s://www3.nhk.or.jp/news/html/20240915/k10014582421000.html

1958年7月、国際的な観測プロジェクトの一環で、太平洋を航海していた海上保安庁の測量船「拓洋」と巡視船「さつま」の2隻がアメリカがビキニ環礁で行った水爆実験に遭遇し、乗組員が被ばくしました。

1年後、「拓洋」の首席機関士を務めていた永野博吉さん(当時34歳)が急性骨髄性白血病で死亡しましたが、被ばくと関連づけて考えることは困難だとされました。

今回、NHKは、事件の2か月後に当時、在日アメリカ大使館の書記官を務めていたリチャード・スナイダー元国務次官補代理が、事件の経緯や日本社会の反応を詳細にまとめた文書を入手しました。

日本の対応については「調査が終わる前からアメリカとの衝突を避けようとした。影響がないとした身体検査の結果を日本政府が公表し、放射線障害に対する不安を効果的に鎮めることができた」と記していました。

そのうえで「日米の関係を崩さないよう両国で巧みに対処した」と評価していました。