「そこまで落ちたか原辰徳と、血が沸騰」巨人・原監督が中田翔にバントをさせた理由
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「そこまで落ちたか原辰徳と、血が沸騰してくるような感じ」巨人・原監督が中田翔に“6245打席目での送りバント”で乗り越えて欲しかったものとは?
原監督「(中田は)借りてきた猫みたいで……」
どれだけの言葉よりも、1つの送りバントのサインが伝える重みがあるからだった。
「自信しかない」と大見えを切って突入した巨人2年目のシーズン。しかし開幕前の絶好調とは裏腹に、開幕直後から中田のバットから快音は消え、4月22日には一軍登録を抹消された。
実はこの抹消の直前に原監督に中田のことを聞くと「何かもう一つね、借りてきた猫みたいで、本来のものが出ていない。いまのままじゃダメだと思うけど、もうしばらく一軍に置いて様子を見たい」と語っていた。
その直後の抹消だったのだ。 本当の意味で巨人の選手となる“洗礼”の機会
そうして5月10日に一軍に再登録された。このリフレッシュから再スタートの機会を逃したら、再び中田は借りてきた猫になってしまう。
だからこそ原監督は、本当の意味で巨人の選手となる“洗礼”の機会を狙っていた。
チームのために、勝利のために自分の打席を犠牲にする価値を感じてくれ。その姿を見せ、そこでその価値を感じるようになってこそ、本当の意味で巨人の一員になれる。
中日戦の送りバントのサインには戦術的な選択と同時に、そんなダブルミーニングが込められたものだったはずである。
中田の送りバントでチームはこの回、勝ち越し点を奪った。そして8回には、今度は中田自らが劇的な2ランを放って勝利を決定づけた。
そして翌14日に放った満塁弾だ。 実は同じ思いを経験した人間が巨人ベンチにはもう1人いる。
1989年。近鉄との日本シリーズ第5戦での原監督だった。
「次の行き先はフェンスの外(引退)だ」
89年は藤田元司監督から「これでダメだったら次の行き先はフェンスの外(引退)だ」と最後通牒を受けて外野にコンバートされた年だった。
しかしシーズン打率は3割を大きく割り込む2割6分1厘まで下落、本塁打もルーキーイヤーを除く自己最低の25本と低迷した。そして迎えた日本シリーズだったが、チームは初戦からいきなり3連敗して崖っぷちに追い込まれた。その象徴的な存在のように、原監督も10打数ノーヒットと沈黙。打順も4番から5番、第3戦では7番まで降格していった。
そして第4戦を勝って1勝3敗で迎えた第5戦だった。この試合では第4戦を「ボールが見えてきている」と藤田監督が評価。再びクリーンアップの「5番」で出場したが、第1打席は三振、第2打席は二飛、第3打席も遊ゴロと3打席凡退。シリーズでの連続無安打は18打席まで延びていた。
2対1と巨人が1点をリードして迎えた7回の攻撃。この回先頭の9番・斎藤雅樹投手の安打から、送りバント、四球に内野ゴロで2死一、三塁として打席に4番のウォーレン・クロマティ外野手を迎えると、近鉄バッテリーはクロマティを敬遠、満塁策で次打者の原との勝負を選択したのである。 「そこまで落ちたか原辰徳と、血が沸騰してくるような感じだった」
「その瞬間? そこまで落ちたか原辰徳と、血が沸騰してくるような感じだった」
原監督は捕手が立ち上がった瞬間をこう振り返っている。
「だけどその一方ですごく冷静でもあったし、ボールはよく見えていた。だから打席に立ったときには、それまでノーヒットだったけど自信のようなものもあった」
2ボール2ストライクからマウンドの吉井理人投手(現ロッテピッチングコーディネーター)が投じた6球目。原監督の放った打球は左翼席へと飛び込んでいった。 「ただ満塁ホーマーを打った瞬間より、もっと鮮明に覚えていることがあるんだ」
「ベンチに戻って座った瞬間だった。スッと冷たいものが……」
後に原監督はこの日本シリーズの満塁弾を振り返ってこう語っている。
「ベンチに戻って座った瞬間だった。スッと冷たいものが背中を走ったんだ。もし、ここで凡退していたら。もし、この打席で打てていなかったら、自分はどうなっていたんだろう、と。そう思った瞬間に、背筋を悪寒が走った。人は嬉しさよりも、本当にゾッとした瞬間の方が鮮明に覚えている。だからそういう経験は糧になる」
歓喜に浮かれるのではなく、自分の置かれている立場を冷静に認識して、気持ちをもう1度、引き締める。そこからしか再起はないということだ。
中田は連続本塁打を放った次の15日の中日戦で3打数無安打に終わると、中島宏之内野手の状態がいいことから、広島3連戦と阪神戦3連戦の初戦もベンチスタート。それでも阪神戦では土壇場の延長12回無死満塁で代打に起用されると、1ボール2ストライクから決して大振りはせずにコンパクトにセンター方向を狙ってと試合を決める2点タイムリーを放った。
それも中田が出した巨人での野球の答えだったのかもしれない。
言葉では分かっていたが、実際には経験したことのなかった巨人の、原監督の野球。その洗礼を受け、そして「血が沸騰してくるような」場面を乗り越えて結果を出した。もう中田は借りてきた猫ではなく、本当の巨人の一員になっていけるはずである。
すべてはあの送りバントから始まった。
だからこそもし、あのバントを失敗していたら……そう考えると背中を冷たいものが走る。 東京を知らない。
何か内所話をしたら山嵐はまだないから返しに来んだ。 ほー
天才原も晩年はそりゃ落ちていく苦労はしとるわなそら 前年3割31HR打ってる生え抜きスター選手に最後通牒つきつけるとかこの時代狂ってるやろ この記事書いてるやつって2017年のソフトバンク戦でもガッフェが中田にバントさせたの知らんのやろか
失敗したから記録されてないだけで >>15
原監督は藤田監督の采配を参考にしてるんじゃなかったっけ? 特にお笑い的に面白い部分はない記事やな
読ませる文章ではあるけど
光の中から現れたのは~
の時のスパイスの記事みたいなのが読みたい 常にONと比較されまくってあらゆる手段で尊厳を踏みにじられてるから
実際に自分がそういうのをやるのがほんま上手いよな 周囲を納得させなが干すのが上手いとはなんだったのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています