【悲報】Z世代「人生は親ガチャ。学力も容姿も親ガチャで確定。努力とか意味ない」
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>>160
そんなにレスしてるのは運が良かったからなのか自発的なのか教えてほしい >>83
東京23区大学進学率
渋谷 77.2
港 74.5
文京 74.4
千代田 74.2
杉並 73
豊島 72
目黒 71.6
品川 71.2
北 70.6
新宿 68.7
世田谷 68.3
墨田 68.3
板橋 67.1
中野 66.6
中央 62.7
練馬 62.2
江戸川 61.6
江東 59.4
大田 54.6
台東 51.2
葛飾 42.4
足立 42.2
荒川 41.4
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59333?page=2 ま、努力できるかどうかも遺伝子次第なんですけどねw
そのうえ努力にも上手い下手がある(笑) >>167
頑張る事やろ
人や親のせいにして頑張る事を放棄する風潮はワイは嫌いや 努力する気力はあっても、努力の方向性をミスるやつ、センスのないやつも沢山いる
その努力が正しかったかどうかは結果のみで判断されるが、思ったような結果が出なくても自分のやった行動にどう折り合いを付けれるかが人生のような気もするな >>150
少数派の極論こそガチャをもっとも体現した存在なのに少数を除外するってどういうことやねん
頭悪いんちゃうか まあ親ガチャあるかもしれないけどラップもVTuberもあるからはワイは楽しいで 努力してこの過疎掲示板に人を戻してくれや人いない人いない人いない人いない人いない人いない人いない人いない人いない人いない人いない人いない人いない人いない人いない人いない寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい >>173
普通に必死で努力してたのにある日突然現れたゴジラやら隕石やらに木っ端微塵にレール破壊されて何もかも水の泡みたいな層もおるんやで
ゴジラや隕石を予測できなかったセンスの無さが悪いと言うのも一理あるし実際ここまで極端な例はそうそうないがとにかく概ね正しい努力を質量共に積み上げてたのにそれでも理不尽に報われない人間だっているということや SNSで上級国民の生活が簡単に見れちゃうのがそういう劣等感を生むんやろなあ
ワイがガキの頃なんか近場の情報しか無いから貧乏やったけど別になんとも思わんかったで >>179
自分の立ち位置が分かっちゃうからな
アフリカの子供に毎日アメリカの家庭を見せたらケンモメンみたいになるんじゃないか 努力は意味あると思うが
効率よく努力できるかとか
努力しようと思えるかどうかも
遺伝と環境ですべて決まるから論じる意味がない 能力を判定するための手段として試験が使われるが、試験で好成績を上げるには、教育に多大な金をかけることのできる家や、代々教育や文化に子供を触れさせる機会の多い(文化資本のある)家に生まれた子供が有利である。
こういった生まれの差は、
努力によっても覆すのは難しく、
メリトクラシーによって貧しい生まれの子供が高い地位に抜擢される可能性よりも、豊かな家の子供たちがどんどん高い地位を得てますます豊かになる格差拡大が起こる可能性のほうが高い。
結局のところ、自由と「平等」を重んじる民主主義の概念とは程遠いものである。
ちゃんと親ガチャ=メリトクラシーっていう定義あるから 国民の幸福度がかつて世界一だったブータンもインターネットの普及でガタッと順位落ちたし 親ガチャ肯定派はなんの悩みもストレスもなく生きてられそうで羨ましいわ
何かに失敗したり挫折しても「俺は親ガチャハズレだから出来なくてもしゃーないw」ってなってケロッと切り替えられるんやろ?
毎日を何も考えずノーテンキに過ごせててええよなあ 試験や就活や結婚のみの話ならまだましやけど
実際は知能や容姿の良し悪しは
毎日毎日影響が出続けて本人を苦しめたりもするので
累積での差異はとんでもないものになる そう思ってる奴が嫌儲みたいなおっさんになるんやろな 望まざるともいろいろ見えてしまうZ世代なりにただ自分の人生に折り合いをつけているだけにも思う
ただ、これ言われた親は辛いよなって思ったけど子供はもっと辛いから
ほんと恵まれた人は恵まれてる事を自覚して欲しい SNSによる比較により外れを押し付けられた
SNSなどやらねば気づくこともなかったのに >>179
コレマンス
昔は村の男しか比較対象がいなかったから貧乏に何の疑問も思わず結婚できた
今はSNSにより日本全国が比較対象となりより良い男を求め続けて少子化するようになった いや人生は運やろ
便所で産み落とされてそのまま便槽へgoの短い人生送った赤子を何人も見てきたやろ なんでも人のせい周りのせい環境のせい
いつまでも現実逃避してろ >>191
配偶者の選択権は基本的に女側にある
→女側は上位2割ほどの雄に群がって全国で競争する
→未婚化少子化が爆発的に進む
→おわり
という感じやな 2020年/東京大学/国語/第一問/解答解説
本文理解>
問一「不平等が顕著な米国で、社会主義政党が育たなかった一因はそこにある」とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。(60字程度)
問二「自己責任の根拠は出てこない」とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。(60字程度)
問三「先に挙げたメリトクラシーの詭弁がそうだ」とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)
問四「近代は人間に自由と平等をもたらしたのではない。不平等を隠蔽し、正当化する論理が変わっただけだ」とはどういうことか、本文全体の趣旨を踏まえて説明せよ。(120内) ①段落。学校教育を媒介に階層構造が再生産される事実が、日本では注目されてこなかった。米国のような人種問題がないし、英国のように明確な階級区分もない。…そんな状況の中、教育機会を均等にすれば、貧富の差が少しずつ解消されて公平な社会になると期待された。しかし、ここに大きな落とし穴があった。 ②段落。機会均等のパラドクスを示すために、二つの事例に単純化して考えよう。
ひとつは戦前のように庶民と金持ちが別々の学校に行くやり方。もうひとつは戦後に施行された一律の学校制度だ。
どちらの場合も結果はあまり変わらない。見かけ上は自由競争でも、実は出来レースだからだ。
だが、生ずる心理は異なる。貧乏が原因ならば当人のせいではない。
批判の矛先が外に向く。
対して自由競争の下では、成功しなかったのは自分に能力がないからだ。社会が悪くなければ、変革運動に関心を示さない。 ③段落。アファーマティブ・アクションは、個人の能力差には適用されない。
人種・性別などの集団間の不平等さえ是正されれば、あとは各人の才能と努力次第で社会上昇が可能だと信じられている。
だからこそ、弱肉強食のルールが正当化される。「不平等が顕著な米国で、社会主義政党が育たなかった一因はそこにある」(傍線部ア)。 ④段落。子どもを分け隔てることなく、平等に知識を培う理想と同時に、能力別に人間を格付けし、差異化する役割を学校は担う。
そこに矛盾が潜む。
出身階層という過去の桎梏を逃れ、自らの力で未来を切り開く可能性として、能力主義(メリトクラシー)は歓迎された。
そのための機会均等だ。
だが、それは巧妙に仕組まれた罠だった。
平等な社会を実現するための方策が、かえって既存の階層構造を正当化し、永続させる。…近代の人間像が必然的に導く袋小路だ。 ⑤段落。(子どもの多様さについて)。
⑥段落。近代は神を棄て、〈個人〉という未曾有の表象を生み出した。
自由意志に導かれる主体の誕生だ。
所与と行為を峻別し、家庭条件や遺伝形質という〈外部〉から切り離された、才能や人格という〈内部〉を根拠に自己責任を問う。
⑦段落。
だが、これは虚構だ。
才能も人格も本を正せば、親から受けた遺伝形質に、家庭・学校・地域条件などの社会影響が作用して形成される。
我々は結局、外来要素の沈殿物だ。…能力も遡及的に分析してゆけば、いつか原因は各自の内部に定立できなくなる。
社会の影響は外来要素であり、心理は内発的だという常識は誤りだ。
認知心理学や脳科学が示すように意志や意識は、蓄積された記憶と外来情報の相互作用を通して脳の物理・化学的メカニズムが生成する。外因をいくつ掛け合わせても、内因には変身しない。
したがって「自己責任の根拠は出てこない」(傍線部イ)。 ⑧段落。(能力差を自己責任とみなす論理は、身体障害者を当人の身体であるがゆえに自業自得だと言う論理と同じ)。
⑨段落。封建制度やカースト制度などでは、貧富や身分を区別する根拠が、神や自然など、共同体の〈外部〉に投影されるため、不平等があっても社会秩序は安定する。
⑩段落。
対して、自由な個人が共存する民主主義社会では平等が建前だ。
しかし現実にはヒエラルキーが必ず発生し、貧富の差が現れる。
平等が実現不可能な以上、常に理屈を見つけて「格差を弁明しなければならない」。だが、どんなに考え抜いても人間が判断する以上、貧富の基準が正しい保証などはない。
〈外部〉に支えられる身分制とは異なり、人間が主体性を勝ち取った社会は原理的に不安定なシステムに陥りやすい。 >>195
抵抗する知識さえ東大生が先回りして手に入れるとか終わりだよ 11段落。
支配は社会および人間の同義語だ。
子は親に従い、弟子は師を敬う。
…ところでドイツの社会学者マックス・ヴェーバーが『経済と社会』で説いたように、支配関係に対する被支配者の合意がなければ、ヒエラルキーは長続きしない。
強制力の結果としてではなく、正しい状態として感知される必要がある。
支配が理想的な状態で保たれる時、支配は真の姿を隠し、自然の摂理のごとく作用する。
「先に挙げたメリトクラシーの詭弁がそうだ」(傍線部ウ)。
12段落。
近代に内在する矛盾を理解するために、正義が実現した社会を仮に想像してみよう。
階層分布の正しさが確かな以上、貧困は差別のせいでもなければ、社会制度の欠陥があるからでもない。
まさしく自分の資質や能力が他人に比べて劣るからだ!!!
公正な社会では自己防衛が不可能になる。
理想郷どころか、逃げ場の無い地獄の世界だ。 努力すれば今よりはマシになるだけであって、努力をやらない理由にはならんのやで
努力しないならそのままゴミの人生送って下さい >>204
まず努力を語るなら自由意志を証明してください 13段落。
身分制が打倒されて近代になり、不平等が緩和されたにもかかわらず、さらなる平等化の必要が叫ばれるのは何故か?
人間は常に他者と自分を比較し、比較は必然的に優劣をつける。
民主主義社会には本質的な差異はないとされる。
だからこそ人はお互いに比べあい、小さな格差に悩む。
そして自らの劣等性を否定するために、社会の不公平を糾弾する。
自分以外の〈外部〉を消し去り、優劣の根拠や原因を個人の〈内部〉に押し込めようと謀る時、必然的に起こる防衛反応だ。 14段落。
自由に選択した人生だから自己責任が問われるのではない。
逆だ。
格差を正当化する必要があるから、
人間は自由だと社会が宣言する。
努力しない者の不幸は自業自得だと宣告する。
敗者にとってこれほどキツイ烙印や判決はない。
「近代は人間に自由と平等をもたらしたいのではない。不平等を隠蔽し、正当化する論理が変わっただけだ」(傍線部エ)。 問一「不平等が顕著な米国で、社会主義政党が育たなかった一因はそこにある」とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。(60字程度)
機会均等に基づく自由競争を信じる米国では不平等は個人の才能と努力の結果とされ、その原因を階級差に求める思想は受け入れ難かったから。(65) 問二「自己責任の根拠は出てこない」とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。(60字程度)
近代の個人は自由意志に基づいて行為するとされるが、現実には、才能や人格、さらには意志すらも遺伝や環境など外的要因によって形成されるから。(68) 問三「先に挙げたメリトクラシーの詭弁がそうだ」とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)。
個人の能力を重視する能力主義は、平等主義を唱えながら格差の根拠を能力差に求めることによって、格差社会を正当化し固定したということ。(65) 問四「近代は人間に自由と平等をもたらしたのではない。不平等を隠蔽し、正当化する論理が変わっただけだ」とはどういうことか、本文全体の趣旨を踏まえて説明せよ。(120内)
身分制社会では身分差の根拠が神や自然など共同体の外部に求められ、それによる社会秩序の安定が説かれたのに対し、近代では自由と平等の実現を説きつつも、格差は個人の能力差がもたらすものであるという論理の下に不平等や格差が正当化されたということ。(119) 勉強すれば賢くなるし、スポーツも練習すれば上達する
努力が無駄なわけないやろ いいから努力から逃げんなよ無能は
口動かす努力は得意なくせに 親ガチャはあるけど当たり外れのラインは人それぞれやからな
ワイは虐待とかされてないなら外れじゃないと思うけどね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています