鎌倉武士「ひゃあ、モンゴル人強すぎる…負けちゃうよー」台風「よろしくニキー」
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>>389
やるぞやるぞとハッタリカマしてただけで日本の補給の方が限界で撤退に追い込まれるのは時間の問題だったのが実情 >>375
文禄慶長の役が無ければ明が滅びることは無く、清も存在せず、19世紀に中共みたいな国家が誕生して
日本が滅んでいたかも知れ無いし
日本の成功例としてあまり批判の無い日露戦争も、この時にロシアの反政府戦力を援助しすぎたせいでロマノフ王朝が倒れて
人類史上最大の悪魔である共産主義国家を生み出してしまったので、何が良く何が悪い結果となるかはホントに分からん
消滅寸前だった中国共産党が国共合作で生き返って、日本が一号作戦で国民党をぶったたいたので戦後中華人民共和国が誕生したし
日本ってよくよく考えるとろくな事してないな >>393
53人の日本人が日本刀を持って中国南部を80日間荒らしまわって明兵5000人殺害するとかいうヤバい事件はもっと知られていい 当時の技術じゃ千人くらい乗る大きい船とか作れなかったんかな 敵さんが誉ある戦いをしなかったから、こちらも誉を捨てたまでやぞ 博多の制圧に成功していたとしてもそこから東進し続ける過程で結局力尽きそう
九州に傀儡国家でも樹立して日本分断させて半世紀くらいはかかる気の長い計画にしないと無理やな >>400
明が滅んだのは50年後でその間にやばいイベントが色々起こって上書きされてるから秀吉の影響は毛ほどの物や >>396
白村江でガチガチに防人を固めたので明治まで対外戦争が起こらなかったとも言える
というかそんな単純な話では無く、改善という名目でも複雑な世の中極端な事をすると
どこかにほころびが出るわけで、改善=いい事、という文脈で話してるわけでは無いんだけどな
LGBTだってフェミニズムだってマルクス主義だって最初は良かれと思って改善した結果がアレなんだろうし >>362
そら「楽勝でした!」よりも「辛勝したンゴ……部下たちも傷だらけや、労わってあげてクレメンス……」のほうが苦労の分恩賞増えるかもしれんし >>400
原因の一つではあるけど文禄慶長の役の50年以上後やからな明が滅びたの
それが無ければもっと後まで続いたかはわからん >>398
か実際に日本と朝鮮の記録両方で翌年の日本の大規模侵攻の計画があった事が記されてる
あとハッタリってソースはあるの? 文禄の役の50年以上後、だったな
まぁ言いたいことは変わらんけど 元寇の影響で鎌倉幕府が崩壊したっていうけど元寇は一回目が1274年(文永の役)、2回目が1281年(弘安の役)。
鎌倉幕府の滅亡は50年後の1333年だしな
簡単に国って崩れないよね 鷹島掃討戦ってホンマにあったんかなぁ
置き去りにされた10万人の元軍兵皆殺しって並大抵の労力やなくない? 僧侶「祈祷でモンゴル撃退できたから恩賞くれ!」
これ実話なん? >>412
10万人を管理して養う方が大変じゃ無い?
利用価値のないやつ以外殺した方が早い >>398
補給が限界だったのは陸路で長距離運ぶしか無かった平壌の戦いとかの話で
戦争全期間を通じて半島全体で海路での補給が限界になったという事実は無い
まさか13隻で2万隻を撃沈した李舜臣みたいなお伽噺が史実だと思ってるなんて事は無いと思うが
朝鮮水軍総総司令官に嫌われていた李舜臣は基本大艦隊を率いた事は無く、手持ちの少数兵力で出来たのは
日本軍の主力がいない場所でのゲリラ戦だけ
無論、それが出来た李舜臣の戦術能力は凄いと思うが、戦局に影響がある様なレベルでは無い >>416
あの炸裂するてつほうの絵ってコピペですよ >>417
数万人を無事に撤退させた水軍はもっと評価されるべき >>417
李舜臣が日本軍の補給線を寸断したという神話を信じてるのかもしれない
攻勢限界だのは妄想の域に過ぎないのにな >>345
他のはわからんけど鄭思肖のは誇張入ってるよね
帰ったら主に殺されるとかどうしてわかるんだ
敵である鎌倉武士を実際より大きく報告して侵略が上手くいってない言い訳でもあるんだら モンゴル軍曰く鎌倉武士は狂戦士なんだと
矢の雨に臆することなく突撃してた模様 >>420
イスンシン最終的に島津に土左衛門にされたのにな 李舜臣以外は日本軍に秒で殲滅されるか、出てきてはボッコボコにやられるか、勝手に仲間割れしたり逃げたりして
ろくなエピソードが無いので、13隻を率いて小規模な戦いに勝った李舜臣にすがりついて針小棒大するのは分からないでも無い
むしろ可哀想 正直これでやたらとホルホルするのもかなりキツいけどな
モンゴル軍の強みは騎馬であって海を渡る以上騎兵が碌に用意出来ない
モンゴル軍は大半が宋朝鮮の民で相手は大陸席巻した最強モンゴル軍とは別物
武士がそれなりに頑張ったのは事実やろうけど一応台風で壊滅したのは事実やし世界最強の軍団より強くて恐ろしい!みたいなのは言い過ぎやと思うわ >>417
陸路の補給が上手く行かない時点で首都侵攻とか本気で考えてたなら噴飯物だからな
仮に取っても維持できない ワイは変な思想は持ってないけど、てつはうの絵とかいう明らかに合成っぽいモンを教科書に載せてるのは自虐史観云々言いたくなるわ >>423
主に殺されるは分からんが300年後の朝鮮出兵で日本軍と戦った明の将軍・頗貴も日本軍の獰猛さに言及しとる
「宣祖実録」
「倭(日本人)の性質は甚だ獰猛で、先鋒が殺されても後退しない。自分は五十五歳で幾百の戦いを経験しあらゆる民族と戦ったが、倭奴ほど獰猛なものを知らない。」
など 元寇の鎌倉武士団打線(最新の研究)
1(中) 壱岐対馬は最初から見殺して相手の戦法を見極めてた
2(二) 既に出兵5か月前に出兵の時期を想定し鎌倉武士団を大宰府に展開してた
3(一) 相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくってた
4(三) 2度目は30キロの防塁を沿岸に、20キロの空堀を博多の南に、10キロの水堀を大宰府に築いていた
5(遊) 博多が略奪されてるのは目に見えてるので、敵が来る三日前に博多を略奪しつくしてた(鎌倉武士団が)
6(右) 2度目の時はモンゴルに倣って人質を楯にして攻撃してた
7(左) てつはうにあんまり動じずそのまんま徒歩で戦ってた
8(捕) 2度目の時は夜襲しまくって眠らせなかっただけじゃなく相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた
9(投) 元軍が壊滅した後、取り残された元軍の内、宋人は助命したが高麗人、モンゴル人は負傷者も女性も含めて皆殺しにしてた >>425
まあ戦争全期間を通じて、日本の大名級を討ち取ったのは李舜臣だけなので
そこまで貶めるような人物でも無いと思う
大名級と言っても来島通総という雑魚だけど、あれだけの大戦争で死んだのはコイツだけだからな
個人的には朝鮮人のスパイ疑惑のある小西行長ぐらいは死んでいて欲しかったが
コイツは碧蹄館でも醜態晒すし >>383
読んだけどこれ高麗の描写について連載当時は結構荒れたんじゃないの? 勝ってもいない朝鮮の役で勝つ予定だったとかイキってるのはさすがに笑うわ >>431
「半弓が巧みで馬上でも自由自在に射る、日本の上手な射手などの敵うところではない」「塀を引き倒そうとする敵を片っ端から撃ち殺しても五十人が五、六人になるまで網に取りついて引っ張っている」(松井物語)
が日本軍から見た明軍らしいから結局誇張とは限らんけどそれっぽく上に報告するのはセオリーなんじゃないかな
現場見てない人にそんな奴らと戦って勝ったら褒められるし負けても言い訳材料にはなる 1回目は台風じゃなくて普通に偵察だけして帰ったんよな
季節的にも貴族の日記的にも1回目の時に台風が来たとは考えにくいとかで >>433
一応中川秀政も大名級で討ち取られてはいるが
こっちは合戦じゃないからノーカンか? 今の大河見てると藤原隆家こいつで大丈夫か?ってなるくらい無能なんだが >>434
別に高麗が過剰に情けなく描かれている訳でも無いし
敵側は基本力押しでたいした描写も駆け引きも無く、淡々と対馬の日本軍が最初から最後まで負け続けるのが第一部だからな
高麗兵やモンゴル兵の残虐さも非常にマイルド
(別に批判しているわけでは無く、漫画だから当たり前だし普通に面白い) >>437
別にこれ以外にも当時の宣教師や朝鮮人も日本人の獰猛さや勇猛さに多く言及してるよ
倭寇とか鎌倉武士よりヤバい記録がいっぱいあるからね
例えば日本人傭兵を雇っていたクーン(J.P.Coen)総督は、1628年にアムステルダムの上官に対して、賞賛をこめて「日本人傭兵は悪魔のように戦う」と書き送っている 武士「実力で勝ちました」
日本「う〜ん、神風のおかげってことにしよう」
日本兵「なんのせいかもありませんでした」
日本「大日本帝国大勝利」
天邪鬼は日本のお家芸やね 宋の船が台風ぐらいで沈むわけないので突貫建造の手抜き建造やったんやろな >>445
再来年の秀長主人公大河でも悪者に描いたらキレるわ >>439
あれあまりにも情けない最後だったので家督取消になったんじゃなかったっけ? >>445
最近は朝鮮出兵はとち狂ったボケ老人の暴走という描かれ方で定着してるやろ
コロンブスと同じで美化はNGの悪党 >>444
河川用の船が大量に混じってたんじゃないかって推測もある >>448
別に美化しろとは言わんけど、
当時の世界情勢的に他国への侵略ってそんなおかしな事やないし、これをボケ老人の暴走で片付けるのは歴史に対してリスペクトがなさ過ぎるやん >>448
むしろそんな描き方しかしないのがおかしいやろ
NHKは絶対に朝鮮出兵がなぜ行われたのか裏の理由を描こうとしない
全部秀吉が暴走しただけ!で済まそうとしてる >>446
いいことは主人公のおかげ
悪いことは秀吉のせい
こうなりそう
軍師官兵衛のときもこんな感じだったし >>447
なりかけた
ただ賤ヶ岳で奮戦して戦死した親父の功績に免じて弟が後を継ぐ事が許された >>444
高麗「生意気な日本締めちゃいましょうぜアニキwww」
モンゴルアニキ「せやな、じゃあお前3ヶ月で3000隻作れ」
高麗「」 >>437
朝鮮出兵で戦った日本軍は下馬戦闘が常態化していた西国軍で明軍は遊牧民とバチバチに戦ってた北方の精鋭騎兵だから馬上での弓の扱いは明軍の方が上だろうね NHKは何があっても「朝鮮出兵が行われた理由」には触れようとしないからな
・内戦で溢れかえった軍事力を外にやるため
・明の海禁政策に対して貿易権を勝ち取るため
・当時の世界的貿易都市だった寧波で貿易して利益を上げるため
こういう理由は一切触れずにとにかく全部秀吉が暴走しただけ!で終わらせてる >>442
海外に渡った日本武士は事情も特殊だからなぁ
戦で価値が無いと見做されると帰る場所も行く場所も無くなる人らなんだから必死にやるしかない
こいつらを戦国時代の平均として考えるわけにはいかないでしょう
別に戦国時代の武士が弱かったとか煽りたいわけじゃないでマジで >>402
運ぶことはできるけど
航海のリスクが今とはケタ違いに大きいから
一度に大人数戦力失うこと考えたらそこまで巨大化できなかった 中川秀政自身は播磨三木13万石の大名
秀成への継承は何とか認められたものの知行は半減
後に豊後岡7万石に移されて幕末まで中川家は続いてる 捕虜を盾にしたり
船にくくりつけたりしても
鎌倉武士がお構いなしに捕虜ごと殺しに来て
モンゴル兵があいつら人の心無いんかってなった話好き
鎌倉武士があいつら捕虜盾にするの嫌がるんじゃねって
逆に盾にして攻めるたりしたりしてさ うろ覚えだけどクソデカ弓引く兵士おったんやろ?
甲冑着たまま泳いで船に乗り込んだとかそんな話も聞いたわ >>437
結局結果が全てだよな
碧蹄館では3000ぐらいの小早川立花隊に数万で襲いかかってボッコボコにされ
泗川の戦いでは10倍以上の明軍を少数の島津軍がボッコボコ
加藤清正に至ってはあまりにも朝鮮軍が弱すぎて手応えが無いので、特に意味も無くオランカイまで進軍して
満洲人に喧嘩売る始末 >>442
日本人は任務や職務つまり仕事を尊いものと思い込んでて
仕事だからしょうがない仕事だからやりきるって感情と切り離すから怖いねん
よく宗教画ないっていうけど仕事が宗教みたいなものやと思う >>462
それはその通りやね
誰がどう言ってたかより結果の方がわかりやすい >>460
ここまで残虐な事やったらアイツらビビりまくるだろうな
と考えて船上で高みの見物してるモンゴル軍に対して
腐ったモンゴル兵の死体にウンコ塗りたくって投石機で船に投げ込んでくる始末 >>462
朝鮮出兵は失敗に終わって豊臣政権は間もなく滅亡したというのが結果や >>465
人間の死体は小柄でも40~50kgはある上に丸くもない
そんなのを投げ込める投石機が日本にあったら普通に石撃ち込んでます…… >>8
学校においてある日本史の漫画がそんな感じの描き方やったんや 時宗はオリキャラに「戦は嫌じゃ」連呼させて、船が沈没して溺れる元軍兵士を救助するという
スイーツ大河の魁やったな 豊臣秀吉の唐入りとかだけじゃなく
当時の世界は大航海時代だからな
日本もその潮流に乗ってて海外進出してるし
東南アジア各地には日本人町が幾つも出来てたの
徳川の海禁・鎖国政策のせいで日本人の海外拠点は全部干からびちゃった
日本人のご先祖様の一部の血が今の東南アジアの人に流れてるかもだけどねw >>466
まあ豊臣家を滅ぼした徳川家康も豊臣家の五大老なんだけどな 日本人が仕事する時の冷酷さったらドン引きやわ
ビッグモーターとやり玉にあげられたけど
どの業種も同じような事やってるわ
客が損するって知ってながら勧めてくるやん 日本ではカタパルトなかったんだろ
ボウガンもなかった >>457
慶長の役で捕虜になった李氏朝鮮の官人・姜コウが書いた看羊録に面白いことが書いてある
姜コウは、倭将、倭卒に質問した
「生を好み、死を憎むのは人も生き物も同じくするであろうに、日本人だけが死を楽しみとし、生を憎むのは、一体どうしてなのか」と問うと、
「日本の将官は民衆の利権を独占し、一毛一髪も民衆に属するものはない。だから、将官に身を寄せなければ、衣食の出どころがない。ひとたび将官の家に身を寄せてしまえば、この体も自分の体ではない。少しでも胆力に欠けると見なされてしまったら、どこへ行っても容れられない。佩刀が良くなければ、人間扱いされない。刀傷が顔の面にあれば、勇気がある者と思い禄を得る。耳の後ろにあれば、逃げ回るだけの者と見なされ排斥される。それだから、食に欠いて死ぬよりは、敵に立ち向かって死力を尽くすほうがましである。力戦するのは、実は自分自身のために計ってそうするのであって、何も主(公)のために計ってするのではない。」
戦国時代の日本人はそうしないと生きていけないのかもしれない >>472
まあ牛の死体を投げ込んだ云々は、俺も臓物をバラ蒔いたのが誇張されたのでは?と思ってるが
モンゴルの回回砲(投石機)を日本軍が鹵獲して使ったとしてもおかしくは無いかなと
回回砲を日本攻めの時に持ち込んだと言う記録は見た事が無いが
まあ冷静に考えたら、ペスト患者を城塞都市に回回砲で打ち込んだモンゴル軍の残虐さには適わないわな >>472
商売敵や客だけじゃなく身内(目下に限る)にすら容赦せんからなあ…
日本人はもう滅びるべき罪業を重ねすぎてる >>474
今と何にも変わんなくて草も枯れ果てるわ
安給料でこき使い無条件の忠誠心は要求してくる民間企業も公的機関も何にも変わってねえ >>474
なるほどなぁ
勇猛さは一種の同調圧力みたいなもんか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています