ブッダ「弟子よ、"実体"なるものは存在しない」弟子「・・・???」
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弟子「一体どういうことでしょうか」
ブッダ「弟子よ、お前は"家"というものが存在すると考えているか」
弟子「師匠、私は"家"が存在すると考えておりますし、その中で暮らしております」
ブッダ「では弟子よ、私が指を指す方を見なさい。そこには何が見える」
弟子「何の変哲もないただの木の家でしょう」
ブッダ「弟子よ、お前はこれを"家"と呼ぶのだな」
弟子「それ以外になんと呼べばよろしいでしょうか、師匠」 ブッダ「ではこの家から床を取り除くことにする。弟子よ、これは"家"と呼べるだろうか」
弟子「言えます、師匠」
ブッダ「ではこの家からさらに屋根を取り除くことにする。弟子よ、これは"家"と呼べるだろうか」
弟子「不十分ではありますが家と呼ぶことも可能でしょう」
ブッダ「ではこの家からさらに壁を取り除くことにする。弟子よ、これは"家"と呼べるだろうか」
弟子「師匠、これはもはや家とは呼べません」 ブッダ「お前は今まで"家"であると述べてきたものを"家"でないと言った。弟子よ、お前にとっての"家"は壁であったのか」
弟子「師匠、それは違います。壁がなくとも柱と屋根があればそれは家と呼べるでしょう」
ブッダ「では一体"家"なるものはどの時点で"家"となり、どの時点で"家"でなくなるのか」
弟子「師匠、それは我々の暮らしに安息を与えるものにできる時点でしょう」 ブッダ「つまり"家"なるものは個々人の思い方によって存在する時点が異なるというのだな。草原に生きる人は布の天幕にも安息の場を見いだすが、雨風の多い我がインドの地に生きる民はそうはいかない」
弟子「そういうことになりましょう」
ブッダ「弟子よ、お前は初め「家は存在する」と言った。しかし"家"というものなど初めから存在しないのだ。その存在は我々の心が作り上げたものでしかないのだ」 ブッダ「同じことはあらゆるものに言える。存在は絶対的なものではなく、相対的に我々が生み出しているのにすぎない」
弟子「師匠、それは違うのではないでしょうか。家は存在しないかもしれませんが、それ以外のものには確実に存在しているものがあります」 弟子「家は人が作り上げるものですから、確かに人がいなければ存在しておりません。しかし、家を作るために必要な"木"は確実に存在しております」
ブッダ「なぜそう考える」
弟子「木は人間の存在に関係なく存在しているため、個々人の考えに左右されることもないからです」 ブッダ「弟子よ、そなたの考えはまことに鋭いものだな。しかしそれは違う」
弟子「なぜですか、師匠」
ブッダ「"木"も所詮人の考えで生み出された相対的な存在にすぎぬ。弟子よ、そこに生えている木をこすってみよ」 弟子「こうすればよろしいのですか、師匠」
ブッダ「手のひらに何が見える」
弟子「木の表面から剥がれた小さな木屑が見えます」
ブッダ「弟子よ、それは"木"と言えぬのか?」 弟子「これはただの屑であり、木と呼ぶことなどできないでしょう」
ブッダ「ではその木の屑が集まったこの大木もまた、"木"と呼ぶことはできないのか」
弟子「それは違います、師匠」
ブッダ「なぜだ」
弟子「それは…」 >>16
テセウスの船の話とは全然違うでガイジくん 弟子「しかし、木は葉を生やし、すくすくと成長し、人々に安らぎを与えます。ただの木屑の集まりとは明らかに違うでしょう。木屑を集めただけでは葉は生えません」
ブッダ「弟子よ、お前がそう考えるのはお前自身が人間であるからにすぎない。人間であるからこそ、葉を生やし、実を落とす木に特別な意味を見いだしているのだ」 一瞬ブッダに屈しそうになったけど弟子のおかげで踏みとどまれたわ ブッダ「もし人間が落ち葉を焚き火に使わず、果実に甘味を感じぬ生き物であったなら、おそらく我々は"木"に意味を見いだしていなかっただろう。そのとき、木はただの"木屑"の集まりとしか見なされない。人間の視点を捨て、ものを突き詰めて見れば、木も、木屑も、どちらも同じ塵の集まりにすぎぬ」
ブッダ「弟子よ、足元に転がっている石を見なさい。それらはどれも全て形も大きさも異なっている。しかし我々はそれらを全て区別して別の名で呼ぶだろうか? 我々はそれをしない。なぜならそれらを区別することが、人間にとって意味を持たないからだ」 >>27
やっぱブッダって天才だわ
弟子は滝つぼに打たれとけ ブッダってやつめんどくせえな
法華経と大日経作ったろ 弟子「つまり、木が我々にとって意味あるものであるから、単なる屑の集まりとは異なった見なし方をしているだけ、と?」
ブッダ「そうだ、あらゆるものは人との関わりによって存在を与えられる」
弟子「なるほど……あなたが普段おっしゃられている"縁起"なるものはそのことですね」
ブッダ「そうだ」 弟子「つまり、木が我々にとって意味あるものであるから、単なる屑の集まりとは異なった見なし方をしているだけ、と?」
ブッダ「そうだ、あらゆるものは人との関わりによって存在を与えられる」
弟子「なるほど……あなたが普段おっしゃられている"縁起"なるものはそのことですね」
ブッダ「そうだ」 これで弟子が勝ってると思うのってほんまに馬鹿なんやな
まあこのブッダの下り自体ソース無いんやけど >>19
そうなんか
ワイ中卒で正直テセウスの船の事も良くわかっとらんのに賢ぶった
すまん 弟子「師匠、確かにその考えは面白いものではあります。しかしそれが結局のところ、私の人生にとって何になるのでしょうか。私は空虚な言葉遊びを嗜むために家を捨ててきた訳ではありませぬ」 >>34
ブッダは一冊も本書いてないから仏教は全部コピペやで ブッダ「弟子よ、存在に囚われぬことで初めて我々は苦の呪縛から逃れられるのだ。我々が目指す地は、正にこの縁起の理解なくして辿り着けぬ」
ブッダ「我々はなぜこの世には"悪"なるものが存在するのかと心を悩ませている。しかし弟子よ、それは無益だ。"悪"などは初めから存在しないのだから。あらゆるものは我々が生んだ言葉でしかない、そこに絶対的な存在はないのだ」 たしかにだからなんやねんっていう話だったわ、サンキューデッシ >我がインドの地に
手塚ブッダの知識しかないけどマガダとコーサラとその他だよな当時って
インドって概念あるのかな ブッダ「それは"悪"のみではない。"善"も"美"も"快"も存在しないのだ。」
ブッダ「我々は往々にして快楽に溺れる。その欲望は無限に尽きることはないが、我々の力は有限だ。ゆえに我々は必ず手の届かぬ快楽を前にして苦に苛まれることとなる」
ブッダ「しかし弟子よ、案ずるな。快楽とは絶対的なものではない。それは初めから存在しているのでない。ただ我々の心が生み出したものなのだ。ならばそれは必ず克服できる。そもそも我らがそれを生まなければいいのだ」 弟子「師匠、我々はどうすればそれを生まぬ人となれるのでしょうか」
ブッダ「弟子よ、"美"も"快"も"名"も、そして"苦"でさえも全て『言葉』であることを知れ。それらはみな先の木の家である。我々がそれを生み出したことを知るとき、我々はそれらへの従属から解放される」 ブッダ「それらは絶対的存在ではない。ただの言葉なのだから」
ブッダ「あるゆるものが存在しないことを知るとき、我々はついに"存在"に対して執着することを止めるだろう」
ブッダ「その時こそ、初めて我々は苦から解放されるだろう」 ガイジも言葉やから気にするなってことやな
片親とかハゲとか人権無しも 弟子「"苦"から解放されようと考えてる時点で"苦"を実体として捉えてしまっているのではないでしょうか?」
弟子「それでは永遠に"苦"から逃れることなどできないのではないでしょうか?」
ブッダ「弟子よ、それはお前が自身で考えることだ。私はただ、お前より少し先に道を歩く者にすぎない」 何言ってるかよう分からんけどワイらがモノに意味を見出すから実体があるって事? >>58
適当に〇〇やんって言っとけば通ぶれるよな >>66
これ弟子の理屈論破するの不可能じゃない? >>67
ものに見出した意味だけが存在して実体はないってことや >>66
これを実際やっとるのが今の悟り世代なんよな
中国の寝そべり族とかもう完璧や 数学もそうだけど宗教哲学って
早い段階から高いレベルに到達してるよな つまんなブッダってぇのはこのてーどのもんなんかい? >>77
もともとブッダの理論がめちゃくちゃやからな 弟子「師匠、そのような煙をまくような物言いをなさらないで下さい。その道の先に何があるかを教えろなどとは言いません。しかし、その道を歩く方法くらいは教えて下さい」
ブッダ「これを語ることはあまり気乗りがしないが、そこまで言うのならしょうがない、語ることにしよう」 物に実体など無くて人間が定義した概念が在るだけって話やな
わかったわかった この世界どうやっても苦しいことばっかだから解脱しようぜだしなブッダ ブッダ「弟子よ、お前の言う通りだ。我々が言葉の中で苦から逃れる方法を考える限り、解脱に至ることは永遠にない」
ブッダ「弟子よ、だから私は言う。考えてはならない、と。言葉を超えるのに言葉を用いてはならない」 ブッダ「『苦から逃れる』過程で『苦の存在を否定』すること、これは我々の常識からすれば大いなる矛盾である。苦を意識した時点で苦の奴隷となるが、目標が苦からの解放であるのに苦を意識しないというのは根本から不可能であるように思える」
ブッダ「この矛盾を乗り越える方法を私は言葉で説明することはできない、このことは言葉の範疇の外にあるからだ」 >>60,80,100,150,180,190
問題
ヤンバルクイナ
火山
ガラケー
これらに共通するものは? >>89
やっぱこれくらい食ってかかった方が上司に気にいられるんだろうか >>18,28,34,35,42,49
土身のやれ ブッダの言葉を読むより龍樹読んだ方が遥かに仏教的因果論を理解出来るという事実 ブッダ「だが、私には一つだけ伝えられる言葉がある。この言葉を覚えておきなさい。」
ブッダ「その言葉とは、これである。」
『往ける者よ。
往ける者よ。
彼岸に往ける者よ。
彼岸に全き往ける者よ。
幸あれ。』 ブッダ「私が言えるのはこれだけだ。お前が矛盾を突き詰めて見つめ、もしそこに微かな光を見いだしたなら、迷うことはない、彼岸へと全力で飛びなさい。悟りはその先にある」 >>62,72,82,92,102,112
どぉおおおおお 「言葉」なるものを真剣に見つめ、「言葉」を乗り越えることに人生を費やしたブッダは、生前に一冊の本も書かなかった。
今、現存する仏典は全て後世の弟子がブッダの教えをまとめあげたものである。
おわり >>107
上司はたいてい悟ってないからこのリアクションは無理やろ スクリプトも俺らが迷惑と思うから悪なんやな…って納得いくかい >>60
言葉を使わない動物でも噛まれたりしたら苦を感じるやろ >>101
本質的には同じやで
金も仕事も恋人も遊びも求めないのが中国の寝そべり族や
ただ生きて寝るだけ
仏教の解脱とか禅とかも本質は無やからな
何も考えない感じないのが幸福って話やろ つまるところ脳味噌パーにしてマグロになれってことやろ? 全くつまらんとこのやりとりってことは両サイド共糞レスバ強いやろ この弟子が師匠の呼び名である「ブッダ」を継いで、今ワイらが知ってる方のブッダになったってオチやな! ブッダ「さていつものように私のおいなりさんを舐めて貰おうか」ボロン
弟子「……はい」 >>12,13,14,15,16,17
ワ.イの.中の.小栗.句「doーmiの!w」 ブッダとソクラテスをレスバさせたらどっちが勝つんや? >>131
アイツらは四諦の方が近いわ
逃れようとすら考えてない 結局ガウタマが「悟ったワイにはわかるんや」って言ったら全部勝ちやんけ >>143
向いてる方向同じやからレスバにならんやろ >>146
でもこいつら論戦の枠組み出来たら相手に同調することなさそうやん 資本主義の世界で何も考えるなは無理すぎるやろ
電気ガス通ってない山奥で畑とかしながら生きてく人にしか意味ないよなこれ
洋服とかも含め誰かの何かに依存して生きてるわけやし >>144
どっちも仏教なんやから本質は同じやろ
考えて無になるのか何も考えなくて無になるのか道は違くてもゴールは同じや
欲を捨てるのが幸福って話やろどっちも >>143
ソクラテスのレスバは知った気になってるやつ特効だからブッダには通用しないと考えられる >>152
普通に的を得ていること言ってるやん
そもそもニヒリズムとほぼ同じやろ >>129
痛覚とか空腹とか生理的に逃れられないものに困るのは当然やろ
でもヒトカスは執着のせいで本来苦しむ必要のないものにも苦しんでるよな
実体がないんだから執着すんなよ
ブッダがいいたいのはこういうことちゃうか 論理学は新しいものの方が正しいはずだし古いもの読む意味は娯楽以外にないと思うんだよね このやりとりの経典何?
最後のは般若波羅蜜多の教えのシーンだけど、それは釈迦と弟子(サーリプッタ)との問答じゃなくて観自在菩薩と弟子のやりとりや
確かこの時釈尊は瞑想してたはず 孔子だっけ?弟子の返事が早いから太鼓みてぇだなとか言ってた奴って レスバ強すぎる
なんg民のレスバってやっぱ子供の遊びレベルやわ >>125
人の言葉をコピペして自分で考えることしない時点でブッダの教え理解する気ないやん キリスト仏陀ムハンマドの中で一番健常なのってムハンマドよな このレスバの勝ち負けにこだわったら解脱には至れないだろうな >>143
ソクラテス「なんで?」
ブッダ「知らん」
ソクラテス「…」
ブッダ「…」
ドロー >>158
論理学でもないし新しいことの方が正しい根拠ないし
今でも政治哲学でアリストテレスが参考にされてるぐらいやで ブッダって本のこしてないんか
ブッダの教え知りたかったら何読めばええんや これ普段の散歩道での何気ない会話やから弟子も冗談半分で適当に喋っとるで >>168
勝ち負けという価値観を相対化出来てないからな 基本的に流行した宗教って暴力は良くないみたいな論調やのに、信者同士はガチバトル起こすのなんなんやろな
信仰してるんかしてないんかようわからん 仏教の経典多すぎ長すぎで勉強しきれんからなんか良い本無いか?と寺の坊主に聞いたら般若心経は仏教のエッセンス詰まってるからこれ読み込めと言われたけどほんまなんか?
大般若経ですらクソ長すぎて読む気にならんから助かるは助かるが つまりレスバの勝ち負けを考えてる時点でレスバの苦しみからは逃れられないってこと? >>160
悟ったら性欲とか自由自在にコントロールできるようになるらしいで >>157
いや仏陀は老いや病も乗り越えるべき苦って立場やないんか?それに全て『言葉』であることを知れって言い方は本来苦しむ必要のないものだけを指してるようには思えん >>169
知る/知らないの枠組みから外してくるから
弁証法に対しては明確にカウンターできる >>174
阿含経やな
中村元先生の原始仏教がおすすめ >>179
ワイらに聞くより寺の坊主に聞いた方が間違いないやろ >>175
まあそんなもんでええのかもしれん
レスバ中にマジレスしまくってる時に何必死になっとんねんとか何ムキになってんねんって言われたらなんか嫌な気分になるし >>179
このスレの内容って大体般若心経に書いてあることやで >>186
ニーチェの解説書でも読め
そもそも現代はニヒリズムの上に立ってるんやで >>131
言うてあいつら無料のコンピューターゲームやって飢え死にしない程度にはアルバイトやってるで これからレスバのときこのフレーズ使うわサンキュー
「>>○よ、それはお前が自身で考えることだ。私はただ、お前より少し先に道を歩く者にすぎない」 >>182
ほんまなんか?
西方教会では性欲のコントロールは不可能だから人智を超えた神の自由主義によってしか救えないって方向やが仏教は自力救済なんやね こんな立派な考え持った人の教えが仏が人間救う宗教になるとかわけわかんねえな 逆に言葉を超えた文脈に拡大解釈される大乗仏教好き
日蓮なんて文底秘沈なんて言ってしまうし >>187
自分から出家してるのに師匠をガイジたぁ酷い話だね >>191
ほんならあの坊主の言うこと正しかったんか
やたらと金要求するし法事の後飲酒運転する生臭坊主のくせに >>194
さりげなく先に道を行くって言ってマウント取るのに成功してるのがええな >>197
義務教育すら受けてないガイジ大衆に理解できるわけないしな >>120
上司に相談に行ったら相談事は明後日の方向にいって説教された時のワイそっくりや 欧米が2000年以上かかったニヒリズム的価値観にこの時代から到達出来た時点でブッダは凄すぎるんだよなあ >>193
生きるための最低限の活動であって仕事で上に行きたいゲームで強くなりたいそう言う欲求はないやん
食わないといけないから仕事する
暇な時間潰すのにゲームするって感覚やで
全部が受動的なんや
外的要因があって初めて行動する虫みたいな生き方や
その方が考えなくてええから幸せやろって教えやろ >>195
正直なところ仏教は糖質入門講座みたいなもんや
第一禅定とか完全に糖質の症状やし >>211
カントはバリバリキリスト教的考え方してるやん
特に道徳論は >>207
しかも量子力学の出た結論がブッダのいう空の概念とまったく同じっていうね
ブッダは科学すらも超えてるのがヤバすぎ 浄土宗とか浄土真宗の僧侶が言う救いってブッダの教えとかけ離れとるように思えるけど本人の中でどう整合性保ってるんや?
というか菩薩界やら如来界があって本願力で三千世界あまねく衆生を救ってとか本気で信じとるん?
この辺ブッダもそう語っとるんか? >>194
ブッダだから許されてるけど立場的強さのない人間がこれやったらギャラリーにも袋叩きにされそう イッチ間違えてるやろ
弟子ってのは十大弟子で智慧第一のサーリプッタ、舎利弗や
大般若経でも知恵のマントラをサーリプッタに説くのは仏陀自身じゃなくて観自在菩薩、場所は霊鷲山 >>194
そのような煙を巻くような言い方はなさらないでください >>214
ブッダは仏とか神とか死後の世界とかそういうの一切認めてないで
知らないもんは知らんし知ることのできないものを知ろうとするのは愚かなんや >>216
簡単に言うと現代人が持つ価値観も絶対的なものじゃなく人が作った移ろいゆく相対的なものに過ぎないということやで レスバは弟子の勝ちでええけどただブッダの考えも切り捨てるには惜しいよな
特に平成が終わり令和になってインフルエンサーがドヤ顔で「○○は××しろ!」と言い出して現代人は結論を焦りすぎる
そんなときに多方面からのものの見方、正解は一つじゃないんだと一歩引いて見る視点は個人としては持っておいた方がいいような >>213
そこはパルメニデスが場の状態遷移論に到達してるからドローや >>129
仏教では身体的外傷によって感じる苦と痛みに心が反応して生じる苦を別けて考えるんや
ここでブッダが言うのは後者 弟子「実体がないとはどういうことですか?」
日本仏教A「そんなんどうでもええから踊っとけ」
B「いや念仏唱えるだけでええで」
C「いや黙って座ってればええで」 >>227
ええな
ワイもブッダの教えに触れたかったわ >>226
これを語ることはあまり気乗りがしないが、そこまで言うのならしょうがない、語ることにしよう >>214
語ってない、釈迦の亡き後に教えを正当化するために菩薩や如来を登場させて肉付けした >>227
じゃあ大乗仏教の奴らは何を根拠にあの教えを説いてるんや
禅宗の奴らはまだまともそうやが 勘違いされがちやけどブッダは仏とか神なんているわけないやろって立場やからな
後の凡人共が勝手にブッダが死んだあと仏になったと決めつけただけや >>233
イデア論は永久的に続く絶対的な価値があるという考えやけどそれが違うのは歴史が証明しとるやん >>238
せっかく仏教が西洋並みの哲学体系に進化出来そうなところを弟子が可能性潰したんやね ブツタ自体は哲学者みたいな感じだったのかもな
イエスに出会ってれば・・・ >>213
お経=量子力学みたいな話は横取りみたいでめっちゃ嫌い
金縛りという言葉自体解釈自体やがお前ら科学的推理できてないやんけ見たいな 欧州哲学しか触れたことないんやがアジア哲学でおすすめの本とかある? >>66
負けたんやからに少し後ろに道を歩いてること認めようや 最近日本人がバカなのって宗教勉強してないからって気付いたわ
結局欧米人はそこがあるよな >>242
サムライ8のほうが仏教に寄せて書いとるんやから当たり前やろ 色即是空←なんとなく分かる
空即是色←よーわからん >>240
ブッダええこというなあ、ブッダはきっと仏になったに違いない
と後のカスみたいな凡人が妄想こねくり回して作った新興宗教や
ブッダの考えは哲学や科学で、仏教はブッダを信仰した宗教って考えるとわかりやすいで >>244
そういう統一された体系 法則があるってのは一神教ならではの考え方の影響あるからどうやろうな
仏教とかは自分の信じる道を見つけたならそれでいいみたいな考え方だから様々な解釈が受け入れられたみたいなことフロムも言ってたし ブッダの教え→人類史上最大の天才ブッダの人生哲学
仏教→人類史上最大の天才ブッダを信仰したカス凡人によるカス宗教 哲学何も知らんけど何から読めば良いんや
全部教えてや まぁしかし、情報の少ない時代にこういう考えが出来るのは普通の人やないな >>253
仏教は哲学とか言う奴たくさんおるけどブッダの無謬性を前提にする時点で哲学にはなれないのになあ
ギリシア人並みに著書で悪口言いまくるレスバ文化があればアジアにも立派な哲学体系が生まれたかもしれんのに >>259
幸せにはなれんで
苦しみがなくなるだけや >>244
実際にバラモン教がインド一体の土着神話を巻き込むようになると仏教は弱体し始めてバラモン教、ヒンドゥー教のカウンターとして教義を曲げて教団の維持に努めてくるんや、ようは教団経営で教えも変化してる >>149
ブッダが説くのは何も考えるなってことじゃない
言語化作用によって勝手に作り出される認知バイアスを意識してそこから離れろって教え 縁起の思想はマジですごいと思う
これほど真理ついててかつ実践的な思考はなかなかないやろ >>263
それは西洋的な考えに毒されてるからや
それにブッダは弟子との対話でよく自分の考え訂正したりもしてるから、ソクラテスの上位互換みたいなもんや >>257
ギリシアは多神教言うても人間存在に踏み込む頃には結局はト・ヘンゼウスなりデミウルゴスなりを置いてるからなあ 仏教史上最強のレスバトラーって連続レイプ魔龍樹でええんか? とりあえずニーチェって奴が凄いんやろ?
ワイも救われるかな? キリストブッダムハンマド「飲みいくぞ!」
誰といく? >>268
ブッダ本人がそうでも弟子や後世の信者がそうじゃなきゃ結局駄目って言いたいんや
今時ブッダのこの言葉は間違ってるからこう解釈するのが正しい!とか出来るん? >>275
ニーチェよりショウペンハウアーおすすめやで
陰キャ版ブッダって感じでめっちゃ共感できる >>276
最後の晩餐見る限り良いもん食わせてくれそうなキリストやろな ブッダが教えを説いていたのが2500年以上前という事実
ギリシア哲学もそうだがインド人頭良すぎだろ 仏教って世界三大宗教ぶってるけど明らかにキリカスイスカスより格下だよな
今侵攻されてるの日本と東南アジアだけやで 難しい話だねぇ
酒のんで歌って踊って仲間と語らえば悪いことも忘れられるがそういうことかい? 指が月をさすとき、愚者は指を見る
ワイも指を見てしまうんや 似たような事岡田斗司夫も言ってるしワシも論理あるわ
幸せのラインには何があるかとか国と呼べるには最低何が必要かとかな
国ってのは国土と法律と人民と政治があればいいわけじゃない
幸せってのは単に金やファミリーや好きな事があればええってわけでもない インド哲学で肉体的な人間の一生は踊りを見ているようなもの、満足したら去るだけっていう考え何かで学んだんだけど誰か知らん? >>276
キリストは飲みのも勝手にワインに変えてくるからNG 六師外道の方が現代の考えに近似してるよな
逆に言えば現代の考え方は数千年前に仏教がレスバで戦った思想の一つに過ぎないと言える 西洋哲学っていきなり近代の哲学者から入っても何一つ理解出来なくないか?
ギリシア哲学からラテン教父哲学、スコラ哲学を概要レベルまで押さえておかないと何話してるかすら理解出来んと思う >>277
だからそれは西洋的ヘーゲル的な考え方や
根っこの部分で上へ上へ、先へ先へ進もうって思ってる証拠や
ブッダはそんな上昇志向なんかないねん
別にいちいち乗り越えなくたってええねん。同意できるところは同意して同意できなきゃ同意できないでいい
大事なのはブッダの考え方で苦痛から解放されるかどうかや 考え方として持っておく分には宗教って面白いよな
それをどう活かすかを自分で考えて自分で動かないと何の意味もないけど 仏陀の教え知りたかったらyoutubeの中村元先生の解説が一番わかりやすいで
この人こそ現代に現れた菩薩や 三大宗教の開祖の中で一人だけガチのキチガイおるよな >>282
どこがや
家という概念も所詮人間が作り出したものに過ぎないってことやろ >>266
なんでも言うことの聞く労働者の出来上がりやん
つまりこの教えで経営者になることは不可能ってことよな?普通は"苦を楽にする"サービスを考えて儲けるし >>283
まあインドすら廃れてるのはな
かなりオリジナル宗教と化してるし >>277
解釈は変えずに新たなストーリーを作ってきた
当初、仏教の本尊は釈迦だけど時代が経つに連れてその当時の流行に合わせてストーリーを作り本尊も変えてきた >>292
別にそんなことないがな
逆にニーチェとかから入った方が身近に感じて入りやすい >>275
ニーチェは自分が価値にとらわれずむしろ価値を創る側の人間になれって思想の持ち主で、それを拒む言い訳を一切許さないから覚悟がなきゃ疲れるぞ >>298
その気になりゃその辺の木だって家になるってことかい? 結局仏教ってブッダの超人的存在になろうよって教えだけが一人歩きして途中からは新興宗教みたいなもんだよな
麻原だってもっと昔に生まれてたからなんかの宗祖になってたやもしれん >>284
違うよ
無という物にならないと悟りは無い
つまり寝てる状態で生き続ける
これが悟りの状態である >>166
商人上がりのおじさんだしな
人生の酸いも甘いも経験した大人やし
しかも宗教立ち上げて信者率いて戦争までやってのける
教義や聖典もきっちり遺すしな
教義ツギハギのキリストや王族出身の安楽ブッタとは大違いや >>307
途中からも何も仏教なんて最初からインチキ新興宗教だよ
いうてキリスト教だって同じやろ。新約聖書にキリストの考えなんか書いてないし、そもそもイエスはキリスト教作ろうと思ってたわけちゃうし
仏教はブッダを体よく利用して自分らに都合のいい宗教に仕立て上げただけのインチキ野郎共や >>307
違う
ブッダは生まれた時から全て持ってる側の人間や
それを捨て去り没落していく
その没落に美を感じるからこそここまで広がった 脳内で自分を苦しめる黒歴史やら未来への不安を延々と受け流しているとこれらが単なる脳内の電気信号で虚構だということが分かってくる
これを敷衍すると現実世界も目に入った光が電気信号に変換された虚構だということが分かる
現実世界が虚構ならば自分すらも虚構。諸法無我や ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています