>>569
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第76篇です

ハーパー注解は1節を共同体の感謝の表明。
2-5節を、祭司か神殿預言者に与えられた主の神託としています。
いきなり「わたし」となるのは「主の神託」が語られたということのようです
フランシスコ会訳は「」づけされてわかりやすく区別しています。

「定まった時」をフランシスコ会訳は「時が熟したとき」と訳し、
「罪悪が熟した時」と註しています。最後の審判ではないようです。

「角」は力の象徴だそうです。自身を誇るなという意味ですね
力ある者は神であり、神が裁きにおいて、誰を低くされ、高くあげられるかを
決められるということのようです
>要は自身を価値あるものとするな、
>それを決めるのは神である、ということでしょうか?
まさにそのとおりです

ルカ1:46-55はマリア賛歌と別称されてますが
1:51主はみ腕をもって力をふるい、
心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、
1:52権力ある者を王座から引きおろし、
卑しい者を引き上げ、
1:53飢えている者を良いもので飽かせ、
富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。

この詩編の影響があるのかもです