね >>357
押し麦買ってきて普通の白米に適量まぜりゃええ
要は食物繊維欲しいだけやし >>349
少しでも平地があるなら米植えたろの精神 >>1
むしろ質素で食物繊維モリモリやから一気に糖にならず腹持ちだけは良かったんちゃうか 江戸後期に差し掛かる頃までは庶民には白米なんて超贅沢品だったからみんな玄米と雑穀米食ってて健康だったんやで
脚気がヤバかったのは米の収穫量が安定するようになって庶民も白米を日常的に食うようになってからや >>372
塩や酢も
醤油は当初は関西から輸送された薄口醤油使ってたけど
後に野田とか銚子とか関東近辺でも作る様になって
江戸中期には濃口醤油中心になっていったとか
鰹節を房総半島で作るようになったのも同時期で
関東風の味付けが出来たんやろな 東北で飢饉が発生しても九州では米が余ったりして
国内総量では食料は足りていた
ただ「助け合い」の精神がなかったから船輸送を使った援助などはなかった そういや江戸で酢ってあんまり使われてないんかな?
寿司に赤酢が使われてるのとなます系以外で酢が出て来た料理を知らない 今の娯楽にも食事にも溢れてる時代ってやっぱ神だわ
令和最高 >>383
魚や野菜を保存するために酢は割と使われてた
膾とか調味料と言うより保存液って感じ 牛肉送らなくなったら犬猿の仲になった水戸藩と彦根藩こっわ >>386
平成初期のほうが飯もうまいし安いし量も多かったぞ 糖尿病ガーって言っとるがそもそも平均寿命20代だったからなる以前に死ぬんちゃうか 薩摩は豚食ってたから体格が良かったってのは本当か? >>391
流通がね…
冷蔵なんてまずできないんやぞ ほんーきで仏教しんじてたからなあ
天皇も仏教徒だったんだよ・・・
これゆうとネトウヨがブチギレるけどな・・・ >>390
これ好き
今の時代やと5chやSNSとかで暴れるんやろうなあ >>396
食に関しちゃ薩摩は優秀よ
主食の唐芋(薩摩芋)に豚、つけ揚げ(薩摩揚げ)、芋焼酎、鶏刺し、桜島大根! >>404
お金絡みの実務・勘定方を除けば
基本、季節毎の儀礼・冠婚葬祭・参勤交代等の事務
前例に従って同じことを繰り返す 酪農するより軍馬育てろやって感じだから乳製品が発達しなかったんだと思ってる >>405
生魚文化について書いてる書物ってあんまり見たこと無いね
薩摩はきびなごなら生で食べてたで >>404
奉行所や火盗改の同心とかは犯罪捜査やその事務
書院番や大番にいる武士は江戸城の警護なんかを担当 >>413
当時の上級国民は今と変わらないくらいの立派な料理だよな >>405
おにぎりみたいにでかい寿司を食ってたって聞いたで
ソースはなんJ >>410
ちょっとググってみたら吉宗が乳牛輸入して療食としてチーズのはしりみたいな物を作ってたみたいやな
やるやん吉宗 >>413
食べる量が多過ぎて健康な人はこれ位は食べるの?って印象
ワイは少食だからご飯少なめでおかずも一品で良いわ >>413
正直まずそう
今のメシに慣れてると精進料理にしかみえん >>417
にぎり寿司のサイズが小さくなったのは
戦後直後の食糧統制政策の影響とか
飲食店の米の提供が禁止されて
「客が持ってきたコメを寿司に使うのはいいだろ」ってことになって
小さな寿司になっていったとか >>424
納豆は参勤交代で持参する特産品の中でも目玉レベルやないか >>424
日常的に行商で売られてて
当時の俳句とかにも詠まれてる >>419
これを多すぎるとは栄養不足か体の病気を心配したほうがいいと思う
>>423
今の懐石料理みたいなもんや 彡(^)(^)「玄米なんて田舎のもんや、江戸っ子は白米を食うのが“粋”なんやで」
彡()()「アデデデデエ」 飛脚「1日1食玄米おにぎりだけで3日で500km走破余裕ンゴwwwwwwwwww」←???????????????? 米が食えるほどしょっぱい漬物って消えたよな
今の漬物ってたくあんですら甘い >>85
長屋に穴開けてちんぽ出して舐め合ったりもしてた
いわゆるグローリーホールやね 1600年続いただけあって満たされた時代ではあったんやろな >>333
幕末の頃は蘭方医に頼んでたらしい
蘭方医の方も人間はなかなか腑分けできんから動物で練習しようってことでwin-winやったそう >>442
すっごいうんこ出るんよな
食物繊維ってすごいわ >>333
浅右衛門一族は首切りと刀の目利きだけやったはずや >>442
玄米炊くとき水加減?が難しい
かなりの確率で失敗して固くなるわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています