大会15打席以上で打率7割以上、出塁率8割以上を同時にマークしたのは83年良知操夫(東海大一)10年重信慎之介(早実)18年住谷湧也(近江)と3人いたが、過去3人は本塁打なし。浅野の長打率は1・800となり、出塁率+長打率で表すOPSは2・600。15打席以上の打者では85年清原和博(PL学園)の2・438を上回る大会史上最高値だった。

通算4本塁打以上は24人目だが、公立校の選手では3人目の最多タイ。過去2人は、のちに大阪の住吉市民病院長を務めた1924年土肥梅之助(市岡中=現市岡)と、85年に桑田、清原のPL学園と死闘を演じた藤井進(宇部商)で、藤井以来37年ぶりになる。