>>233
①アイヌ語地名の「ナイ」「ベツ」の分布は盛岡以北に多く、胆沢地域ではまばらであること、
②北海道の後北式土器についても水沢市内では石田遺跡から二片発見されているのみで、同時期の土師器の多量な出土にくらべ問題にならないこと、
③縄文前期~中期(6000~4000年前)に岩手県北から北海道渡島半島にかけて同筒下層、上層式土器群が展開したが、胆沢地域は大木式土器群が展開し、全く異なる文化圏を形成していること、
などから、後期旧石器時代以降、縄文時代早期の一時期を除いて北海道文化圏と胆沢文化圏が同一であったという根拠がない。

引用やけどこれやね