https://shirobito.jp/article/1173#:~:text=%E5%8E%B3%E5%AF%86%E3%81%AB%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%A8%E3%80%81%E3%80%8C%E5%9B%9B%E5%9B%BD,%E3%82%92%E7%AF%89%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82

光秀の私情とは無関係な「四国説」
最近、特に注目されるようになったのが、「四国説」です。厳密にいうと、「四国征伐回避説」ということになりますが、信長による四国攻めを中止させるために光秀が謀反をおこしたのではないかとする説です。信長は当初、阿波を本拠とする三好氏を押さえるため、土佐の長宗我部元親とは友好的な関係を築いていました。しかし、三好康長(笑岩)が降伏してからは、元親の勢力拡大を押さえる方針に転換し、これによって関係が悪化してしまいました。信長と元親との仲介役を担っていたのが光秀だったのですが、関係の悪化で板挟みとなってしまいます。ちなみに、元親の正室は室町幕府の奉公衆石谷光政の娘で、この石谷光政のもう一人の娘が、光秀の家老斎藤利三の兄頼辰に嫁いでいました。そのようなわけで、斎藤利三が元親との実務交渉にあたっていました。