鎌倉武士「ひゃあ、モンゴル人強すぎる…負けちゃうよー」台風「よろしくニキー」
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まあ日本の圧勝ってのも怪しいもんだよな
負けて帰った方からしたら
相手が強かったことにしたいだろうし
本心は行きたくなかったのなら尚更よ もし長州がイギリスの要求を飲んで彦島を租借させてたら今頃日本はイギリスの植民地だったみたいな事を伊藤博文が述懐してるんよな
高杉晋作ってすげーわ >>289
いうほど関係無いと思う
いうて晩年まで隙あらば行こうとしてたし
結構クビライ的には好奇心で獲りたい欲求とかがあったのやもしれん
その後の中華王朝軒並み日本侵攻とか捨ててるからな。 >>310
15万のモンゴル軍を壊滅させたんだし圧勝やろ >>306
明確な資料で学説変わらん限り大体は自説を残したい学者の言葉遊びやからな >>291
あれ爆撃に強いと言うのは二次的効果で、本来の狙いは艦載機を増やす為なんだよな
だからメインエレベーターも船外に設置されていた
ダメコンが強いのも、可燃物や航空機が格納庫で炎上してもそのまま重機で押して船外に投棄することですぐに鎮火できたのが大きい 1192なのか1185なのか論争ってマジで無意味やと思う
鎌倉幕府は段階的に成立していったもんやし
そもそも何を持って幕府やねんって話やし
成立年を確定させる必要性も謎やし >>290
ワールシュタットの戦いでポーランド&ドイツ連合軍を一方的にボゴボコにしてヨーロッパに大きく深刻なトラウマを残したしな。
おかげドイツではロシアを侵略してアジアの野蛮な蛮族との緩衝国にしようって考えが根強く残り独ソ戦の遠因の一つになったりしてる。 >>303
台風のなかでやらかした第四艦隊事件もあったしな
台風の右下部分が一番きついのこれで知られたんだっけな >>313
実際は上陸できた小分けの数百~数千を
万人の鎌倉クレイジーでボコっていった感じ
大兵力展開できる土地も無いまま
鷹島でまごついてたたら台風で壊滅って感じ >>313
城を落とすのに三倍の兵力がいるって言うし
上陸戦となればもっといるんじゃね
兵力差がどのくらいか知らんけど >>311
その頃に植民地にされてた方が今現代でちゃんとした独立が出来てたかもな
勘違いしてボコボコにされた挙句今や軍隊も持てない実質アメリカ様の植民地や >>312
基本的に歴代支那王朝は日本を支那周辺国の中で最も国力ある国やとずっとみなしてきたからな
周辺国の中では朝貢貿易でなくとも貿易続けたいくらいにメリットあったからな
実際私貿易の方がメリット大きかったからな
朝貢貿易やとかなり支那王朝の出費になったから >>316
学会ではそういうの重要なのよね。邪馬台国の九州説と畿内説の論争よりは生産的だと思うで 刀伊の入寇「対馬、壱岐で数百人が殺害される」←こいつもっと騒がれていいよな
大河で描かれるかな 大覚寺統の亀山上皇が祈祷して
神風起こして夷狄を攘った
水戸学に始まる尊王攘夷思想には
ピッタリのイベントなんよな ソ連と米軍のツートップ追い返したアフガニスタンも強い
モンゴルには占領されたけど >>316
ワイは1192でええと思う
江戸幕府だって秀吉死後は一番官位上だった家康政権で関ヶ原後はそれを強化して
1603年以前にもう江戸幕府機能はあったからな >>322
まあ長州閥のポジショントークの可能性はあるやろけど
高杉晋作のそのへんの知見の広さはすげえなあと思う >>325
やるんじゃないのかな
晴明が隆家を「役に立つ」って言ってたし ここで流行ってた鎌倉武士最強コピペ
大嘘だったらしいな
騙されたわ
時宗の頃と頼朝の頃の坂東武者とかもかなり違うらしい >>323
国力があるというより海の向こうにある攻めにくい鬱陶しい国やろな >>325
描かれるやろか微妙
九州から文が届いた程度で終わらせそう >>329
植民地ってか香港みたいな感じになるんかな 籠城してた蒙古兵に毒持って全滅させたらしいな
誉なさすぎやろ >>325
初回不意打ちとモンゴル定番の
残虐行為をして敵の戦意を挫くというアレ
尚、2回目に対してクレイジー達を
大同団結する力となってしまったもよう
2回目の東路軍は壱岐で上陸後
速攻でボコボコにされて撤退しとるからな >>319
何ヶ月も陸上戦で鎌倉武士に勝てずに海上を彷徨ってたら台風にあたって事だよね
あと数百、数千って数字のソースは? 歴史学は特に偉い学者の引退や死去でパワーバランス変わって学説まで変わる業界やからな
ゴッドハンドもほとんどの学者がおかしい言ってるのに後ろ盾に吉野ケ里遺跡を邪馬台国みたいに売り出した偉い教授がついとったので文句言えん雰囲気やったし >>332
勿論それもあるが実際強国として認識してたんよ
周辺国の中で人口多いのは知られていたし
貿易の規模も大きかったしな
お互い手を出さなければ怪我しないからな
だから日本相手には朝貢を求める意欲もあまりなくなぁなぁでお互いやってたからな 鎌倉幕府の年代変わったのも中身は酷いよな
頼朝は 別に征夷大将軍じゃなくても他二つの役職でもええでw って言ってたからノーカンノーカン!! って >>338
コ川吉宗、松平定信、徳川宗春、田沼意次の評価とかは
その時の経済政策でコロコロかわるしな >>338
コ川吉宗、松平定信、徳川宗春、田沼意次の評価とかは
その時の経済政策でコロコロかわるしな 元寇が幕府滅亡の原因の一つとか言われる割にはその後滅亡まで半世紀あるよな
結局恩賞無しの不満よりも、御家人が代を重ねるごとに貧しくなっていく田分けシステムにしてしまった事が
約140年くらいで限界が来るシステムだっただけに過ぎないんじゃねと >>331
これが真実だよ
史科に基づくモンゴル軍の鎌倉武士評
南宋遺臣の鄭思肖「倭人は狠、死を懼(おそ)れない。たとえ十人が百人に遇っても、立ち向かって戦う。勝たなければみな死ぬまで戦う。戦死しなければ、帰ってもまた倭王の手によって殺される。倭の婦人もはなはだ気性が烈しく、犯すべからず。(中略)倭刀はきわめて鋭い。地形は高険にして入りがたく、戦守の計を為すべし」
元朝の文人・呉萊は「今の倭奴は昔(白村江の戦い時)の倭奴とは同じではない。昔は至って弱いと雖も、なお敢えて中国の兵を拒まんとする。いわんや今は険を恃んで、その強さは、まさに昔の十倍に当たる。」
王惲『汎海小録』
「兵杖には弓刀甲あり、しかして戈矛無し。騎兵は結束す。殊に精甲は往往黄金を以って之を為り、珠琲をめぐらした者甚々多し、刀は長くて極めて犀なるものを製り、洞物に銃し、過。但だ、弓は木を以って之を為り、矢は長しと雖えども、遠くあたわず。人は則ち勇敢にして、死をみることを畏れず」 せっかく防塁築いたのにわざわざ防塁の前に出て名乗り上げた武士見て現場の士気ブチ上がったエピソードすこ 今とは当然地形も少し違うやろうけど
グーグル先生の航空写真で壱岐の島見てみ
どこに数万の兵と数百の船展開できる場所あるねんw
逆に追い返した結果から考えると鎌倉側は
前回の被害から一定数の常駐兵と救援体制整えてたと思われる >>345
海からのモンゴルってアイヌや台湾や国ですらない部族にも負けているんやろ
強いのか疑問だわ 宋は前漢みたいにお金でモンゴルにお帰りしてもらえなかったんやろうか?
いつものモンゴル兄さん作戦しなかったんか? PC版出たしツシマスレになるかと思ったらガチの歴史スレで誰もツシマネタ拾おうともしなくてワイは悲しいわ >>348
長江対岸の南宋も50年がかりで入念な対策してようやく勝利だからな 何で博多以外から上陸しなかったのとか言うが
当時の軍船の性能や、日本海沿岸地域の他の候補地考えたらむしろ全軍を博多にぶっこみで正解
(敦賀あたりですら距離が遠すぎてムリゲー。上陸できたとしてもすぐ飢え死に)
舐めプで碌に調査もせずに攻め込んできたとか言うがむしろよく日本の事調べてたと思うで >>353
ロバート秋山の印象が平安貴族に為りつつあるのはをかし
いやわろしやろか >>323
実際厩戸皇子の時の隋や、白村江の戦いの後の唐は日本侵攻計画を錬っていたらしいが
どっちも国内がそれどころでは無くなり実行されることは無かったらしいな
異常に好戦的な煬帝と同じく好戦的な推古天皇の間に挟まれて、親書を無くしたとか言って戦を回避した
小野妹子ってメチャクチャ有能だよな。新書を開けて読むことは許されないが何が書いてあるのかお察しだからな
更に言うと外交官が国書を無くすとか普通は死罪ヒッシの大失態なんだけど、何も言わずに黙って許す推古天皇も凄い
内心「ハハハこやつめw」とか思ってたんだろうか? >>355
フィールドシンキングつってな
こういうの結構大事なんやで なんつーか鎌倉武士って日本史の中でも深く触れちゃいけないキチガイ感あるよな >>354
2回目は散らして佐賀長崎にも来てるやろ >>195
この元兵3人組は江戸時代に加筆されたものやぞ
どう見てもこいつらだけタッチがおかしいし、そもそも自分の戦績アピールするために描かせた絵になんで自分がやられてる所描かせるねんと >>355
千年経ってるとはいえなんかいも大地震でも起きない限り大幅に地形は変わらんからな というか日本人って割と第二次世界大戦までは好戦的な民族だった気がしてる 元寇でここまで盛り上がれるお前たちすごいよ
博識だな >>361
結局停泊するにしても集合・停泊出来る場所なんて
限られてるから泊めれるトコに泊めたって感じやろな
鷹島の浜が他と比べて比較的広かったから
纏めて降りたとかそんな感じやないかな
とは言え、泳いで海を渡れる訳でもなく
鷹島であーだこーだしてる間に台風襲来 平将門という陰キャが散々虐められて最後にブチ切れてトンでも無い大暴れをしたみたいな2ちゃんの武勇伝コピペにありそうなアレ まあ武士は基本的に殺人が仕事で毎日殺人の練習してる職業だしな
江戸時代には公務員になったが なろう軍師様はすぐに「兵站」「兵站」と覚えたての単語を連呼する中学生レベルで戦略を語るが
敵の物資集積地点(元寇で言うなら大宰府)を狙うのが当時の兵站やからな
敵がいない所=何も無い所、だという事すらわからないのがお笑い
三国志とか戦国とかへのタイムスリップもので戦国武将に上から目線で兵站を語る陰キャとか腸引きずり出したいレベルで嫌いやわ 平将門は天皇家出身だし
京都から搾取されていた関東を独立させようとした関東の英雄だから…
神田明神は愛されてるし 白村江で唐と新羅にちょっかいかけたのによく何事も無く終わったよな
下手したらこの時日本1回滅んでたやろ 近代航海技術ができるまで対馬海峡超えて大軍の補給持たせるなんてまず無理やからな
なお白村江 ガチの歴史談義しとる中、たまにGhost of Tsushimaネタを書き込む奴いるのエエな >>369
陰キャ軍師様が好きな言葉3選
「兵站」「ドクトリン」あと一つは? 逆に日本の失敗としての文禄・慶長の役は
もっとクローズアップされるべきやと思ふ
戦国オールスター大感謝祭 使者の殺し方もどんどん流れ作業になっていってるから面白い
最後の方なんか博多に現れた瞬間に現地判断で斬って鎌倉には事後報告という雑さ 超広い草原をお馬で走るのが得意帝国
船のって山だらけの島に来て死亡
って残当よな というか半島からの侵攻に飛鳥時代から備えてたからな
白村江でまけてなのかそれ以前に半島おさめてたからからか知らんが、古代には福岡に当時世界最大の防衛陣地築いてるからな
防人としてうん百年も備えてた訳や
戦闘力よりもシステマチックな対応の方が評価されるべきや >>375
2回目は厳しくなるよってのは元寇と同じやね
あぁ、今は蒙古襲来だっけ >>377
まぁ言うて日本側も対馬壱岐その他被害出てるからな
文永の役の後からは首斬りげんまんがデフォになってて草 アンゴルモア「元寇の話です。史実考証も入れてます。主人公魅力あります。絵も上手くはないですが雑では無いです。ヒロインもそれなりに可愛いです。」
なぜ読まないのか 藤原隆家とかいう英雄
娘を入内させまくっただけの道長なんかよりよっぽど偉人やろ たまにある信長が本能寺から逃げのびてチンギス・ハンになった説好き 元寇でやりあったのに日元貿易はお互い積極的やったの草よな
まぁ元側が高い関税かけてそれが倭寇産むきっかけにもなったけども
お互い名を取らず実を取ろうと割り切ってたのホンマ東アジア的仕草 >>383
割と面白いんだけど初っ端で生首出したのは悪手だったんじゃないかと思う
あれ以上ってやっぱり戦としても衝撃あんまりないよね >>375
厳密には西国オールスターやな
文禄の役は完全にリサーチ不足で凍死、餓死、病死が続出で前に進めず一時休戦
2回目の慶長の役に関しては戦争終了した時点で日本軍は戦略的・戦術的目標をすべて達成していて翌年には朝鮮国の首都への大攻勢の予定があった
対する明朝鮮軍は11万人以上を動員した大攻勢をしかけたが
すべて敗退して、人員もなく兵糧もなく、秀吉が亡くなった後も、もしあのまま日本軍が駐留していたら、もうなんの手立てもなかったと朝鮮の記録に記されている
戦略も戦術も進退も完全に日本がイニシチアブをとっていた状態で秀吉が死んで戦争終了 明「室町幕府さん海賊対策やってーな
江戸幕府「明さん清さん海賊対策やってーな
草 >>371
日本人って失敗するとなんでも極端に改善してくる民族だよな
白村江で破れたことで以後千年以上に渡って防衛力を固めた結果、戦国や明治期まで列強が手を出せないぐらいの軍事国家になったし
太平洋戦争では輸送船沈められまくって負けたので、自衛隊は異常な程海上護衛に特化した軍隊になった
デフレ脱却出来ないのもオイルショックのトラウマのせいという説があるし、異常な程の国連中心主義は戦前の国連脱退からのトラウマが影響しているという説も
一時期原発というか高速増殖炉などを異常に推進していたのも、資源で日干しにされて戦争に突入していったトラウマだろうし
そりゃ現日本政府も対米従属外交と言われますわ 元と元寇カウンターパンチから始まった倭寇が北虜南倭となって明を苦しめ続けるんやね >>375
名護屋城という名古屋のパクリみたいな城 >>391
いうほど改善できてるか?
白村江以降作った城郭は使わないで風化してったし
刀伊の入寇もなんか朝廷アワアワしてたら藤原隆家がたまたま頑張ってくれたけど正直無策やったやん
現代は現代で今この現状改善できてるか? >>389
やるぞやるぞとハッタリカマしてただけで日本の補給の方が限界で撤退に追い込まれるのは時間の問題だったのが実情 >>375
文禄慶長の役が無ければ明が滅びることは無く、清も存在せず、19世紀に中共みたいな国家が誕生して
日本が滅んでいたかも知れ無いし
日本の成功例としてあまり批判の無い日露戦争も、この時にロシアの反政府戦力を援助しすぎたせいでロマノフ王朝が倒れて
人類史上最大の悪魔である共産主義国家を生み出してしまったので、何が良く何が悪い結果となるかはホントに分からん
消滅寸前だった中国共産党が国共合作で生き返って、日本が一号作戦で国民党をぶったたいたので戦後中華人民共和国が誕生したし
日本ってよくよく考えるとろくな事してないな >>393
53人の日本人が日本刀を持って中国南部を80日間荒らしまわって明兵5000人殺害するとかいうヤバい事件はもっと知られていい 当時の技術じゃ千人くらい乗る大きい船とか作れなかったんかな 敵さんが誉ある戦いをしなかったから、こちらも誉を捨てたまでやぞ 博多の制圧に成功していたとしてもそこから東進し続ける過程で結局力尽きそう
九州に傀儡国家でも樹立して日本分断させて半世紀くらいはかかる気の長い計画にしないと無理やな >>400
明が滅んだのは50年後でその間にやばいイベントが色々起こって上書きされてるから秀吉の影響は毛ほどの物や >>396
白村江でガチガチに防人を固めたので明治まで対外戦争が起こらなかったとも言える
というかそんな単純な話では無く、改善という名目でも複雑な世の中極端な事をすると
どこかにほころびが出るわけで、改善=いい事、という文脈で話してるわけでは無いんだけどな
LGBTだってフェミニズムだってマルクス主義だって最初は良かれと思って改善した結果がアレなんだろうし >>362
そら「楽勝でした!」よりも「辛勝したンゴ……部下たちも傷だらけや、労わってあげてクレメンス……」のほうが苦労の分恩賞増えるかもしれんし >>400
原因の一つではあるけど文禄慶長の役の50年以上後やからな明が滅びたの
それが無ければもっと後まで続いたかはわからん >>398
か実際に日本と朝鮮の記録両方で翌年の日本の大規模侵攻の計画があった事が記されてる
あとハッタリってソースはあるの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています