江戸時代の食事「山盛りご飯!漬物!味噌汁!」
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>>85
江戸やと社会的強者の武士もそうやぞ
「殿様や上司が貸本屋から春本借りてて羨ましい」とか日記に残してる 江戸時代っちゅうか江戸の貧民食だろこういうの
農村部はまた違う >>99
サツマイモは飢饉の際の救済作物として奨励されたんじゃなかったか
吉宗のときの青木昆陽の話からするし >>77
飛脚はアスリートみたいなもんやない?引退早そう 今では国鳥とかいって珍重されるトキも江戸時代くらいには数が多い上に穀物を荒らす迷惑な害鳥扱いだったらしいな
食えないこともないけど似ると汁が赤く染まってグロいからまともに明かりがある状況下ではとても食えないと敬遠されてたとかで 「江戸時代の食事」と「江戸の食事」との区別がつかん頭悪いの多すぎやで >>97
その分動くから
どこに行くのも徒歩だから、10km20kmとか平気で歩いてた 飲食店が出来たの江戸時代のだいぶ後半ちゃった?
忠臣蔵で出てくるけどあの時代の蕎麦屋はないってテレビで見たわ >>97
車も鉄道も無いし肉体労働が多いから差し引きカロリーではそんな余剰は出ないんとちゃうか
皆が皆こんな大盛り食ってた訳でも無いし 昔の食事とかって現代の食材でアレンジして作ったらうまいだろうけど品種改良されてない当時の食材で作ったら微妙なもの多いんやろなと思う >>99
煮っころがしとかやな
日々徳用倹約料理角力取組って庶民の倹約料理にもちゃんと乗ってるで
https://i.imgur.com/6sCBtvJ.jpeg どこまで事実なのかはわからんけど
江戸時代に無人島に漂流した人らの小説で
無人島から自力で脱出して日本で夢にまで見たおかゆ出してもらったけど
長年食ってなかったから身体が受け付けんようになってて吐いちゃって泣く
いうシーンでもらい泣きしたわ >>101
芋がら縄は味噌で煮しめてて、即席みそ汁になるんだっけ 日本史って大人になってから学び直すとまたおもしろいな 庶民は魚すらめったに食えなかったらしいけど
なんでそこら辺の川で釣ってこないの? 昔の時代にブルーギルとかブラックバスいたら飢餓になってないし戦争ももっと強かったやろな うちの爺ちゃん甘い物を滅茶苦茶食ってたが糖尿病にはなってなかったな
やっぱ畑仕事で身体動かしまくってたからかな >>111
一応江戸時代の初期だな
それ以前はそばがき 味噌や塩や醤油はどれ位の価値やったんやろな
この辺が充実しとらんと大量の米を消費できんやろ >>104>>108
これ
このスレで語ってるヤツらのほとんどは江戸の町民だろ >>122
どじょうとかうなぎは江戸近郊でも獲って食ってたで
川魚は田舎じゃないと難しいやろ >>110
飢餓状態なら美味いのかもしれない…現代人が食うものでは無かった、あとめっちゃ繊維が歯に詰まる
>>116
そう
お湯で溶けばなんとか噛み切れた 川いっぱいあるし海も近いんやから魚はもっと庶民の家でも食えてもええのにな >江戸末期、江戸市中のそば屋の数は3760店を超えていたそうです。
屋台も含めると、もっとあったかもしれません。
今より多いなw >>122
川が今と違って整備されていないし泳げないで魚取るにも要スキルやからや >>111
飲食店ってそんなに存在しないからうっかり街道から外れた田舎町とか行くと飯が食えなくて餓死寸前になるらしいな >>119
ワイは辻田真佐憲の「戦前の正体」って本が日本史研究の本で久々に大ヒットやったわ とくに江戸はほぼ男しかおらんから酒と喧嘩とセックスばっかやったらしいな てか結婚率低かったから男やもめ多くてみんな外食だったぞ マグロが猫跨ぎって呼ばれて忌避されてたのホンマ勿体ない
捕獲出来る技術あったんだからあとは保存技術があればねえ >>134
まあ今だとラーメン屋みたいなもんやろな >>113
飯の不味さは基本過去に行くほど酷くなる一方や思うわ両親→祖父母→曾祖父母って遡っても戦時中抜きにしても皆昔の飯は不味かったが基本見解やし >>119
学生の時は年号暗記するだけで
死ぬほどつまらなかった
世界史赤点取って文系諦めたわ お前ら博識やなぁ
歴史は興味なかったが食の事は聞いてて結構おもろいわ 江戸時代から白米って言われてるけど江戸から帰るとみんな脚気が良くなるって言われてたのは
江戸だけなのかな白米が当たり前のように食べられたのは
みんな玄米や麦飯だったのかなあ 沖合から速い小型船に積み替えて急いで持ってきても
今の感覚ならうーんって鮮度やしな >>111
醤油が庶民に出回り始めたのは江戸中期からやからな
最初のほうは煎酒で食ってたらしい >>114
すぐランク付けしてたんだってな
参勤交代で上京してくる大名とか >>142
マ?
トロ以外は普通に寿司として食ってたって昔聞いたことあるんやが >>127
>>127
塩は当時は入浜式製塩方法が主流になったから、
江戸の消費量の大半を賄えるようになったらしいな >>148
弥次喜多コンビが同性愛関係だったという話 >>151
ワイの実家は今も市販の煎酒使ってるわ
出汁効いてて割と何にでも合う 幕府っていつから弱体化したんだろね
薩摩と長州二つの藩に敵対したら瓦解するって情けない
全藩で物量で潰せば良かったのに タイムスリップして山盛りごはんにのりたまぶっかけてあげたい >>147
江戸と地方を行き来するって要は各藩のお侍さんやと思うんやけど
>>19みたいに役が無くて暇、庶民と違って肉体労働しない、その割に食が充実してて美味いと
米だけじゃなく運動不足や栄養の偏りや馴れない食生活とか色々あるのかも >>142
サンマとか漁場が勝浦沖あたりだったらしいのだが、あんな直ぐ腐るもんをどうやって鮮度保って江戸まで運んできたのかわからん >>132
なんかクソほど濃縮した味噌味の紐しゃぶりながら飯食ったら美味そうやなと
冷静に考えたら飯がねぇな🙄 >>127
塩は海水煮詰めたら出来るから高価ではなかった
だからおかずがない貧乏はとにかく米に塩ふって食べていた模様 茶屋の看板娘が人気になって
浮世絵なんかも販売され
歓心を買う投げ銭のために独身男性が大挙して通うも
結局は店の主人と結婚する世の中 >>161
鍛えろやボケと思うけどシャワーもジムもないんじゃ筋トレもランニングもやる気にならんな >>158
もっと早くに潰れなきゃイケなかったんだよ
江戸幕府が260年も惰眠を貪ったせいで
大航海時代からも産業革命から落ちこぼれちゃったんだから >>166
そもそも筋トレという概念とか知識が無かったんじゃね? >>162
タイムスクープハンター思い出したわあれの後継作作れやってずっと思っとる >>162
漁船だって人力やからそんな沖に出られないやろ
沿岸で獲ったらすぐ港に帰って河岸で売り捌く >>153
漬けにして寿司やな
あとはネギマ鍋にするとか さっき上げた番付でもまぐろ料理は結構あったはず 八杯豆腐が人気だったけど言うほどおいしくないし普通 >>169
走り込みとかはありそうだな
昔って割と長く走れるやつが偉いみたいな風潮があったし >>158
その全藩の大多数が弱体化して借金経営だったりするから
日本全国で藩はたくさんあったのに名前の出ない藩が多いのはそういう事 >>127
塩1升500円
味噌1貫3200円
醤油1升3600円
調味料は塩以外なかなか高い
油も高い 当時のニート的存在の立ち位置はどんな感じだったんやろ
今みたいに金持ちなら豪遊できてた感じなんかな ワイらもあらゆる事で打線組みたがるし番付精神は今も受け継がれてるんや >>168
餡子や黒蜜、きな粉を使った甘味は当時にはあった >>174
やっこにして醤油だけで食った方がうまそう >>162
塩
とにかく塩漬けして水分抜いたらそれなりには保つ >>177
たっか!
そりゃ塩舐めて日本酒飲むわな >>162
銚子まで運んで利根川→布佐で木下街道経由で江戸川→行徳→小名木川で日本橋の魚河岸やったはず
たしか なま街道とかそんな名前 >>178
武士でも後継ぎじゃない奴は肩身せまかったらしい
どこかから養子の話がくるのを待つ身 実際旗本三男坊とかって三食食べられるけど結婚できないし暇だったのかな
女を抱くことも出来なかったら悲し過ぎる😭 落語の「らくだ」のお通夜で用意させた煮しめ
こんにゃく、豆腐、芋だの甘辛くうまく煮て
ほんで砂糖も醤油も張り込んで煮しめをば丼に三杯持って来い
煮しめはそうだな、はんぺんとこんにゃくと蓮(レンコン)くらいだ、塩を強めに、ダシをきかせて 江戸時代から力士いたらしいけど米だけであんな👂デカなるんか >>191
都会に出て労働者になることもできない
前近代の悲哀がここにある 砂糖も以外と早い時期に普及しとるんやな
1718年に日本初の菓子の製法書『古今名物御前菓子秘伝抄』が発行されましたが、
紹介されている全105種の菓子のうち約半数は砂糖を使ったものでした。 よく考えたら栄養がそこそこある玄米をわざわざ白米にする意味ってないよな
玄米そんなまずいわけでもないのに >>21
これよく言われてるけどみんな肉は普通に食ってたよ
宗教色の強い地域でごく一部の人が忌避してたってだけ
普通の村人なんかは狩りしてたし >>151
酸味(酢)は調味料としては塩の次に早かったみたいやね
奈良時代にはもうあった >>190
丸屋勘右衛門 56歳神田在住
まんじゅう50個 ようかん7棹 薄皮もち30個 お茶19杯 食いすぎぃ
https://i.imgur.com/Cnhg1Vq.jpeg 脚気の対策にあんドーナツ食ってたんやろ?知ってるで ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています