鎌倉時代までの日本に生息していた「鬼」という謎の生き物
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>>166
武士やと鬼武者とかあるし
強さの象徴としての信仰みたいなんがあるんちゃう?
鎌倉時代以降の仁王像とか鬼やろ >>190
だから鬼はしっかりした形のあるもんではないと思うんや
イメージを描いたりしてはいるんやろけど 土葬された肢体の骨から燐が気化して空気中で発火したのが人魂
燐は発火すると青く燃える >>189
中世の第六天魔王信仰はおもろいで
pixiv百科事典の第六天魔王がわかりやすくて入り口とオススメや
要は仏教は市民に広まったけど神道は特権階級しか触れられへんかったから
伊勢神宮が第六店魔王を取り入れることで天照大神の価値を高めたってことやね
やから織田信長の第六天魔王ってのは天照大神の味方=武田信玄は朝敵という煽りになるとかなんとか 山姥って結構話あるけど昔はそんなに山にお婆さんおったんか >>208
税金逃れのために山に老人ばかり集まって生活するようになったのがルーツらしい >>220
自分でピョンピョン跳ねるんじゃないらしいね 酒呑童子は超絶イケメンショタでラブレター貰いまくってたが丸太小屋勢なので全て拒否していたら呪い殺され醜くなった妖怪みたいなじゃないっけ 唐が高句麗の書物を燃やしまくったせいで古代日本に関する資料も激減してしまってるという やたらでかい人型で異形の何かって創作に出てくる事多いけど大体鬼が原型だよな >>209
逆に日本語族の言語以外で解釈するならどうするんや 巨神兵もエヴァも進撃の巨人も鬼の伝承無かったら生まれてないやろ知らんけど >>217
縄文語ちゃうの
中古アイヌ語というべきか
現代アイヌ語方言から本土の縄文語も再建できないかって試みもあるみたいやけど 道教では鬼は死霊
人は死んだら魂が天に昇るけど魄は地上に留まるって考えやねん
ほんで無念の死や祀られんかった魄が鬼になる
この鬼は中国では「キ」と呼ばれてた
気門はキ門で死者が集う門のことやし丑寅の方角やから鬼のイメージに繋がっとる
これが日本に入ってきた時に「カミ」「モノ」「シコ」「オヌ」の当て字として鬼が使われた時期があるんや
モノはモノノケとか大物主神で意味がわかりやすいし
シコも醜女とか本来の意味は強く恐ろしい的なことや
オヌは見えないものでやっぱり強く恐ろしい
つまり人智を超えたカミとかモノとかシコとかオンのような概念に対して鬼という漢字を当ててた
その中でカミには神、モノには物、シコには醜、オヌには隠が当てられたけど
鬼のオヌだけが生きのびてオニに転じたんよ >>222
それは昔の東大教授がやってるけど一人で言ってるだけで誰も相手にしてないオカルトや >>223
ウルトラマンと巨神兵とか言っとらんかったっけ >>224
道教では鬼は死霊っていうのはある程度はただしいけどそもそも道教だからどうこうというより儒家だろうがなんだろうが鬼に死霊の意味がある
ただそれは割と後世になってから出てきた意味で元々の意味は墓棺に納めるときに化粧をして冠を被せた遺体のこと >>186
古代東北史の話すると長くなるけど
征夷大将軍のイメージに引っ張られすぎやねん
基本的に律令国家と蝦夷社会は持ちつ持たれつの関係やったとかちゃんと勉強すればこの辺の話はわかりやすくなる
アテルイとモレは本来は朝敵として扱うべきところを
律令国家があえで朝敵として扱わんかったことに歴史的出来事としての重さがあるんや
>>222
考古学と言語学からいうと岩手県北部あたりがアイヌ語の南限やろなってのまでは判明しとる >>229
これはワイの考え方やし
あんま深くはないやつやから話のタネとしてね 縄文系やろ当時の支配者層は大陸から来た細目の人らやし >>225
ワイは本州北部地名のアイヌ語地名説は一切信用してないで
ただ最後まで本州アイヌのいた津軽外ヶ浜方言とアイヌ語方言はちょこちょこ共通点見つけられてるみたいで
現代で標準とされるアイヌ語沙流方言を過去の本州アイヌ語、縄文語と比較するのは難しいとのこと 幅広く便利に使われる言葉よね 古くも新しくもならず時代によって地味にアップデートを繰り返され広く使われ続ける言葉 多分そこに本質があるんやろな とりあえず古代東北史は鬼からズレた話やけど
気になるならウィキペディアの「日本の古代東北経営」読むとええわクソ長いけど
基本的にはネームドエミシは朝廷に属した蝦夷族長一族で
朝廷からの見え方はそういうエミシが反乱しとるだけやから朝敵でしかないねん
だからエミシを理由にして殺したのはアテルイとモレの2人だけってのが三十八年戦争のポイントで
この辺は多少歴史をかじった程度では理解しにくい >>233
①アイヌ語地名の「ナイ」「ベツ」の分布は盛岡以北に多く、胆沢地域ではまばらであること、
②北海道の後北式土器についても水沢市内では石田遺跡から二片発見されているのみで、同時期の土師器の多量な出土にくらべ問題にならないこと、
③縄文前期~中期(6000~4000年前)に岩手県北から北海道渡島半島にかけて同筒下層、上層式土器群が展開したが、胆沢地域は大木式土器群が展開し、全く異なる文化圏を形成していること、
などから、後期旧石器時代以降、縄文時代早期の一時期を除いて北海道文化圏と胆沢文化圏が同一であったという根拠がない。
引用やけどこれやね >>230
南部蝦夷は早いうちから倭人文化圏っていうのはワイも大学の先生から教えてもらったわ
事実古墳時代はあきらかに大和朝廷の影響は岩手方面まで伸びとるし
フロンティアの進展や寒冷期と平安時代の温暖期のめぐりあわせで
倭人と蝦夷の生活圏がバッティングしたりして争いが増えたのが田村麻呂の遠征の時期なんやろかと漠然とイメージしとった >>237
せやなぁ
ナイ、ベツ系語彙の信頼度は高いけど和人圏の南東北や関東への適用はかなり乱暴なものが多いと思う >>238
バッティングではなく進出なのは間違いないねん
要は律令国家になったから税収を増やすために国家を広げたいんよ
だから古代東北に進出して蝦夷社会とwin-winの関係にはなった
蝦夷社会が公民化を求めてきて実現したのが奈良時代初期なんやが
そこから税金を巡って陸奥国運営で無能やったからエミシがキレて反乱
反乱したから鎮圧するの繰り返し
これだけのことやったのが小黒麻呂とかがやらかしすぎて一大戦争化して終わったのが田村麻呂の頃ってだけやね 鬼とはちゃうけど殺生石が割れて九尾復活とか言う浪漫 病気のメタファーみたいなもんで
病気で肌が赤らんだり青ざめたりするのが鬼の異色肌の由来とも聞く 何百年前なら妖怪とか悪魔とか生物学的に実在してたけど滅んだからもういないってのはロマンある
恐竜みたいな 外国人というより日本に根付いてた別民族別種族が1番ロマンあるよね
せいぜい別氏族くらいでそんなことは無いんやろうけど >>245
それに近いのが>>58の大嶽丸誕生やね >>236
>だからエミシを理由にして殺したのはアテルイとモレの2人だけってのが三十八年戦争のポイントで
もう少し噛み砕いてもらえるンゴ?
蝦夷社会と基本的には友好関係にあったってこと? >>246
龍の正体はマチカネワニ説ほんと好き
ロマンあって大好き ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています