関ヶ原の戦い 東軍74000 VS 西軍82000 ←なぜ負けてしまったのか
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幕末維新の時のフランスの軍事顧問が西軍の勝ちって即答したらしいな クレジットカードの利用明細みたいやな
えっこれ足しても7万いかんやろって 戦争で兵力が少ない側が勝つケースなんてけっこうよくあるだろ 西は兵数同じ位の所があるからそこで戦術的な不一致がありそう ??「38000で真田ぶっ潰してから参戦するンゴw」 ワイなら兵力1万に7万の敵を足止めさせて
残りの7万全員で家康を殺す 実際は東軍92000VS西軍42000くらいやったからむしろ善戦した方やろ 宇喜多秀家って最大兵数出してるのに島に流されたとこくらいしか話題にならんよな 大谷吉継とか兵少なすぎじゃね?
日本の動員力てこんなもんなの? 吉川おじさん、弁当を食べるから出陣しないとかいう嘘か誠かわからん逸話 人口1200万人ぐらいとされてる時代に16万人も集めることなんて可能なんか キングダムの動員兵数見てると天下分け目の戦いもショボく感じる >>12
井伊は忠吉に付いて先陣上げようと小細工してた 井伊直政は武田家出身の家臣達に
「信玄も謙信も影武者を何人も立ててこまめに着替えて用心してたのに殿は目立ちすぎ」って諌めてたとか
結果関ヶ原で島津の狙撃に
磯田さんがコラムで書いてた >>12
関ヶ原で島津に撃たれて後日鉛中毒で死亡やから >>32
影武者徳川家康の左近上げまくり酷かったな これに勝っただけで日本全体を征服できたのがよくわからん 毛利本家が総大将なのに裏切ってる吉川小早川ってヤバくね? ここまで大きい戦力同士だと8000って誤差にならんの? 毛利輝元「え、なんで決戦とかすんの!?ダラダラ火事場泥棒しようと思ってたのに、、、」 >>27
金吾さまに限らず、そーいうやつばっかだからな
さすが三成や 毛利輝元とかいう無能オブ無能
なお一部戦国ゲームでは強キャラ扱い これに中山道3万8千がいて結城秀康も奥州からの備えでいくらかもらってたはずだろうし徳川の動員力すごいな >>39
小早川は秀秋になって毛利と切れてるし
吉川や福原といった毛利の家老は元々家康と対立することに反対だった
欲をかいて爺ちゃんの遺言破った輝元がいけない 小早川秀秋怪しいと思って警戒してたら周りに布陣してる奴らも寝返ってしまう大谷気の毒で草 俺が西軍の前線指揮官だったら勝ってたのになあ
かーっ 互角の人数やのに相手が待ち構える戦場に突撃する家康って馬鹿じゃん せめて1週間くらいはやって欲しかったよな
あっさりだわ >>45
反対だったって言っても主家がそうと決めたら従わんとあかんやろ
独断で裏切るとかありえんわ 今は小早川って言うと思い浮かべるのはこっちなんだよな
もうやきうのイメージある奴は流石におらんか >>53
秀秋「おまえがハッスルして伏見の鳥居やっちゃうからさあ・・・」 >>49
まぁ未だに将門様の仇討とうとする茨人とかおるし多少は、ね ジッジ「三本の矢なら簡単には折れないやで」
なお二本抜けてしまった模様 >>50
裏切りの算段ついてて包囲は穴だらけだし
人数的不利もない 官兵衛「長引いてたらホンマにワイ天下取ってるか?」 裏切りそうなの小早川が2万くらい持ってるからやろ
毛利がさっさと戦場来てれば勝ててたのに 小早川や吉川が裏切らなければとはいっても
そもそもそういう算段があったから家康はああいう仕掛けをしたんやろ >>64
英雄たちの選択で磯田さんはあっさり「無理でしょう」って言うてたな >>59
隆元「失ってみて初めてその大切さに気付くんじゃないでしょうかね」 西軍総大将の輝元を鉄拳も辞さぬやり方で育成し、引き取った金吾秀秋はのびのびとやらせて放任してた小早川隆景さんの育成能力、何故か評価されない 三成挙兵後に家康に勝てるプランなんてないぞ
関ヶ原まで本隊が素通りで来てるのでもう終わるや ど家の関ヶ原印象薄すぎてあっさりやったな
直政役のヒョロガリが貧相な肉体晒してたことしか覚えてない 小早川や吉川は初めから東軍陣営に書いた方がええやろ
家康も吉川が味方じゃないと有り得ないような布陣してるんやから 石見銀山が欲しかった家康としては毛利輝元が西の総大将になってくれたのは願ったり叶ったりだったかもしれない >>64
息子「西軍の寝返り工作くっそ頑張って手柄上げまくったで!大戦も一日で終結や!」 >>15
15000て結構な数を抱えてたんだな
これはひとたまりもないわ 主力の大軍の率いてた中で動いてたのが宇喜多だけ定期
毛利は秀元が広家斬り捨ててでも東軍の背後を突くくらいの勢い出すか大津城攻めに回ってたゴリゴリの西軍派のやつが来てなかったのがあかんわ 小早川秀秋って大一番で裏切ったヘタレのイメージを持たれてきたけど
最近は朝鮮出兵のエピソードやら酒の飲み過ぎで早死したりでむしろ後先考えない荒々しい性格だったのが知られてきた 徳川は誰か裏切ってもそいつ潰せるけど
石田は毛利とか小早川裏切ってもなんもでけんほど兵少ない >>77
あれは鳥居が死にそうだけど堪えてお手紙工作頑張りましたって描写したかっただけ説 吉川は最初から東軍よな
なら長曽我部はどうしたかったんやって話やが >>85
家康に鉄砲撃たれてビビって裏切ったのは創作で実際は開戦と同時に東軍側に着いてたみたいやからな >>80
なお子孫は全滅して島津家に眼前に乗っ取りされたもよう >>61
本多忠勝 5人
こっちのが嘘っぽいじゃん 西軍「4万人他の城の攻略に手間取って間に合いませんでした」←アホやん >>95
ゲームとかのifシナリオやと西軍の援軍が立花筆頭の大津城攻め組で東軍が真田に兵力減らされつつも何とか辿り着いた秀忠軍って定番やな この間本屋行ったら子供向けに漫画で分かる歴史コーナーに小早川秀秋の本が置いてあってたまげたわ
全編通して「金吾くんかわいそう」に尽きる漫画に仕立ててあったな >>98
そういやゼノンでやってる花の慶次の続編みたいなのに小早川出てきたな 政宗「叔父上が上杉に攻め込まれて危ない!助けるぞおお(3000人出兵)」
政宗「南部で一揆扇動したろw(4000人出兵)」
↑こいつ >>1
西軍のトップが5000しかいない時点で怪しい
他の将統率できないだろ >>101
オムニバスでいろんな武将に変わっていくのか >>101
出来ることなら1年かけてたけしに作ってもらってほしいわ
首みたいな全員悪人で血みどろの合戦描写付きの関ヶ原見たいで >>98
秀秋も最近は再評価されてるみたいやで
少年時代は貧者に施しをする優しさと聡明さがあったとか
朝鮮でも勇猛に戦ったとか 関ヶ原は本戦よりそこに至るまで過程をもっと突き詰めて欲しいわ 西軍の宇喜田小早川毛利とかいうやつらが主力なんやろなあ 関ヶ原は本戦よりそこに至るまで過程をもっと突き詰めて欲しいわ そりゃ裏切る予定や動かない予定だからやろ
わかっていたからああいう布陣とったとはいわれてたな >>105
どうせカプ厨とかイナゴと同類の馬鹿が揚げ足レベルの根拠で適当に作ったストーリーだろ >>100
最上義光公に比べると
伊達政宗と直江兼続の雑魚ぷりは失笑もんやね 西軍はもっと濃尾平野に進んだ方が良かったんちゃうの?
山あいで狭くなると数の有利出しにくいやん >>105
20歳でアルコール性肝硬変を成し遂げた業績の前には霞む 包囲網や背後につかれ絶対絶命にみえて、実は東軍の思うつぼだったからな >>112
むしろ秀秋への悪評の方が
小早川家の断絶で誰も擁護しなかった結果と疑われてるで
再評価は当時の日記なんかを踏まえたものだから 毛利は奉行と連携の誓詞みたいなん交わしちゃってたから公に動けなかったとかやろ
小早川の動き知らんわけないし >>113
後継者育成に失敗してお家断絶に追い込まれた叔父上には敵いませんアッハッハw 先見の明がご自慢の安国寺恵瓊さんは何故自信満々に家康と敵対する道を選んでしまったのか 勝ち馬に乗る気しかない小早川の大軍が勝ち負け関係なく三成に殉じる覚悟で来てる兵数圧倒的に少ない大谷の軍に何度か押し戻されてるの覚悟の違いみたいなの感じて好き そもそも「東軍・西軍」
って名前が付けられたのは明治やからね >>123
島津は家康に恩があるんやし西軍ガチする理由が無いやろ 当時の日本人類の100分の1が一箇所に集まるとかあるわけないやん
せいぜい総数やろ 秀秋はあの画像と問鉄砲とかいう捏造クソ逸話で優柔不断のイメージあるけど
関ヶ原の戦いで井伊や福島より先に西軍に襲い掛かっていた狂犬みたいな奴説で関ヶ原東軍MVPまであるわな 大津城に比べると伏見城はあっさり落ちすぎやないか
鳥居元忠って上田でもやらかしてるし
言うほど戦上手じゃないんかな >>119
そら阪神ファンからみれば巨人は社会のゴミだし、巨人ファンからすれば阪神は不人気球団だわな 何故負けたというよりは、小早川を調略し、吉川広家と内応済みで、勝つ算段がついたから家康は関ヶ原での野戦に応じて当然のように勝っただけやで >>131
家が断絶してたから分かりやすい悪役に創作されちまったんやろな 関ヶ原は天下分け目の戦ではないあくまで豊臣家の権力争い←これ
でも家康は関ヶ原で活躍した褒美を豊臣の領土とか金を削って弱体化させたよね
それ以前に秀吉死んだら婚姻結んで利家に怒られたり利家死んだら前田家責めようとしたり
野心を隠せてないやん >>133
攻め手の主力に宇喜多と島津どころか小早川も割とノリノリで参加してたとかやなかったっけ? >>131
逆落としで西軍側面を急襲したけど、そこは大谷に阻まれて押し返されてるんや
でもそこに朽木や赤座が加わって大谷勢は崩壊した 土壇場で裏切ったやつが勲功第一とはならんやろし小早川はかなり早期からの家康派やろ
内通しながら伏見城攻めてるの意味わからんけど 晩年の秀吉がヘイト集め過ぎたのが悪い
秀次生かしておけばこうはならんかった >>140
黒田長政の調略が無ければ東軍寝返りはしてないぞ
小早川の寝返り、吉川の静観の確証がなければ家康の東軍は関ヶ原の戦場には現れないだけや 前田利家とかいう肝心な時に死んだやつ
アイツ生きてりゃなんか変わってた? ここで家康が五奉行シバき倒したのが
後々の豊臣方による実務上の不始末による大坂の陣開幕への布石、ってわけよ 普通に考えて既にレジェンドの家康の元で一枚岩の東軍と誰が本当の総司令官かもわからん寄せ集めの西軍が戦って勝負になる訳が無いよな >>141
小早川が西軍として戦う、って状況なら家康は岐阜城から出てこないだけ >>137
豊臣家の権力闘争ってのは建前というか当時の人の意識の問題やろ
そら家康自身は幕府開く気満々だったし
だからこそそういう建前を大切にしたし婚姻や手紙で多数派工作にも勤しんだんやろ 東軍を左側に書いて西軍を右側に書くのやめてくださいよほんまに
紛らわしいんじゃ >>131
朝鮮攻めでも突撃して怒られたらしいからな優柔不断というより脳筋系よな >>154
岐阜城から出てこなければ東北とか九州の情勢次第では西軍ワンチャンあったやろ どっちつかずの淀殿と毛利がなぁ…
大谷吉継が説得して三成止めてたらどうなってたんかな? 利家が死んだらパワーバランスが崩れたって言うけど
上杉と毛利じゃあ対抗できなかったわけ?
仮にも五大老の二人じゃん >>153
西軍は
ワイは今なんでここにいるんや?
とか思ってるのがちらほらいそうなのがね >>146
あいつは裏で家康と内通するやろ
死ぬ時に家康に息子の事を頼みますと懇願してたぐらいやし >>158
うん
時間が経てば西軍が有利にはなってくる
だからこそ光ったのが黒田長政の調略ってことよ
黒田長政が小早川と吉川広家を調略できたからこそ家康は野戦に応じた
勝った後に戦う、これは孫子の説くところなり 秀吉子飼いの連中が裏切って東軍についた奴多すぎやろ >>162
上杉景勝や毛利輝元じゃ家康に勝てないでしょ >>163
島津は東軍に行こうとしてたら鳥居に追い返されて西軍やろ意味わからんわ 石田三成襲撃事件とかいう加害者も被害者も頭クルクルパーイベント
あれでもう政治で家康に勝てる奴だれもおらんって決まったようなもんやろ 家康についたら豊臣ぶっ壊されるってマジでわかってない奴多かったんか? >>167
浦上と揉めたりしてるからや
いらんことしてるから尼子が上洛への道にしようとしたりする >>162
毛利は頼りの吉川元春も小早川隆景もいない
両川体制のうち小早川は秀吉に取り込まれて、吉川だけで支えてるようなもん 【悲報】影武者徳川家康さん、WJ・MJで相次いで打ち切りになってしまう そりゃ秀吉の妻として築いてきた殆どを淀に奪われたと考えるとそこを家康に突かれたら味方するのも当然やろ >>175
そりゃ分かっとらんやろうし家康は豊臣の為の戦やぐらいは言うとったろ 秀吉は織田家家臣なのに信長の息子を切腹させたり改易させた
家康は2回も主君の大阪城を攻めると言う謀反を起こした
この二人は明智光秀と何が違うんですかね… >>172
島津義弘自身は、三成に個人的に恩義があったので三成を頼った(石高の申告漏れが発覚したのを三成がいい感じに捌いてくれた)
三成も島津義弘が来た時は喜んだけど、島津勢の少なさに落胆して軽んじてしまった >>183
それ以上に配置がね、半包囲からの開始やし 三好為三、秀忠について参加できず
>>184
キチゲ管理ですかね >>171
そのエピソード知らん
どういうことなん >>175
うっすらとは感じてたかもしらんけど
石田三成が豊臣政権を牛耳ることの方が我慢ならないとかやろ >>187
その半包囲の半分以上が東軍に内応済でした 最近室町の本読みだして思うけど
室町ってクソおもろいな
登場人物も起こる事件も意味不明すぎて >>191
まぁそうでもなければあそこに行かんしな >>1
裏切り
小早川(11000)
小川、赤座等小大名(4000)
先鋒の吉川広家が内通してたから
毛利秀元も参戦せず
毛利方(30000)
これ等を抜いて再計算してみたらいい
西軍で戦ってたのは3万強
東軍は90000になる
西軍必勝の鶴翼の陣が敗北した理由や なんで野戦で決着つけてしまったんやろ
佐竹が江戸落として後背突くのを期待して持久戦に持ち込めんかったんか >>192
両細川の乱のなんでそうなるって事件多過ぎて草も生えない ほんとは山城にこもって籠城戦をやりたかったと聞いた >>190
三成への不満については、へうげものでよく描かれてたけど、朝鮮出兵に関しての恩賞がほぼ無くて、秀吉には戦果がちゃんと伝わってない!とかが不満だったらしい
特に加藤清正 >>184
秀吉は更に信長の姪や娘を肉便器にしとるからね
犯してるとき脳汁ドバドバ出たやろな 石田と大谷も秀秋のことを信じ切れていなかったらしい
そこで秀秋宛の指示にはいくつか禁止行為を書いておいてどう動くか見定めたとか
そしてやるなと指示していた松尾山に布陣した行為がアウトで裏切りの気配ありとして
西軍本体は大垣城で東軍待ち構える予定から秀秋の監視も兼ねて関ヶ原での野戦に変更という話も
この説なら秀秋がいたからこその関ヶ原までありそう >>195
というか、家康の寿命待ちでも良かったと思うぞ
もうさっさと徳川に天下渡して安心させて、天ぷら食わせまくって死なす
そしたらまず忠輝あたりがお家騒動起こして伊達、最上がそれに追従するよ >>186
もう帰ってきてもええでとか言われたけど島に残ったとかだったような
家光の時代だったと思うけど しかし朝鮮出兵はマズかったな仮に秀次を切腹させちまってもこれやってなかったらもうちょい豊臣の時代あったろうにな 家康は関ヶ原後にヤバい時期があった
でもなんとか回復して健康に気をつけた
薬の調合も学んで自分でやりだした
豊臣という不安材料が健在だったからだ
豊臣滅ぼして安心したらすぐに死んだ 石田三成は官僚としてはかなり有能やろ
唐入りであの時代に十万からの兵を海超えて送って
秀吉死後もほぼ滞りなく撤退完了させとる 西軍の連中は石田三成の天下なんてみじんも見たくなかったんだろうなと言うのは伝わる >>200
信長の妹のお市に惚れてたのはガチやったんかな >>192
関東が内乱ばっかで草生える
農民みんな鎌倉時代に帰りたかったやろ
そら伊勢新九郎盛時も北条って名前使うわ >>197
抑圧された主家赤松の大軍を引き連れて援軍に現れた浦上とかいう特大フラグ >>175
秀秋と黒田長政に関しては光成貫通して豊臣ごとヘイト対象になってそうよな >>206
織豊政権期は大内が中国でやらかして新規に銭輸入できず悪銭ばかりが増えた時期でその交渉窓口開く切り口としても唐入りやるしかなかった感ある 小牧長久手の後も背中に腫瘍が出来たとかで家康死にかけてなかったっけ
石川数正が出奔して秀吉にジリジリ追い詰められて
家康が最も弱気になった時期だったとか 西軍勝ってたらどうなったんやろな豊臣の天下とは言え誰も言うこと聞かんやろな 秀吉は金で買った天下だからな
金山銀山の領土を抱えまくってる >>213
部下の争いやべーから宗教勢力の力を借りて片方潰したらその後制御不能になって畿内から淡路に逃げた細川晴元すこ 秀吉「石見銀山欲しいけど毛利邪魔やな、朝鮮せめさすか」 主力の秀忠が来てないって聞いた時家康はどう思ったんかな >>218
三成が家康化する可能性も0ではないよな
権力闘争に負けただけやし >>223
そらもうくそデカため息やろ
葵のときの津川雅彦を見ればわかる 関ヶ原で遅れた後大阪城では急いできすぎて疲れてるのまでセットやで >>228
暗殺されるやろな自勢力も弱いから三成やっちまえば報復も大して怖ないし 事前に寝返りの約束もなく小早川が裏切った!ならワイも便乗して寝返ったろ!ってやって改易されたやつに草 >>229
10万の兵力があってもそれを維持なんかできないよ 戦いは長期化するやろからその間に味方の南部領を掠め取ったろ!
ついでに最上もギリギリまで上杉と潰し合わせて我が軍は温存したろ!
↑
こいつが許された理由 >>218
すぐに西軍内で権力争い起こすで
誰が責任者かすらよくわからんのやし
合わせて全国でそれぞれ大名が蜂起して戦国時代に逆戻りや 秀忠の遅参って秀忠のせいじゃないのに秀忠のせいにされて戦下手の扱いされるのはかわいそう あの時代どうやって待ち合わせしたん
9時に駅集合ねとか無理やろ 利家死後の奉行の動きがうんち過ぎたんよ
加賀征伐は西軍首脳の奉行連中がスケベ心だして家康に近づいたせいでもあるんで
武断派が徳川についたのも奉行への反発もあるやろうけど
前田が徳川に降伏してたのが大きかったやろうしな 秀忠って戦は無能だったけど政治は有能だったんでしょ?
こいつ改易改易!って豊臣の子飼いに難癖つけて潰しまくったし
でもいつのまにか長州一国に負けるくらい弱体化しちゃうんだよね >>224
でも石高低いけどな
あんまり権勢振るうと梶原景時みたいに末路になるぞ
言ってみりゃ関が原も規模のでかい比企の乱みたいなもんやしね
西軍の天下になっても、大老同士、奉行同士での主導権争いはあったろうよ >>231
まあ北条や細川は元々勢力あったしね
三成が権力保持するのは難しいかも >>218
分かったわ
早々に石田死んで薩摩島津の天下や >>243
毛利派閥と上杉石田宇喜多派閥に分れてまたぶつかるとか? >>146
こいつ一応天下人だよな
秀吉死後から自身の死亡までの短い期間 >>234
ガイジだけどおもろいわ
家康が死にかかってるときの仙台征伐の騒動とかも
ここまでお騒がせな大名もなかなかおらんやろ >>224
格が違いすぎて無理や
三成程度が偉そうに振る舞い始めて誰が大人しく従うねん >>146
利長が馬鹿な策略にかかることがなく、まつも人質に取られなかったんじゃね わけわからんのは関ヶ原の勝ち負けより毛利輝元が徹底抗戦しなかった事や
輝元無能で片付くといえばそれまでだが >>249
全国の政務を秀吉から任されたのは家康だから秀吉の死後から実質的に家康が天下人やで >>218
仮に家康と忠吉が討ち死にして東軍敗北となっても秀忠と徳川主力は遅参してるから江戸に退却するやろし徳川が滅ぶとは思えん。淀殿と大野治長、片桐且元がこの知らせにどう動くかで結構変わりそうや 西軍はクロカンを三成が説き伏せて味方につけるぐらいしか勝ち目ないんちゃうかな戦や調略の力量的に >>248
大老と奉行がいる体制って合議体政権だから、つまり鎌倉殿の13人みたいな体制ってことよ
そりゃ主導権争いは起きるでしょ >>254
毛利の家風はそういう破滅主義は真逆だからね 大谷吉継は奉行側の癖に異質すぎんか
こいつだけ荒事に馴れすぎてる >>254
広家が既に家康と本領安堵の密約を交わしてたから
西軍本隊が既に木っ端微塵にされて大義名分を失ってるんだから一刻も早く泥船からは降りたいやろ >>263
徳川の呼応に馳せ参じてた世界線見てみたかったな
すぐらい病で死んだやろうけど >>254
毛利やその配下達は元々は国人領主だから、自分の領地を維持することが大事で、あまり野心はない
毛利元就存命中でも、あの勢力圏が攻勢限界点みたいなもん
だから天下を望むなって遺言したんや >>259
将棋(囲碁?)にかまけて
待ちぼうけ食らわすぐらい嫌ってるから無理やろ
嘘エピソードかもしらんけど 黒田官兵衛はなんで家康についたんだろか
まあ隠居して息子に家督譲ってたけど一応秀吉に取り立てて貰ったじゃん 大乱関ヶ原読んでる奴おるか?
正直センゴクと比べると微妙や😔 >>263
親父が録画してた葵徳川三代で大谷吉継が挙兵したときは感動して泣いちまったわ
直前に交渉してたのはスケベ心まるだしの暗黒JKやしなおさらや >>268
家康についた訳ではないやろ乱世再来キタコレやろ 布陣図見ると吉川があそこで東軍素通りさせた時点でもう裏切ってたの西軍にもばれてたやろ >>268
息子の手引であまりにも早く決着がついたから家康についただけで、東軍のフリして九州制圧したろって不穏な動きはしてたろ
島津は庄内の乱でガタガタ、というより島津は官兵衛には手も足も出なかった >>2
江戸幕府はこんなポンコツ雇ってたんか
滅びるわけだ そもそも当時の認識では三成に味方する=秀頼に味方するではないやろ >>276
とは言っても徳川の勝利=徳川の天下なのは流石にみんな理解してたんちゃうか >>276
せやな家康が豊臣政権下でちょいと権力つけるやろが三成が権力つけたらムカつくやん程度やろな 小早川は最初から裏切ってて、問鉄砲もなかったってマジ? どう家見るまで「豊臣軍代表の三成vs徳川軍代表の家康の戦」みたく思ってたわ
実際は豊臣vs徳川の戦いは前後の小牧長久手と大阪の陣だけで関ヶ原はあくまで豊臣家内の内ゲバやったんやな >>279
関が原での東軍のうち豊臣恩顧の大名は、君側の奸である三成を排除する!ってつもりだったからな
気分的には梶原景時滅ぼしたのと似てたと思うぞ しかしG民は歴史好きだよな
ふだんみせないだけで結構学があるんかな? >>280
そっちも言ったって事や、つまり軍事顧問は互角やで >>286
ワイが親でも長政怒るわw徳川譜代でもないのに何頑張っちゃってんの?アホなんお前? ちなみに江戸適当に切り取って好きなようにしろって秀吉の嫌がらせなの?
当時河川氾濫とかで荒れまくってた旨みゼロな土地って認識だけど
あれを200万石にするのはよーやるわ
あと外国に戦に行かせなかった秀吉の謎ムーブ 秀次切腹後の妻子の処断で豊臣家そのものが大名たちから支持を失っていたんだろ
晩年ばかり言われるけど小田原城の攻囲戦くらいの頃からすでに秀吉は暴君の気配濃厚だったからな >>285
両軍とも豊臣軍を名乗っていたと聞いたわ
まぁなんというか日本人らしいよねこういうの とりあえず逆張りして衆目を集めたがる歴史家の中でもほぼ評価が覆ることのない輝元氏 >>289
ヨーロッパとかユーラシアって、あんまり調略という概念が無かったから、開戦時に既に裏切り者がいるって想定がないんだと思うわ
だって、敵味方民族も風習も違うから内応とか起こらないからな 豊臣政権的には利家死亡後の三成襲撃が成功してた方が良かったな >>290
如水も家康にお伺い立てて九州で頑張ってたのに? 昔のワイ「島津の敵中突破すごいな〜」→「1500人中80人脱出って単なる潰走やんけ!!」 ん?これって15000人の小早川秀秋軍が裏切ったんじゃなかった? >>295
そんなことは無いぞ、ヨーロッパなんて血縁だらけで親戚同士やし 長政や利長はバカ息子扱いされてるが江戸時代に大大名で残ったのはこいつらのおかげだよな >>294
家名を残した程度で氏真が再評価されるなら大名家を存続させた輝元も再評価してええか 戦ったら負けるかもしれんやん?
輝元を責めたるな・・・ >>293
三成も豊臣家中で決して主流派っぽくはなかったみたいやし家康についた豊臣家臣も多かったんやなって
家康が秀頼潰したのは結果論であのまま秀頼を立てて自分はNo.2に留まり続ける可能性もあったやろし >>297
首尾よく九州制圧したあとで、大人しく内府の言う事聞くと思うか? >>291
半分は開発させることによって軍事的に大人しくさせようとしたんだろうけど半分はいい土地だってわかってたからだろ。
信長秀吉家康は三大沖積平野を開拓してるんだから偶然ではない >>279
執権や管領のようなパターンもありうるから
関ヶ原当時の人にはそこはよくわからん未来のことやないか
黒田や細川はドライに徳川の天下でええと思ってても不思議はないし
藤堂なんかはむしろそう願ってたかもしらんが >>299
現在ではそもそもハナから東軍サイドとみられてる 石田増田長束小西←文治派の中心と見なされていたししゃーない
宇喜多織田←秀吉に近すぎたからしゃーない
長曽我部←毛利も上杉も佐竹も減封で済んだのにどぼして…🥺 >>291
家康の力を削ぎたいなら単純に朝鮮出兵の最前線に送れば死んでたやろしその時点で後継者家康のビジョンはできてたんちゃうかな >>301
百万石に至ったのは利長、利常の代だからね
利常なんか、利家の血がよく受け継いでたのか、江戸城内で堂々と立小便したりわざと鼻毛ワッサーしてた傾奇者だった >>291
秀吉は国土的なデメリットより秀吉の命令に逆らえない家康と領地替えを拒む譜代家臣の亀裂を狙った説もあるらしい >>305
聞くに決まってるやん
そもそも如水単独で九州制圧無理やし
やろうともしてない センゴクの作者が大乱関ヶ原を描いとるけん
めっちゃ面白いから皆読んでくれや >>305
他を家康が平定してるなら聞くしか無いやろ
逆らえばかつての島津みたいに全国の兵力を差し向けられて叩き潰されるだけ >>309
関係ないどころかあいつがメインや。あいつが松尾山に陣取った事によってほぼ勝敗が決まった >>301
黒田長政は東軍の勝利に大きく貢献して大大名までのし上がった超有能やん 東軍って黒田長政おらんかったら負けとったんちゃうか? >>311
長宗我部は弱いから逆らう力がないと判断されたんやろ
まあ全て老後に家中を掻き乱した元親のせいやけどな >>320
負けたかどうかはともかく勝利の立役者の一人や 織田有楽斎とかいうただの趣味人に450も預けたんか >>297
家康の天下やなくて黒田家の繁栄を考えとらんからや黒田家の繁栄には乱の長期化が必要や 守勢に回った西軍が関ケ原に逃げ込んで結果的にああいう配置になっただけなのに
誘い込んだみたいな風潮
東軍が関東から戻ってくる前に清州城あたりまで進出出来てなかった時点でもう7割負けよ(岐阜城瞬殺の時点で9割) 毛利、吉川、小早川が一斉に家康に攻撃してたら勝ってたよ
コイツラが愚かすぎた >>317
家康は、現代の政治家見たく多数派工作が得意なだけで、実際に大軍を主導してってのは苦手だと思うぞ
信長や秀吉みたいにはできない
できてたら大阪の陣で死にそうにはなってない >>320
吉川と小早川の調略に手こずって、時間経過とともに豊臣恩顧が西軍に離反して、ってことはありえたかもね
時間経過で有利になるのは西軍だったから >>326
ただこの時点では失敗だったけど結局生き残れたおかげで幕末は関ケ原の負け組が討幕するんだよな。歴史の皮肉と言うか 何で豊臣家の城である伏見城に徳川軍が籠っているのかという疑問だった
実質乗っ取られてたと知って草 長宗我部は家康派の家臣(兄貴たち?)を粛清したりお家騒動的なのがあったんじゃなかったっけ 徳川の両先鋒になった井伊と藤堂が戊辰戦争で真っ先に寝返ったのは歴史の皮肉よな >>325
小早川と吉川の調略が済んでないなら関ヶ原には出向いてないよ
あるいは違うところで戦ったか 小早川が裏切らなかったら普通に家康の負けやろうしな >>336
まあケーキさん自身にやる気がなかったからね あのクソダヌキ過去にワイが失った領地返してくれるお墨付きまでよこしたのに2万石しかくれなかったんやが >>340
総大将が本陣からこっそり夜逃げしたらそらまぁ負けるわな 輝元に野心がないわけないだろ。こいつ関ケ原で四国にも九州にも兵送り込んでるのに。大阪の陣のときですら親族を豊臣方に送り込んでおいて発覚しそうになったらから一族処刑してんのに 吉川広家ってダラダラ弁当食ってたイメージだけど
本人の弁だと西軍が一瞬で即死して何がなんだかわからんうちに終わったって残してるらしいな >>331
廃藩置県で藩主は権力取り上げられちゃうけどね
かつての部下が明治政府の要職についてしまった 黒田長政が黒田孝高だったら家康が負けてたやろうね
長政だから勝てた、あとでオトンに叱られたが >>172
ただの西軍についた苦しい言い訳やろ
真に受けてどうすんねん >>327
大坂の陣は既に関ヶ原から15年で世代交代進んで主力になる若い世代はみんな初陣とかいうアホみたいな軍やで
現役バリバリの練度の高い軍を指揮してたケースと比べちゃいかん >>335
信親戦死が相当応えて、自暴自棄になったともいうが、長宗我部の兵制が戦国時代終焉後の世の中と合わなかったから体制を変えようとしたら、古参からの反対が凄くて、
もういいお前ら死ねー!って味方に鬼和子モードになった >>341
山内一豊「街道沿いの城を献上したら戦に功績ないのに一介の大名になったぞ」 単純の人数で言ったら桶狭間の戦いのノブナガの方が凄い >>343
こいつのスケベ心やべーよな
これに頼らなあかん三成もかわいそうや >>339
駒姫に関しては、義光のほうが積極的に輿入れを進めていたともいうぞ
まぁ中央とのパイプ作りたかったんだろうが これ、西軍がミッツやなくて秀頼自ら仕切ってたら勝てた? >>348
そうなんかまあ鳥居すぐにぬっころしとるから真実は分からんやろしな >>347
長政はバカ息子みたいに扱われることあるけど
勝てる方を調略でより確実に楽に勝たせて手柄上げて大大名に出世してるから父親の才能しっかり受け継いでるよな
しかも外交官ポジションっぽいのも似てるし >>355
いや無理でしょ
新九郎奔るの細川聡明丸君ならやれたかもしらんが >>355
そんなら勝てるなつーかただの家康の反乱やからフルボッコやな >>352
よくあなどられがちだけどノッブまじでやばいよな
今川も朝倉もなんか寡兵で自分で突撃かまして勝ってきやがる >>349
そのへんも考慮に入れて戦略は立てるもんでしょ
功名心にはやる若手の大名を統制できてなかったんよ
だからパカパカ討ち取られた >>355
君側の奸を排除するてのが主家と戦う時の大義名分だから関係ないやろな
特に清正や正則と本気でそう思ってるし 真田がせっかく頑張って秀忠の大軍を足止めしてたのに無駄になっちゃったよね >>354
あれで娘ぶっ殺されるわ嫁も気狂いから自害するわ義光もいろいろと災難やったな
伊達がおってよかったわ 家康が三成がというけど1番鍵握ってたのは黒田長政という事実
こいつ関ヶ原で無双し過ぎやろ >>357
長政優秀なんだよな、なんか親の意向と違って真面目に働いてただけで
なんか一部の部下とめっちゃ嫌煙の仲やけどw >>355
西軍に秀頼が出てきてたら仮に東軍が勝ったとしても戦後に家康を改易する理由を作ることが出来たやろな >>365
俺なんかやっちゃいました?レベルにはMVPだね >>361
関ヶ原ではもっと危うい立ち位置の時だったが問題なく統制出来てたろ
軍の質てのは超重要なのにこの手の話で過小評価する奴多すぎや 複数の大名連合vs大名連合って戦はあっただろうけど
日本が2つの勢力に分かれて決闘みたいな合戦で決着つくとか漫画みたいな話 >>367
部下と仲悪かったり不通大名がいっぱいいたり性格は悪そうや >>365
左近ぶっ殺して小早川吉川寝返らせただけやんけ >>361
パカパカて死んだ大名2人くらいやろ
しかも家康が大名クラスの部下死なすのは大阪の陣が初めてやから
そういう意味では家康は優れた戦略家や 黒田長政居なかったら居なかったで別の奴に調略やらせるやろ >>365
あいつが調略した結果よ
なお、戦中に寝返りが遅れた事を問いただしたら知らんがな!とキレた模様 >>365
長政は信長の命令で処刑されるところだったのを羽柴家に匿ってもらった恩があるのに
豊臣を潰すのに一番役に立っちゃったよね >>374
さらに三成本隊潰した上に輝元の大坂城早期退去までやってるんだよなぁ 軍勢が1番無防備なのは行軍中やよ
お互いに臨戦態勢に入った上で正面から戦うのは、例え相手を半包囲してたり挟み撃ちの形にできていたとしても理想的な状況ではない(包囲されてる側が勝った例なんていくらでもある)
要は東海道を行軍中の東軍を攻撃する形にできなかった時点で西軍の劣勢確定 >>379
そんなこと言い出したらすべてのことでそう言えるわ 司馬遼太郎の関ヶ原→城塞とかいう家康アンチ大量製造コンボ >>379
長政が吉川小早川調略出来たのって黒田家が毛利取次でコネあったからやからな
広家は黒田親子と仲良いし割と黒田家次第ではどっちに転ぶか分からん感じではあった 毛利輝元がボンクラじゃなかったら西軍が勝ってたよ
輝元は叔父の小早川隆景にまでボンクラ扱いされてたから >>367
後藤又兵衛は張遼みたいな生粋武人の偏屈タイプ
だから同輩とも揉めやすい 豊臣と徳川が同格だった石田は力不足やったって思うわ
それでも石田の方が好きやわワイ >>363
大津城で西軍も足止め食ってたからセーフ >>355
そもそも秀頼はまだ子供やし…御飾りにはなっても仕切るのは結局別の誰かがやるんよ
淀殿がこの時全力で徳川潰すと動くとは思えんし結局勝った方が豊臣方というスタンスにも変わりないと思う 福島のアホは関ケ原で東軍についても大阪の陣で豊臣とともに滅んでたら好きな人多かったやろうなあ 島津の兵法ってまるで借金を借金で返済してるワイみたいやな
ワイも実質捨てかまりしとるんやな >>386
三国志で皇帝が死んだら宦官が皆殺しにされたみたいに官僚は嫌われるもんや >>389
小早川は元から家康と懇意やん
そもそも西軍におるのすらおかしい感じや >>394
京極さん頑張ったのにあんまり評価されんよな >>386
現場に対して正論で押し通してくる経理部長はまぁ嫌われるやろ >>386
頑張って戦ってる奴にお小言と嫌味言うから 結局豊臣は秀次処刑だよな
あれがなければ家名は残ってたやろ 関ヶ原の戦いの前に黒田や加藤らが三成を殺そうとしてたけど
あれで殺すのに成功してたら関ヶ原の戦いもなく豊臣は滅びなかったかもしれない ボケ猿が明国倒すとか言い出さなかったらあそこまで石田が嫌われることもなかったやろ 嫌われ者の三成が旗印にならなきゃいかんかったのに無理があるしな
それでもだいぶ西軍についちゃって家康もやばいよやばいよになってたやろし 島津って正直アホよな
妙に持ち上げられてるけど
明治維新とかで子孫どもが調子に乗って持ち上げまくったのもあるし、
「日本人キレると何するかわからないよw」みたいなニチャり需要で持ち上げられてる感もある >>397
島津は家久が戦上手過ぎたからな、なんやアイツ何個大名首取っとるねん >>411
鎌倉武士からすればただの臆病者なのにな >>406
秀次は処刑されるには十分なほどのクズだったんだよな >>409
もめ事を起こしたのは猿でやっぱノッブがナンバーワン
石田もこんな猿についたのが悪い >>396
台風で城に被害があったから、修繕しただけなのにね >>411
明治の島津も将軍になれると思ってたのが配下だったはずの下級武士に実権奪われて自宅の庭で抗議の花火上げてるだけの哀れな存在でしかないからな 前で命張ってるやつより後ろで頭使ってるやつの方が偉いって当時の奴らからしたら気に食わんとちゃうん 三成も徳川の世が続く中で悪く言われつづけただけってことはないんやろかね >>415
大内というか陶がやらかさんかったら中国いく理由もなかったと思うがまあ勘合符ないから結局いってた気もする 島津の釣り野伏ってあれ劉備とか孔明の戦術に近いんかな 浅野はうまくやったのに豊臣滅亡に貢献した上に改易された加藤福島は間抜け 秀吉の小田原攻めとか30万くらいで包囲したんやろ
どいつもこいつも雑魚すぎるな >>420
そら三成も淀殿も人物像としては江戸時代に悪人にされた部分が大きいで
そいつらが悪人なら悪い奴を倒す神君って構図に出来るし >>396
豊臣に付いてたら時代すら読めないアホで終わり
徳川についたから時代は読めたけど詰めが甘かった惜しい人で終わり 上杉謙信と武田信玄って戦国レジェンドみたいな風潮だけど退場早すぎない? 朝鮮出兵も段階的に朝鮮の占領を行っていけばよかったんだろうな
総大将が若造だったせいか各武将がバラバラに動いて朝鮮の奥にまでつっこんでたやつもいるし >>423
加藤、福島は、劉邦から見た彭越や英布みたいなもん
排除しとくに越したことはない 見てると大人しくしとけば滅ぼされずに済んだのにって感想になる武士は多いが、
当事者たちからしたら大人しくしていても親分にパワハラを連発されたり謀反の疑いと称して殺されたりしかねないし、
ワンチャンあるうちに暴れたろって選択肢を取ってしまう理由も理解できなくはない >>427
上杉謙信って1578年まで生きてるぞ
ノッブと4年しか変わらん >>427
どっちも50歳前後で死んでるからな
どちらも織田の軍勢を破ったことで評価が高い そもそも1割程度の差ならどう転ぶか分からなくね
それもデコボコの地形のあちこちに布陣してんだろ? 加藤とか福島とかはホンマ何がしたかったのかって話やな
あの選択肢で生き残れたり自分の意志を貫ける結果になったりすると思ってたんやろか だから弁当食ってたのは吉川じゃなく毛利秀元だっつってんだろいい加減にしろ 福島はほんま良いエピソードない
酒乱でどうしようもないやつ 戦国無双しか知らんけど本多忠勝が最強なのは間違いないんか? >>431
三助殿がやるから(うまくいくわけない)wwwwwwwって配下からもバカにされてた信雄が一番長生きした まあ秀吉と同じやな
賤ケ岳くらいまでは織田家の家臣やったやろから 信長さんは織田家の家督も領地も譲って後継者体制万全なのに親子ともども同時に殺されるミラクルやるからおもしろい >>436
少なくとも三成に付くよりは可能性高かったやろな >>426
人事分かってなくて届出するところ間違えて改易はそれはそれで時代読めてないやろ >>439
特にすごい戦績も無いけど傷一つ負わなかったらしいから最強や 加藤と福島は秀吉の親戚で子供の頃から面倒見てもらってるのにあまりにも愚かだな
黒田長政なんて秀吉は命の恩人なのに >>429
封建制の文化として司令官がいなくて各々好き勝手戦うもんやしなあ
無理に監督しようとすると恨み持たれそうや 真田昌幸が可哀想過ぎるやろ
真田だけで主力抑えてたのに >>442
お飾りになりそうな孫と次男三男が遺ってるのもポイント高い 加藤は大阪のときは清正死んでるからまあしゃーないわ >>442
その前の三好家も当主と兄弟と跡継ぎが4年で立て続けに死ぬミラクルおこしてるのもいい >>448
言うてあんな展開にならなければ間に合ってたんちゃうの >>441
真田丸での
淀「徳川なんて家来筋やんけ!」
有楽斎「それ言うたら豊臣ももともとは織田の家来筋ですやん」
ってやり取りすき >>439
空も飛べるロボットだからオーパーツだぞ 皆んな秀頼が秀吉の子供じゃないって気付いてたんやろホンマは >>436
成り上がりやから家を守るみたいなんが無くてやりたい事やっとるだけやろな >>439
基本的に家康の下で戦ったから、単独でなんの戦いに勝利したとかはあんまないやろ
それなら立花宗茂のほうが戦績はいい
Wikipediaにある、上杉謙信の車懸を応用したという火車懸がどういう戦術なのか分からんけど 家光「なんでウチの親父殿は関ヶ原の戦いに間に合わなかったんだ?」
信之「なんでやろなあ…」 家康→豊臣家の対応もなかなかに畜生ではあるが秀吉→織田家も相当ではある
それに家康は所詮元々同盟者だったのに対して秀吉は信長に恩義があるし >>457
成り上がりっていうかもろに縁故採用だけどね >>457
むしろ家守ろうとしたら家康につくほうが可能性高いんやが >>446
長政は秀吉に対しての感情は朝鮮出兵後の扱いでもうスリーアウトくらいいってそうやし
ねね様と半兵衛は恩人やけど豊臣自体はどうでもいいになってそうなイメージや 三成「俺が豊臣を守る…!」
三成「結局…俺は何もできなかった…」 >>460
そうか?嫡流秀信は中納言と岐阜城与えて厚遇してるやん
織田嫡流滅ぼしたんは家康やし 秀吉の成金趣味とかあえて昔天皇の大内裏があったとこに聚楽第建てたろwみたいなフリーダムさ結構すごい >>460
秀吉はむしろ取り込みに成功して織田家納得させてるやろ
後継者も実質織田と豊臣の合体やし普通に政権上層部でいい思いしてたし >>465
むしろ徳川幕藩体制の確立に手を貸した形になっちゃったねwwwwwww >>458
秀吉はなんやかんやありつつ三法師を岐阜の大名にはしただろ
それを取り潰したのも家康 最上援護するフリして上杉もろとも奪い取ったれ!
これ成功してたらもう一悶着あったんかなここらの時代の政宗は色々やること失敗して睨まれとるようやがとんでもない問題児やな 信長は実は朝廷を重視していたみたいな説も出てきてるが当時の日本人の天皇に対する扱いって近代の保守派がイメージするような忠義とはかなり違う印象も強い
私こそが王であり内裏なのだ、みたいな発言とか見るとな >>468
秀頼も懐柔に応じてたら高家として残れたやろ
そもそも豊臣家が貧弱すぎて秀吉で言う信孝だけを滅ぼしたら家ごと滅んでしまいましたて感じやし 羽柴の跡継ぎは元々織田の四男だから大義名分が立ちやすかったってところもあるわな >>463
分かり難くくてすまんの、家を守る概念や伝統が無い >>452
皆んな間に合うって思ってたやろなぁ
秀忠はパッパも負けた相手と何でワイが戦うねんって感じやろ 聚楽第って名前がかっこいいよな
秀次とともに潰されたけど >>458
宗茂は大津城攻略で大砲使ってガツガツやっていたらしいし
なんかの歴史番組ではもし宗茂を大津城より関ヶ原前線に来させれば一日で西軍負ける結果にはならないみたいなこと言う人おったな >>477
戦国無双で初めて知ったから大阪では兄弟でバトったんやろなぁとか思ってたら史実じゃ本人出陣してなくて草生えた >>474
別に鐘を理由に淀は人質本拠地退去とか要求し過ぎてる時点で最初から拒否させる目的やろ
懐柔したいならもっと良い理由みつけて順番にやってるわ >>473
遅々信秀の頃から幕府や朝廷への献金はやってたし、信長がやってたことは実は父信秀の継承でもある
信長の純粋オリジナルの政策は意外と少ない
近衛前久と信長は鷹狩り通じたマブダチだった >>477
ウィキ見ると意外と病弱だったらしいね
病弱なのに長生きするのがすごいけど 秀吉正妻の北政所の名前も一周して「ねね」が正しかったって説が有力になってきてるみたいやな
「ね」っていう1文字の署名は不自然で署名にあるのは頭文字を使ったサインだとか、
「ねね」って名前は鎌倉時代頃から例がいっぱいあって同時代人にも同名の女性が多いとか >>473
ヨーロッパで言う教皇みたいな感じやろ、フランスだったらランスで戴冠式上げな王になれんみたいなもんや 秀吉→織田家は割と畜生やと思うけどなあ
信孝やその家族を殺したのもそうやし、三法師様三法師様と都合よく持ち上げておきながら手下にしてしまったわけやし >>480
コイツらの全然全国レベルについていけない感悲しいわ
後からスカウトした官兵衛や三成と比べると秀吉は古参の生え抜きが貧弱過ぎる >>484
15年も粘ってたのは豊臣やん
信孝とか1年も待って貰えなかったで
他の織田家が残れたのは秀吉の時代だと認めて素直に従ったからやし 確かに関ヶ原に向けた大河は見てみたいわな
こんなんすげぇ文献あるし濃いし >>473
御所の壁の修繕もできんくらいの有り様やったからな
やけど足利義昭やら比叡山とのイザコザの後に
「アイツらに権威与えてるのは帝やん。なら最大限利用したろ」
って思いついたのは信長の凄みやろな 織田信雄とかいうガイジムーブし続けて江戸まで生き残った豪傑 なんというか奇跡的に数的優位取れたけど本来の勢力の規模違いすぎるってイメージやし天下分け目の戦い言われても違和感あるわ >>491
小牧・長久手の戦いを引き起こした信雄は生かしてあげたんだから慈悲深いだろ 織田信成が信長の子孫って話はちょっと途中の系図が不明すぎて怪しいようだが
かつてなんJでそれが話題になったときの名もなきなんJ民の「あの詰めの甘さは間違いなく信長の血筋」ってコメントすき >>493
鐘を理由にして一気に
秀頼を江戸に参勤させる
淀殿を人質として江戸に置く
秀頼が国替えに応じ大坂城を退去する
これは要求し過ぎってだけやろ
別に相手に拒否らせて戦争の大義名分を取るって戦略なのは否定することも無いと思うけど >>480
センゴク読者以外でこいつら知ってたら歴史ガチ勢感ある 実際大垣、関ケ原で1年くらい膠着状態になったら九州の黒田や東北の伊達上杉が蠢動しておもしろいことになりそうやったな >>492
そこが秀吉の一番弱いところ
頼れる身内は秀長のみで、譜代家臣は皆無
ワイが思うに、秀吉はあと10年長生きしてたら、同じく底辺から天下人になった劉邦や朱元璋のように部下粛清マシーンになってたと思うわ >>504
伊達政宗とかいう反乱ばかり企てるヤツ好き 仙石はんが失敗しない未来やったらもうちょっと違ったのかもしらんけど、他の生え抜き小粒なのしかおらんしね >>502
その鐘の問答の前に何回も頭下げに来て家臣になれって色んな口実で機会与えてんのに全部断ってんだけど >>504
長引けば長引くほど家康は不利になる
ヤンデレ細川忠興はともかく福島正則らを繋ぎ止めるのは時間が立つとは難しくなる
ちな、福島正則を東軍に繋ぎ止めてたのも黒田長政な 伊達政宗さんの生き方イメージほどロックでもないよな
むしろ妥協と恭順が大好き >>504
長期戦なら黒田はかなり伸びてたやろな
加藤鍋島と連合で北九州制圧は短期間で制圧出来るし割とバカにならん勢力になってた
実際 >>506
小説や漫画のプロットで死ぬ筈やったのになんか知らんが生き残ってる感 鎌倉殿の13人で平安末期・鎌倉初期の知名度も上がってきたが
戦国武将の先祖がこの時代に何してたかとかも注目してみるとかなり面白いで
鎌倉殿より少し前の時代やけど多分ドラマになったらネット民がめっちゃ注目しそうなのは武田氏の祖先に当たる源義光さんとかいう裏切りの名手やな >>510
死に装束で秀吉に土下座したエピソードをみると割と保身に長けてるよね >>505
身内おらんのは痛いわな
よく素性も分からん義理の兄ちゃん(姉ちゃんの旦那)を取り立ててなんとか凌いでたの痛々しい >>510
文化面での貢献もある辺りあいつ佐々木道誉とかの系統や >>470
自分の居城守りきれん奴なんか滅んで当然では >>492
古参にちょっと大きなプロジェクト任せたらみんな能力足りてなくて処分せざるをえなかったの草よな
清正とか福島正則みたいなちゃんと軍事教育を受けた次世代の育成は出来てたから抜け目はなかったけど >>515
泥から作った泥人形ばかりやからな周りからはバカにされて恨み骨髄って感じやろな 秀吉の出自もいろんな説が出てくるようになったが身内戦力の乏しさとか見るとやっぱいいとこの出ではなかった可能性のほうが高いんやろな 秀吉古参とかいう全国統一戦でボロしか出してない連中
知ると誰も秀吉の能力についていけてない感あって悲しくなる模様 三成の部下になりたいか、って言われるとまぁちょっと尻込みしてまうわ
誰か選ぶなら大谷刑部か 秀長、秀勝、秀次、秀保あたりの一族衆が全滅してて誰が豊臣守んねんって状態やな
秀次事件で豊臣は詰んでたわ 三成は北条の支城攻めなりで武功いくらか上げられてたらちったあ違ったんかな >>513
江戸時代の前までは地域の豪族と名前や歴史が一致してたのに江戸幕府の転封やらで全国に大名が散らばってワイ的には大混乱や >>521
ワイもそう思うわ。富農や地侍クラスならもっと身内がおると思う 戦国武将に有名人の自称子孫が多すぎるって話は有名やけどぶっちゃけ平安鎌倉時代あたりからそういう例結構あったみたいやね
源氏平氏藤原氏ばかりなのは不自然やし
そこを考えると日下部氏の末裔って言ってた朝倉氏とか多々良氏の末裔って言ってた大内氏とかの開拓精神は立派やな >>510
凄絶に音を奏でる長宗我部さんはどうなの? 実際は東軍の方が絶対的に多数だったんやろ
家康が恩賞を分配すると分ってる東軍と
誰が恩賞を分配するのか分からん西軍
どっちに付きたいかなんて明らかやろ >>523
前半屈指の鬱回やったなあ
ドラマにも反映されてるけど武田氏も元々独立勢力だったみたいやね >>529
てか豪農だとしても他の武将と比べて身分が圧倒的に低いのには変わらんしな >>525
どう家は後半持ち直したけど秀次事件全カットは惜しかったわや 江が豊臣秀勝だっけ?に嫁いでできた娘がいたおかげでなんとか豊臣の血が残ったのはよかった >>520
義理の兄ちゃんなんかはあんま評価高くない秀次からも「アイツ仕事できませんわ…」って愚痴られてたくらいやからな
そんなんがコネだけで上層部におって10万石与えられてたらそら鬱憤たまるわ >>32
へうげものの島左近は特に何もせずに死んでたよな 全盛期のキレッキレの秀吉好きなんだけどなー
統一して敵がいなくなったら外征しちゃったり
残虐な見せしめとかしたり身内粛清したりして
衰え早いのが悲しい
やってることほんと中華皇帝っぽいよね秀吉 >>530
室町くらいからそれっぽい家系図作る職業が成り立ってたらしいからな 神子田とか尾藤の扱い見るに秀吉は長く忠誠を尽くせる主君じゃないよな
死後に豊臣家が見限られたのも当然 適当に事を進めると大変なことになるよという教訓話にでもしたい文禄慶長の役
ちょっと通してくれるだけでええんやでならまだしも明攻めるから協力しろやwで味方してくれるはずがないんだよなあ 最近ようやく秀吉は家康に天下譲りたかったって理解されるようになってきたよな
秀吉と三法師の関係を考えたら家康に天下譲る代わりに秀頼の後見人になってもらおうと考えるのは自然や 秀頼が誕生してから豊臣滅亡へのカウントダウンが始まってるよな
淀が復讐のために息子をでっち上げたって言われても信じるわ >>542
当時の人々も単に見栄だけでそうしてたわけでもなく系図ってのは今でいう就活の履歴書的な扱いだったみたいやな
室町時代は日本の伝統文化とか現代まで続く村の起源になってることも多い印象
農民が力をつけてきた反面農民同士でも畜生なことやってるが ぶっちゃけ歴史って結局運が1番やと思うわ
秀吉が種無しじゃないか織田の養子が長生きしてれば歴史全然変わってたやろうし
関ヶ原も黒田と吉川辺りの動静次第で変わったし当人の能力ではどうにもならん部分もある >>543
それでもウキウキで馬謖を切りまくっただけで統一の功臣を粛清しまくったわけではないからなあ
だから粛清が足りなくて簒奪された 布陣図やら戦闘経過やら一次史料ないからいまいちわかっとらんのやろ? この頃は自力救済社会が特に問題視されるようになってきてなんとか平和裏に争いを解決できるように転換しなきゃって試行錯誤が図られてた時代、って評価もあるみたいやね 日本人「裏切りがありました」
小モルトケ「あ…そう」 島左近の奈良の戦国時代よくわからんわ
比叡山やら本願寺やら宗教勢力ボコられる中でも興福寺は武力でどうこうされなかったんか >>549
言うても毛利勢が陣取った位置ってあれ敵が居て良い位置じゃないからな
目の前の道を家康が通過して布陣しとるからな
一か八かには見えんよ >>544
本当に朝鮮に道案内させるのが真意やったんならそうやろうけど建前かもしれんやん
それに秀吉からしたら西で銀山保有してる毛利消耗させたかったんかもしれんし朝鮮出兵の真意はわからん でも東軍だって家康が寝返ってたら西軍の勝ちだったって考えると割りとギリギリの戦いだよな 九州で何気に結成されてた黒田加藤鍋島立花軍好き
コイツらにそのまま島津潰させてれば幕末も変わったんちゃうか >>555
その結果毛利さん大減封されるってガイムーブ過ぎるわ >>554
興福寺は公家とべったりで朝廷から何でも引き出せるから
攻めるだけ損ってのもあったんじゃね
それにどうせ奈良やし 明は久々の漢民族王朝や!って中国人もはしゃいでたらコレジャナイ感がすごかったからなあ
有能な皇帝はたいてい速攻死んで無能な皇帝に限って長生き
文化面では過去には高級だった文物が一般人にもどんどん普及していった時代みたいやけど 恩賞を誰が分配するかはっきり分かっているって点で精鋭は東軍に集まったはずなんよ
西軍とか脅されて渋々編入されて士気低い奴とか、義理で西軍とか、クソ仲悪い奴が東軍だから西軍選んだとかそんなんばっかやろ >>562
毛利さんほんと意味分からんよな
何でノリノリであちこち攻めてんのやってなるわ >>545
秀吉が家康の天下を認めてた説とか小早川は最初から寝返る予定やった説みたいなのをいち早く取り入れたのはどうするの良い点やったと思うわ
築山事件さえなんとかなればなあ 光成「君たちが弱いから!!!(´;ω;`)ウッ…」 >>564
当時の人は
明は戦争弱いなあ
そら漢民族の王朝やしな!
くらいの感じやろ >>563
はえー
積極的に歯向かってもこないし力で潰すより仲良くやるかみたいな感じかね >>565
あと家を存続させるために親子で別れた例もあるし士気は最悪やろな >>561
島津が居なかった所で西郷や大久保は生まれるやん >>570
オウムは潰せても統一教会は躊躇するましてや創価は手も出せんってのと同じやろ
今と変わらん >>569
明は最初の100年ぐらいは歴代でも最強クラスやろ
100年過ぎてまだ強い王朝は清ぐらいだわ >>531
調査壁って三味線関係の逸話とかあるの? 黒田長政の遺言状「ワイら次第じゃ西軍が勝ってたしその辺ちゃんと分かっとけよ」
これはボンクラ2世の戯言やろなぁ >>157
朝鮮征伐のときは渡鮮せず肥前名護屋城に居たってのが最近の説やぞ 北条から養子で来てた上杉景虎が上杉家督継いどったらオモロかったやろな、秀吉から隠居しろ言われるやろから関ヶ原の時代には登場人物にはなれんかな 歴史スレは古い2ch感じられて好きやわ
もっとテゲテゲ語ってくれや >>577
黒田て結局血は断絶して島津とかに家乗っ取られるんよな >>573
アニメのイエヤスちゃん三河武士感あって好き >>578
そうなんか、ほんならホンマにボンクラだったんかもな 明ってキチガイ皇帝が多いイメージがあるわ
清は逆に名君が多そう 毛利はタイミングが悪かったわ
ちょうど一族を牽引する隆景が死んで統率取り切る奴が不在になってた
恵瓊と広家で対立してて恵瓊は三成と仲良くて広家は黒田と仲良いから広家が東軍に転がったっていうのもある 真田昌幸「ハァハァ…2000の兵で秀忠軍3万8000を引きつけて関ヶ原に行かせなかったぞ…これは西軍の勝ちやろなあ…」 秀吉ってなんで家康許したんや
討伐しとけばよかったのに 真田昌幸がワンチャンあると思うくらいには石田のみっちゃんはようやっとったってことよな >>284
利家も利長も立ち回りだけ上手いって感じや
幕末は得意の立ち回り失敗して加賀が馬鹿にされて藩士がキレて紀尾井坂の変起こしちゃったけど >>579
小早川と本家と安国寺で全体80000の内わずか35000ほどが内通してただけやのにグチグチ言いすぎやろ
たまたま他の家も巻き込んで西軍の約半分がマトモに戦えなかったり寝返ったりしただけやん… >>579
毛利はやる気ないなら中立で何もせんのが良かったやろな吉川も含めて本拠地でポンポンペインでツラミが深い言うとったら誤魔化せるやろ >>582
上杉が北条の親戚になったら真田はどうなっとったやろな >>592
常に秀吉の中では自身の有力後継者だったからやろなぁ
秀次は秀頼が生まれる前から余り高く評価されてなかった >>591
行長は常にようやっとるよな時代の流れに乗らないだけで >>587
明は宣徳帝までやな
それ以降は暗君しかおらんやべー国やけどそこから200年近く持ったのは朱元璋が最強の皇帝専制制度を完成させてたから >>187
半包囲で勝ち確やん!と思ってたらいつの間にか半包囲されてて草 >>602
小西行長はホンマに不器用なんやと思う
根っからの戦争屋のイメージ >>593
秀頼様を唆す三成と輝元を討ちとれー
秀頼様をお救いしろー
となるだけや
主君と戦う時の昔からの大義名分 長曾我部って四国統一のわりに存在感うすない?
四国でも薄そうやん 「何故秀次を殺したんだ?一族を大事にしないなんて秀吉は愚かだ!」
これを言う奴は戦国時代理解度ゼロってよく分かるよな? 明はなんか良いイメージないわ
魏忠賢とかもやし皇帝もなんかアレなやつしかおらんイメージ まず軍勢の数が推定だし
後の奴らが布陣図書き出してるから
その場にいなかった隊とかもおるんやろ
なんなら徳川勢の陣跡も見つかってないらしいし >>609
本人はともかく
周囲を殺しすぎて恨み買いまくったのは素直に失策やろ 10年前だからうろ覚えだけどゲームのSHOGUN2の体験版が関ヶ原の西軍プレイで
確実に詳細なんか知るわけない外人達が小早川が裏切るところで発狂しまくるのが好きで実況プレイ見まくってた >>609
頼朝といい豊臣といい身内を信じれない家系はいつの時代も滅びるんだよなぁ >>609
まず応仁の乱の原因から理解する必要があるよな >>609
いや愚かやろ
秀次が秀頼の関白職奪うんじゃないかとか心配になるのは分かるけどなら尚更家康のこと信用できんわ 立花宗茂が間に合ってれば位置的に小早川辺りも迂闊に裏切れなくて色々変わってたかもなぁ
一万規模の軍って割とバカにならんデカさやし >>133
兵ほとんど残ってなかっただろうし捨て駒だからしゃーない >>348
訛りがひどくて言葉通じなかったらしいぞ 小早川も朝鮮では頑張ったのになんか逆にヒデで怒られてアンチになったんやろ? 歴史学者の間には歴史上の人物を妙に恭しく「○○公」と呼んでる歴史書は地雷みたいな常識があるらしいな >>620
サンフレッチェ広島には三本も矢はない、得点力考えたらせいぜい一本や >>613
>>615
戦国時代って家督継承を巡って一族同士でド派手に喧嘩やってた時代なんやで?
三管領家なんて一族沢山居たけど一族同士の争いで弱体化したり三好に乗っ取られたりしたやろ? 西軍って輝元以外に大将やれるような人おらんかったん?
元から乗り気じゃないやつがやってりゃそりゃ勝てるわけ無いやろと >>622
それを取り成してくれたのが家康だからな
東軍に味方しない理由が無いんよ >>617
秀次を生かしてたら秀吉死後に必ず秀頼を消そうとしてたから秀次を家臣ごと粛清したのは正解なんやで
一方で家康は天下取るのに秀頼を必要とするからかなり信用されていた 秀吉さんの朝鮮へのガイムーブが関ヶ原に繋がってるんか
人間引き際は大事やな >>626
一族たくさんいたから争いになったんやろしかも失敗例やん
秀吉は一族少ないのに粛正なんかしてアホやろ >>622
そもそも朝鮮で頑張ってたのもソース怪しいからな
滅んだ家は記録残らんし細かい部分はよく分からん >>626
それは兄弟が争うのが悪いのであって
特に謀反の兆しのない身内を勝手に殺していい理由にはならないんだよなぁ >>633
別にガイジムーヴではないんだよな
統一優先であんまり家滅ぼさずにやってきたから軍縮出来ずに外でガス抜きさせるしかなかったんや
家康は関ヶ原圧勝で一気に改易=軍縮出来たからやらなくて良かっただけ >>634
ノブだって信忠も一緒に死んでしまって秀吉に乗っ取られたやろ
誰もが認める後継者は1人しか置けないから一族が多い少ないとか意味ないんよ >>639
なるほど
殺戮の時代から急に平和って言われても頭ついてかんわな >>637
秀次生かしてたら
秀次が自分の死後に邪魔な秀頼を殺すに違いないと秀吉が考えるのは自然や 家康が数的有利で戦えたのって大坂の陣だけやろ
劣勢で勝ちまくってたとかどんだけ戦うまいねん まぁ対外進出自体は色んな事情考えると割と理に適ってはいる
そもそも何十万の兵士はどうすんねんとか貿易したらボロ儲けとか
少なからず軍事力のエネルギーを向ける場所が必要って理由から戦争が起きる側面もあると思うな >>639
別に圧勝しても夏の陣後も含めて武士が突然いなくなる訳じゃないんだから
江戸幕府は上手く武士の働き口を作って統制してたからそれ目的で外征してたならガイジムーヴと言ってもいい >>643
それで家康は信じたんやからやっぱりアホやんけ
結局滅んでる以上愚かとしか言いようがないんやで 戦力差で優ってても指揮官が雑魚やとクソ弱い
昨シーズンの清水エスパルスみてたらわかるやろ 国内統一に成功した人間が次に他国に侵攻するのはむしろよくあるパターンやからな
そうじゃないと抱えてた大量の兵士が暇になって内乱始めたりするし
国内統一の過程で十分成功した武将ならともかく不遇な家系とかは「勝手に打ち切って平和にするな、俺にもチャンスを寄越せ」って心理になるからな 島津の進言ホントにあったか分からんが夜襲でもした方がまだマシやったんやろな >>640
ちなみにその反省から家康は秀忠と行動をともにすることはなかった
二人共京にいたことが本能寺の変に繋がったわけだからな 中国じゃあるまいしそんな戦力で野戦したことなんて誰もないからな
指揮系統もぐだぐだやしみんなオロオロや
まともな戦闘になるわけない >>653
へうげもので義弘が言ってることが分かんなかったの好き 朝鮮出兵が悪手だったのはやったことそのものよりも政治工作が下手すぎたことやな
目標もいまいち決めてなかった >>627
格だと五大老の宇喜多か毛利しかおらんな 中世の戦いは古今東西戦場に赴いても日和見して有利な方についたりどっか行っちゃったりするから数はあんま当てにならんね 基本的に歴史資料に口語のことは残りにくいんやけど戦国時代は例外的にわかってることが多い
ポルトガル人宣教師とかが日本語を覚えるために資料を書き残したからやな
日本語の歴史からすると主な変化は飛鳥→奈良とか平安→鎌倉あたりに集中しててこの頃は結構現代語に近い模様 朝鮮出兵は国内に無尽蔵に溢れてた兵士を20万規模に限定させたとも言えるんよな
農民なら農民に帰して食い扶持に困る兵士には働き場所を与えた
結果的に国内は収まった訳やし朝鮮出兵やらない場合その無尽蔵の兵力がどうなるかっていうね >>656
実際分からんやろなワシのばーちゃん青森やが何言っとるか半分ぐらいしか分からんわw >>658
宇喜多は若いし毛利はボンクラだからなー 葵徳川三代やとテンプレ通説と武将のキャラ付けで関ヶ原編面白かったな >>627
そもそも家康が各個撃破していってたから。前田は最初に降伏したし次に上杉をターゲットにしたところで関ケ原の戦いが
起きた。だからもう毛利か宇喜田しか残ってなかった 秀次殺したガイジが悪いよ
秀次生きてりゃ最上からの東北ラインも西軍につくか
直接参陣しなくても後ろに不安残す事になるから全力投入出来なかったし >>643
特に仲が悪いわけでも野心見せてるわけでもない秀次が猿が死んだ後に豹変する可能性よりも
豊臣本体より石高が高い家康が暴れ出す可能性の方がずっと高いと思うんですけど 秀吉の晩年の傍若無人っぷり見るとノッブが聖人に思えるわ >>661
羽柴徳川政権の流れは隋がやらかしてくれた結果引き継いだ唐が安定したのと同じやね >>661
そこまで極端に兵力削減される程の損害が日本軍に出てたら国として再起不能レベルの大惨敗なんやが >>664
まあ秀頼担ぎ出すか最低でも旗印使えてたらなあ
それか上杉が関ヶ原まで来てるとか
留守中伊達に領地攻められそうだけどw この手のスレって基本後世の講談や小説やそれらをベースにしたゲーム漫画の世界観や人物像で史実を語ろうとする奴が沢山おるからなんか会話噛み合わないよね 東晋80000vs前秦1000000←なぜ負けてしまったのか >>669
信長は傍若無人やりまくったから反乱起きまくって最後に本能寺の変が起きたんだよなぁ。秀吉より更にアレやったから
老害化するところまで行きつかなかった >>665
情けない西田秀忠と山下長政好きだったわ
再放送でやってくれんかな まぁそもそも関ヶ原の戦いが一般的に言われてるように行われたのかも不明やし
後世に「陣形のここ空いてね?」って勝手に書き加えたりしてるし 戦国武将のwikipedia記事の「人物・逸話」の項目を見るとだいたいヨイショされていて総じて有能だと錯覚してしまう
これは野球選手の「プレースタイル」の項目の内容に匹敵する >>670
統一政権の次の政権が長期政権になるってのは歴史上よくあるパターンやな
統一の過程で色々恨みを買ったり問題が起きたりするけどそういうマイナス要素を前政権に担わせられるから
秦の後の漢とかもそういうパターン 毛利とかいう敵総大将の後ろ取ったくせに何もしなかったクソ >>669
言うてハゲ禿げ言われてピキらん自信あるか?あんな言葉攻めすんの聖人やないやろワイならコイツいつかワカラセしたるになるわ >>674
秀頼は実際に西軍は出馬させる計画があったけどそこまでいかなかったし上杉は伊達と講和して一緒に江戸を攻める計画が
あった 農家の倅から太閤に←大人気
肉屋の倅から大将軍に←不人気
どうして……?😭 徳川体制のまま近代化した日本はどうなったか見てみたい >>632
死に際になって家康に遺言残すぐらいなら秀吉の権力が全盛期のうちに秀次に秀頼が10歳になったら関白譲れって誓約書書かせる方が現実的やと思うわ 歴史とかは後世のやつからしたら結果を知ってるから何とでも言える
しかし当時の当事者は色々な事情が絡み合ってるからベストの選択とか殆ど出来るわけないわな
歴史家とネット軍師はまるで後出しジャンケンでイキってるだけやね >>678
あれ見たら秀吉もおいそれと家康の粛清とかできんわな…
采配ミスしたらノリノリで殺すけど >>680
みんな関ヶ原に集合な!って言うて戦争したわけちゃうしな >>690
まぁ結果から逆算して多分こういう事があったんだろうと言われてるだけなのが多いからな
実は想像もつかないエキセントリックな判断や事情でそうなってたら後世の者にはどうしようもな >>688
オーストリアとか見るとやっぱ下からの突き上げは必要っぽいからなぁ
大久保利通くらい近代化のために色々ぶっ壊せる奴いればいいけど身分社会を崩すのがかなり難しいやろ >>690
昔より遥かに通信や情報の速度精度があがった現代でも一年どころか数ヶ月先の政局すら予測不能で進んでくわけやしな >>690
まあ実際無理やろな仕事でもこんなん無理やんと思っても反論も出来ずにそのまま崖に向かって進むからな >>688
インドみたいに藩ごとに藩主はおるがイギリスかフランスが将軍やってるような世界線ちゃうかな 小説や漫画だと有能な人物は何手も先を見通して能力の劣る敵や盟友の動向を意のままに操るなんて描かれ方するけどまあ実際はそんな事ありえん訳やしな
後世から見たら明らかに不可解な動きや判断を普通にするのが人間や >>675
その場のノリで寝返り反故もあり得るやろ
結局後孔明でしかない >>649
いや秀吉の読みは正しかったやろ
家康は大坂に15年間も猶予くれたんやから >>690
IFはIFでしかないよな
実際には無理なことが多い >>698
まず決戦ていう発想が無かったと思うで
野戦で決着なんて超レアケースやし
たまたま決着ついてもうてみんなズコーってなったんちゃう なんG民的に三好長慶ってどんなイメージ?
ワイの地元の武将なんやが 言うて後世で失敗と言われるような判断は
その当時でも賛否両論か否の方が多かったりするやろ
本能寺みたいに現代でも理由がイマイチわからない謀反は不運だとは思うけど
朝鮮出兵や秀次粛正は当時から否はあったわけやし >>668
秀吉が生きてる間に野心見せる訳ないやんかw 石田三成が大将じゃなかったんだ
なんで大将が生きてるんだよ 同時代の失敗とされる判断にもそれなりの合理性はあったのは当たり前で
昔の史観がそういうのを単純化しすぎた結果、現代では逆に仕方なかった理論が行き過ぎてる気がする >>710
成功の場合でも一緒な事よ
沢山の反対意見押し切って成功した例もあるから >>710
多分数十年後の未来ではコロナなんて21世紀初頭の医療や衛生水準から見たら明らかに過剰な騒ぎだったろって評価されるやろうけどリアルタイムで生きてる人間からしたらそうも割り切れんもんやしなあ >>689
そんなん秀吉死んだら秀次が豊臣家の最高権力者になるんやから守る訳ないやん
何かなんGって戦国時代理解してない奴多すぎでしょ >>705
猶予というかただの準備期間やん
婚姻禁止の無視なんか死後すぐにやってるやろ 関ヶ原って結局黒田長政と吉川広家が左右した部分がデカ過ぎるねん
こう知るとなんか三成や家康の能力がーとか言い始めても実はあんまり関係なくね?って感じもしてくる ???「小早川が寝返った?ワイらも東軍について大谷倒すで!藤堂さんとの約束もあるし所領は安泰やろなぁ」 石田
島津 毛利 宇喜多 大谷 小西
織田 立花
仲が悪いのばかりが並んでるし
しゃーない 関ヶ原戦争って京都におった天皇とかはどうしてたんや?
家康って江戸時代始めた人やろ?関ヶ原から東京帰ったんか?馬で >>718
家康の年齢的に臣従か滅亡を決めさせるのは急がなあかんかったのに準備とかねーよ >>719
それをそうなるように上手く使ったのが家康やん
調略は要なんだから長政が居なくても他の手頃な奴を見つけて絶対にやらせる >>718
婚姻に関しては仕方無いと思うんだよな
大体大名同士の勝手な婚姻禁止して判断は合議にかけろなんてのが無理やろ
いちいち大名の結婚合議にかけて進めてたら合議はパンクするし行き遅れも出てくる 小牧長久手で家康倒せなかったのがね
あとは家康の長生き
1600年前後で死んでたらどうなってたんだろうな >>727
そういう次元じゃなくね
逆にだったらまず合議がパンクするまで待って大義立てろよ 秀頼が出陣しなかったから
善きにはからえではだめだよ
出てたら徳川の奸臣三成を討つという大義名分も使えなかった >>113
伊達政宗「最上さんが弱すぎて武功立てられんかったわw」
政宗「最上さんもうちょっと真面目にやってくれない?w戦は追撃が有利なんしってる?w」 >>717
それなら家康にも全く当てはまるんやが
家督争いは想定するのに下剋上は想定しないのなんで?
秀吉なんて織田政権で反乱は嫌というほど見てきたはずやが 西軍みたいなの作ってくれたの家康マジで運良いよな
一つずつ五大老潰して行くのやとどうしても時間かかったやろし >>731
そんなことしたら五大老五奉行制が婚姻もスムーズに進められないクソ制度だって諸大名に知れ渡るで >>725
そりゃ公家として残す余地はあったからな
実権を自分が握る事は確定しててその上で秀頼側の反応見ながら周囲を固めるのにそれだけの時間がかかっただけ >>738
それの何が困るんだよ家康にとって
単に取るべき順序踏まなかったクソ野郎なだけやん >>732
花の慶次←最強武人の傾奇者
光栄前田慶次←知力18武力81
Koeiのも過大評価という事実 秀長生きてたら秀吉のキチガイ行為も抑えられて徳川の台頭も抑えられてたよな 淀と秀頼が公家になって家が残ってたら明治維新は豊臣中心になってたんかな? >>738
いや変な派閥形成を避ける為に婚姻がちゃんと上の了承を得て進められるべきってのはその通りやろ
家康もそこに関しては一応謝ってるわ >>740
そら五大老五奉行全員が総じてナメられるんやから家康も困るよ
権威に傷つけられるだけやん >>737
どの辺りで天下見えたんかな関ヶ原であれ?天下とれんじゃね?ってなったんかな >>129
ボンクラちゃうぞ
当時の戦のセオリーに沿った戦いをしてたよ >>745
全く困らんだろ
むしろ五大老制が破綻しても家康と婚姻結びたい大名が残るだけで権威が高まるだろ 秀吉の遺言とか言うけどそんなもん絶対的なトップが死ねば都合良くねじ曲げる奴かそれを口実に政敵を追い落とそうと策謀する奴かのどっちかしか出てこないやろ
多分家康がやんなくてもどっかで誰かが反故にしてだと思う >>746
秀吉が居なくて黒田が味方に付いた時点でじゃねぇの?
謀計術数に長けたのってほぼ居なくなってるし 天下統一って発想は中国に限ったものやな
信長は本気で目指していた節あるけど秀吉と家康は上下関係のある同盟関係を順番に結んでいった >>749
いや家康に婚姻頼んできた大名にしたら「じゃあまず合議かけるから」って言って何年も待たされてもし今回の婚姻は駄目でしたってなったら家康の信用ガタ落ちやろ >>746
天下明確に意識した瞬間は西軍出来た瞬間やろなって
毛利と宇喜多が絡んでて五奉行まで引っ付いてた時点で どさくさに紛れて裏切る相良家すき
地味に島津よりヤバいよな 当時の動員ノルマ一万石につき250人って聞くけどこれ足軽や雑兵も含んだ数なんやろか?
士分だけか? >>753
単に五奉行のせいにしつつ
こんなに時間がかかるなら合議は破綻しているという方向に持っていってそっから婚姻結べばいいだけやん 大体ジジイの金言無視して挙兵した挙げ句へたれて戦犯になった上に大減封食らったアホの輝元が悪い 三成に人望が無い上にろくに戦経験ないのが悪い
そら死線超えてきた家康と比べ物にならんわ >>759
家康が始めから五大老五奉行壊したいんならそうすればいいけどワイは婚姻に関しては遺言守るとか無理やから進めたって言ってる
家康としては五大老五奉行は保持したかったんかもしれん そもそも三成にそこまで権力なかったやろ
トカゲの尻尾や まあでも当時の誰もたった1日の野戦で大勢が決するとは思ってなかったやろな
家康ですら思ってなかったんと違うんか >>675
そもそも関ヶ原とかいう隘路口かつ畿内に至る最終防衛ラインに布陣せざるを得なくなってる時点で西軍の負けや >>765
そもそも当時三成失脚してるやろ定期やもんなあ >>698
直江状は後世の捏造で
上洛しろって言われて先延ばししてたら
家康が攻めてきて「はわわわ」ってなったのが実態
ってNHKでやってた 西軍て岐阜城あっさり落とされてるのがほんまに酷いよな尾張と美濃ライン落ちたらもう戦う場所ほぼ無くなるやんて話やのに 東軍のMVPは黒田長政やけど流れ変えたのは鳥居元忠やな 最新の説によると関ヶ原の戦いは掃討戦で輝元が単独で講和しちゃったから厭戦気分が蔓延してた >>767
秀忠来てないから家康も自信たっぷりではなかったやろな約束してても日和見する奴はいるやろし >>775
中世の戦やからな町内運動会にいやいや参加するようなもんや >>777
むしろ落武者狩りで戦利品ゲットできる農民のほうがやる気ありそう
自衛としての戦況監視込みとはいえ観戦してたぐらいやし 小西って絶対自分から捕まりに行ってたよな
テクニカル自殺的な >>775
西軍でノリノリで戦ってたのなんて宇喜多と石田ぐらいやろ
大谷は与力含めても数が少な過ぎるし >>775
8割以上は兵糧や武器運ぶのがメインで毎日賃金出るからそれ目的のアルバイトや >>780
三成がワイが先ず突撃するから皆んな家康の首だけ狙えや言うぐらい気概みせたら多少は付いてくる奴もいたやろな >>775
戦闘要因は10%~20%と言われてる
今川の尾張侵攻も実質2500~5000程度の戦力
それ分散させてて桶狭間に信長が2000の精鋭連れてったら普通に信長有利よ 宇喜多秀家はなんでノリノリなん?
秀吉にかあちゃん寝取られてんのに >>2
弁当食いに来てる奴を戦力だと思ってる無能だろ >>783
石高も織田のが上だし商業や港も織田が上
だから今川はいちかばちかで全ての戦力つぎこんで攻めたんよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています