【研究】今川義元、奇襲されてなかった。
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桶狭間の戦い、織田信長の「迂回奇襲」という虚構
今川義元に対する「堂々たる正面攻撃」
戦国時代の合戦の中でも特に著名なのは、桶狭間の戦いだろう。
織田信長が少数の軍勢で今川義元の大軍に挑み、
敵の大名当主を戦場で討ち取った。桶狭間合戦の劇的な勝利は、
信長の天才性・先進性を示すものとして現代まで語り継がれている。
だが、歴史学者の呉座勇一氏によると、
大胆で意表を突いた迂回奇襲作戦ではなかったという説が浮上しているという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/33b3bec939196b533d1f954bf615576ffd5d0ca4?page=1 そもそも今は戦力互角だったってことになってるからね
2000対40000てのがおかしい 奇襲ってそもそも司馬遼太郎がソースとかそんな感じやろ? 太田牛一といい当事者があんま覚えてないからしゃーない 奇襲じゃなかったとか、義元さんが可哀想になるからやめて差し上げろ 奇襲でいいんだよもう
こういうのがいるからティラノサウルスとかつまらなくされるんだよ 四万ぶんの食料考えればわかるやろ
実際は400人くらいや 義元は砦の攻略と信長の撃滅について、明確な優先順位を定めていなかった。このため、砦を攻略している最中に信長が主力を率いて介入してくると、今川軍は想定外の事態を前に大混乱に陥ってしまったのである。
藤本氏は「今川軍は、信長不在という前提に立って、作戦を進めてきた。そこに信長出現という計算外の事態が生じた時、対応が遅れるのは当然であろう。
(中略)
彼ら(筆者註:今川軍の「前軍」)は、背後にいる義元にお伺いをたてて行動せねばならず、信長が陣頭指揮を執る織田軍とは、決断力と実行力において、はじめから大差が付いていた」と論じている。
対応の遅れにより今川軍の前軍は崩壊し、織田軍は前軍を破った勢いで、義元の本陣になだれ込んだのである。 一次資料だけで歴史語ったらなんも言えなるなるよな日本史 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています