ハーフィズ・アル=アサド大統領の次男としてダマスカスに生まれた。幼少の頃に父がクーデターでシリアの全権を掌握するなど、
政治は常に身近な所にあったが、兄弟や姉と異なり本人は政治や軍事への関心は少なく、控えめで穏やかな人間として育ち、父とは政治の話をしたことがなかったという。

学校時代は優秀で模範的な生徒だった。ダマスカス大学医学部を卒業後は軍医として働いた後、1992年に英国に留学、
ロンドンのウェスタン眼科病院で研修していたが、政治への関心は人並み程度で、「ITオタク」( "the geeky I.T. guy")だった[15]。
当時の上司や看護師の証言によれば、謙虚で、麻酔を受ける患者の不安を安心させるような模範的な医師だった[16]。ロンドンで
彼を指導した医師によると、独裁者の息子というイメージとは裏腹に、「時間を守り、礼儀正しく、感受性豊か」な人物で、コンピューター・
テクノロジーや音楽を好み、フィル・コリンズやホイットニー・ヒューストンのファンだった。寡黙で家族のことは殆ど話さなかったが、尋ねられれば丁寧に答えたという[17]。

なおこの頃、後の妻アスマー・アル=アサドと出会っている。彼女は英国で生まれ育ったスンニ派シリア人で、ロンドン大学キングス・
カレッジを卒業後JPモルガンの投資銀行部門でM&Aを手がけるキャリアウーマンだった。ファッション誌『ヴォーグ』では、「優雅で若く、
同国の改革の象徴」などと紹介され、英王室ダイアナ元妃になぞらえ、「中東のダイアナ」とまで称賛された。記事のタイトルには「砂漠のバラ」と冠されている[18]。