今から10年以上前のことです。ネット上にスレッドが立って、僕と柏木先生のどっちの作品かを当てるゲームみたいなことが流行した時期がありました。柏木先生の作品もだんだん笑わせる路線に変化し、2人の見分けが難しくなってきたのでしょう。

 やがてどちらかを当てながら、それぞれの作品を批評されることが日常化しました。もちろん、批判や悪口もありましたが、8割以上は肯定的な意見で、とても嬉しく感じたものです。

 一番印象的だったのは「こんな小説、俺にも簡単に書ける。楽な仕事でお金をもらっているな」という書き込みに対して「900字程度で完結する文章は難しいぞ。だったらお前、書いてみろ」と反論してくれた人が数人いたことです。

 一方、批判された中で何度も出てきたのが「奈倉、親の前でこの作品を音読できるのか?」でした。確かに、それは厳しいものがありますね。

 ただ、いろんなスレッドを読んでいるうちに、悪口というのは形を変えた褒め言葉だと気づいたんです。まったく関心がなければ、何も書き込むことはなく無視するはずです。否定的な意見だとしても、その人が書き込みに3分ほどの時間を使ったとしたら、それは自分の寿命を削って3分を僕に捧げたことになります。なぜなら、時間は寿命の一部だから。

 当時は批判から学べることや気づきもあり、作品を書くうえでとても参考になりました。要するに、「肯定的な書き込みも否定的な書き込みも、何かしら作品に愛情があるから読者は文字にするんだ」と楽観的に考えるようになりました。

https://note.com/calm_lily129/n/nec2804e3ad18