「人類は少しでも平和へと近づいている」――。ロシアのウクライナ侵攻からまもなく半年が過ぎようとしている。
嫌でも「戦争」の2文字が目に入る今、私たちは、何を思えばいいのか? デビュー作の「同志少女よ、敵を撃て」が本屋大賞などを受賞した作家の逢坂冬馬さんと、
民主主義論について詳しい宇野重規・東京大教授が対談しました。上下2回でお伝えします。

宇野 今、日本で戦争を語るのはとても難しいですね。ウクライナ危機でも、テレビやインターネットに映る戦闘の様子をゲーム感覚で見てしまいかねません。

逢坂 おっしゃるとおり、現実の戦争をアニメになぞらえる人もいます。私自身、戦争は大嫌いでもミリタリー趣味があります。
趣味的な素材として戦争にアプローチしやすくなっています。
他方、戦争体験者がどんどん減っていて、直接の経験に基づく戦争のリアリティーが遠ざかっています。今は、エンターテインメント小説でこそ、戦争の惨禍を追体験しやすいと思いました。

◆ガンダムは戦争の悲惨さを伝えようとしたが…

――趣味的という話の関連で、戦争を描いたエンターテインメント作品は、反戦を訴えても違う受け取り方をされがちです。
アレクシエービッチさんの作品の漫画版が、「軍服を着た女の子萌(も)え」として消費されるようなことも起きます。

逢坂 アニメ「機動戦士ガンダム」を作った人たちは、若者向けエンターテインメントで戦争の悲惨さを伝えようとしました。
なのに、結果として「戦争を格好良く描ける」という禁断の扉を開いてしまった。
空襲の記憶がある世代が関わってさえ、こうした誤解が起きます。
結局、作者が口を酸っぱくして反戦を言い続けるしか、誤読を防ぐ方法はないと思います。

宇野 ややずれますが、宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」を連想しました。
主人公は零戦の設計者で、決して戦争を肯定するわけではないが、飛行機の美しさを追求して戦闘機を造ります。
尊い営みだが、できるのは兵器という矛盾。
一個人の中で「戦争は嫌」と「飛行機は美しい」が両立してしまう。この複雑さも人間です。