横浜高校時代の倉本を取材していたtvk吉井アナはそう振り返る。その頃の倉本はまだレギュラーを掴み切れてはいなかった。一学年下には当時既に高校球界のスターだった筒香がいる。「お前には無理だ」と言われた横浜高校に進学し、怪物たちの中で血の滲むような努力をしてレギュラーを掴み、渡辺元智監督(当時)に「お前がプロに入ると思わなかった」と驚かれながら、ルーキーで開幕戦ショートスタメンの座を掴んだ。倉本の「華」は、周囲の評価を一つ一つ覆すことで彼自身が丹念に育て上げたものだった。

「コロナ禍前、試合後のぶら下がり取材ができた時期、駐車場で選手を待つのですが、決まって帰宅が一番遅いのが倉本選手。ナイター後、2時間ぐらい出てこない時もあり、他の記者や選手も引き上げ、ひとり暗い駐車場で待つ日が少なからずありました。ようやく姿を現した時は、まるで恋人に出会えたような嬉しさ。そんなときは優しい笑みを見せ『まだ待ってたんすか!?』と、いろいろ誌面に書けない話も含めゆっくりしゃべってくれるのは嬉しかった。終電終わってましたけどね(笑)。クールに見えますが、待たされたとしてもぜんぜん許せる愛嬌の良さがあるのです。きっと試合後にバットを振るなど練習をしていたのでしょうけど、いつだか横浜高校の後輩である乙坂智選手に『倉本さん試合後なにしてんすかね?』と訊くと『ああ、倉本さん、どこにいるかわからないんですよ』と。謎深き選手です」

 ベイスターズを長く取材しているライターの石塚隆は言う。同僚をもってしても解明できないミステリアスさを持ちながら、その根本はチャーミング。憧れの存在である石井琢朗タオルを掲げている時の倉本は、我々と同じファンの顔を覗かせたりするからたまらない。しかしひとたび試合となれば、倉本は勝負の鬼となる。
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