御成敗式目追加法では、延応元年7月26日(ユリウス暦1239年8月26日)付で鈴鹿山と大江山の盗賊について、近辺の地頭が責任者として鎮圧させるよう伝達されている[原 4]。

ウィキペディアで申し訳ないけど
酒呑童子説話を文献史学で遡るとこれが最古の文献になる
御成敗式目追加法「関東御教書」延応元年七月廿六日付「鈴鹿山并大江山悪賊事」で鈴鹿山と大江山の盗賊を退治するよう書かれてから
どちらも盗賊が出たという話が膨れていって鬼が出ると変化していく