江戸時代の食事「山盛りご飯!漬物!味噌汁!」
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幕府っていつから弱体化したんだろね
薩摩と長州二つの藩に敵対したら瓦解するって情けない
全藩で物量で潰せば良かったのに タイムスリップして山盛りごはんにのりたまぶっかけてあげたい >>147
江戸と地方を行き来するって要は各藩のお侍さんやと思うんやけど
>>19みたいに役が無くて暇、庶民と違って肉体労働しない、その割に食が充実してて美味いと
米だけじゃなく運動不足や栄養の偏りや馴れない食生活とか色々あるのかも >>142
サンマとか漁場が勝浦沖あたりだったらしいのだが、あんな直ぐ腐るもんをどうやって鮮度保って江戸まで運んできたのかわからん >>132
なんかクソほど濃縮した味噌味の紐しゃぶりながら飯食ったら美味そうやなと
冷静に考えたら飯がねぇな🙄 >>127
塩は海水煮詰めたら出来るから高価ではなかった
だからおかずがない貧乏はとにかく米に塩ふって食べていた模様 茶屋の看板娘が人気になって
浮世絵なんかも販売され
歓心を買う投げ銭のために独身男性が大挙して通うも
結局は店の主人と結婚する世の中 >>161
鍛えろやボケと思うけどシャワーもジムもないんじゃ筋トレもランニングもやる気にならんな >>158
もっと早くに潰れなきゃイケなかったんだよ
江戸幕府が260年も惰眠を貪ったせいで
大航海時代からも産業革命から落ちこぼれちゃったんだから >>166
そもそも筋トレという概念とか知識が無かったんじゃね? >>162
タイムスクープハンター思い出したわあれの後継作作れやってずっと思っとる >>162
漁船だって人力やからそんな沖に出られないやろ
沿岸で獲ったらすぐ港に帰って河岸で売り捌く >>153
漬けにして寿司やな
あとはネギマ鍋にするとか さっき上げた番付でもまぐろ料理は結構あったはず 八杯豆腐が人気だったけど言うほどおいしくないし普通 >>169
走り込みとかはありそうだな
昔って割と長く走れるやつが偉いみたいな風潮があったし >>158
その全藩の大多数が弱体化して借金経営だったりするから
日本全国で藩はたくさんあったのに名前の出ない藩が多いのはそういう事 >>127
塩1升500円
味噌1貫3200円
醤油1升3600円
調味料は塩以外なかなか高い
油も高い 当時のニート的存在の立ち位置はどんな感じだったんやろ
今みたいに金持ちなら豪遊できてた感じなんかな ワイらもあらゆる事で打線組みたがるし番付精神は今も受け継がれてるんや >>168
餡子や黒蜜、きな粉を使った甘味は当時にはあった >>174
やっこにして醤油だけで食った方がうまそう >>162
塩
とにかく塩漬けして水分抜いたらそれなりには保つ >>177
たっか!
そりゃ塩舐めて日本酒飲むわな >>162
銚子まで運んで利根川→布佐で木下街道経由で江戸川→行徳→小名木川で日本橋の魚河岸やったはず
たしか なま街道とかそんな名前 >>178
武士でも後継ぎじゃない奴は肩身せまかったらしい
どこかから養子の話がくるのを待つ身 実際旗本三男坊とかって三食食べられるけど結婚できないし暇だったのかな
女を抱くことも出来なかったら悲し過ぎる😭 落語の「らくだ」のお通夜で用意させた煮しめ
こんにゃく、豆腐、芋だの甘辛くうまく煮て
ほんで砂糖も醤油も張り込んで煮しめをば丼に三杯持って来い
煮しめはそうだな、はんぺんとこんにゃくと蓮(レンコン)くらいだ、塩を強めに、ダシをきかせて 江戸時代から力士いたらしいけど米だけであんな👂デカなるんか >>191
都会に出て労働者になることもできない
前近代の悲哀がここにある 砂糖も以外と早い時期に普及しとるんやな
1718年に日本初の菓子の製法書『古今名物御前菓子秘伝抄』が発行されましたが、
紹介されている全105種の菓子のうち約半数は砂糖を使ったものでした。 よく考えたら栄養がそこそこある玄米をわざわざ白米にする意味ってないよな
玄米そんなまずいわけでもないのに >>21
これよく言われてるけどみんな肉は普通に食ってたよ
宗教色の強い地域でごく一部の人が忌避してたってだけ
普通の村人なんかは狩りしてたし >>151
酸味(酢)は調味料としては塩の次に早かったみたいやね
奈良時代にはもうあった >>190
丸屋勘右衛門 56歳神田在住
まんじゅう50個 ようかん7棹 薄皮もち30個 お茶19杯 食いすぎぃ
https://i.imgur.com/Cnhg1Vq.jpeg 脚気の対策にあんドーナツ食ってたんやろ?知ってるで >>63
残して昼食えばいい
江戸時代は朝に一日分の飯を炊いていたという 田舎民は玄米を食ったんじゃなくて
白米と雑穀をまぜた雑穀飯を食っててから健康だった >>196
砂糖は沖縄からの舶来物で高級品やな
1斤で300文近くやからそうそう口には入らんと思う >>198
お新香のっけてお湯ぶっかけて食ったり
お茶漬けの元祖 >>209
汁かけ飯といえば深川めしなんかもあるしな >>208
500gで6000円か…ゴディバくらいの高級チョコ感覚やな 江戸時代に生まれてまったり暮らしたかったわ
今より楽しそう 江戸は庶民でもお腹一杯食べる事はできたんだよな
地方で飢饉が悲惨なことになるのも農民救済より収入を優先して江戸に優先的に米を回すからで失政という面も大きいし >>213
ちょっとした病気で死ぬこと考えたら今のがええやろ >>201
必死も必死で食べるやろうし観客の盛り上がりも凄かったんやろなぁ
もしかしてこれが大食い大会の発祥だったりするんかな? お茶漬けと聞くと聞こえは良いが
ひえた飯に漬物を乗っけてお湯をかけた飯か >>214
津軽の大飢饉は救済用の貯蔵米を
藩財政のために売ってたからやしな
そのせいで親の死肉を食ったとかいう悲惨な話も >>205
>>206
酒の部とかとんでもないで
鯉屋利兵衛30歳芝口 3升盃で6杯半
天堀屋七右衛門73歳 小石川春日町 5升盃で1杯半
松勘 残りの酒全部
https://i.imgur.com/CxSoq9k.jpeg
あとリバースする人続出
https://i.imgur.com/yxwKJMW.jpeg 白米喰い始めたせいでビタミンB1が足りずに脚気が多かったんやっけ
っぱ玄米よ 玉子って今の価格で1個300円~500円くらいだったんだろ?
贅沢品になっちゃう >>222
爺さん元気だなww
いや逆か元気だからその年まで生きられるのか >>222
アルコール度数1%以下の実質みりん風調味料的なものだったのかもしれんね 仙台藩もやが東北は飢餓輸出という人災で餓死者大量発生しとるな 江戸時代も味噌汁は飯にぶっかけて食ってる奴いたんやろか >>178
チャカポン(茶歌ポン) 言われてバカにされたニートでも
幕府大老職に就ける階級固定社会 当時の日本に持っていって受け入れてもらえそうな現代の食べ物ってなんやろね
日本人の舌に合う和菓子全般はいけるか 茶漬けや湯漬けは炊飯ジャーなんて無い時代やから冷や飯を何とか美味しく食べる方法よ
電位炊飯器の保温機能が付くまでまで普通にやってたみたいやな >>236
うな重 俺的オススメ日本料理筆頭はコレ >>236
なんでも泣いて喜んで食すだろう
野菜ひとつとっても甘みが段違いだろうし >>237
牧畜が難しかったので安定供給というものが無い
タイミングが合えば老いた農耕用の牛を潰して食うとかあったようだけど
それだとあまり美味くないし調味料も限られてるとねえ 一時期増量の為に山盛りご飯毎日食べてたがおかずないと結構きついわ
ラーメンの汁かけたりお茶漬けで流し込んでたわ >>233
5つ上の同母兄は挙母藩2万石へ養子だから
タイミング次第よな >>241
急に甘すぎても却って不味いんちゃうか?
変に甘いとか甘ったるすぎるとかいうタイプの不味さもあるやん >>236
生クリームホイップあんぱんとか食べてみてほしいわ >>228
あーみりん風や薄めてる可能性もあるのか
飯の部見てたら
三右衛門 41歳三河島 飯68杯 醤油2合
\醤油2合/ 英雄たちの選択の栄養学の回で米をひたすら少ないおかずで食う日本の伝統的食事が身体にいいわけないってやってたな 紋次郎の食事シーンの動画はおすすめに来ると観てしまう >>240
田楽→おでん
この頃まではまだ「おでん」とは串に刺して焼いたものを意味した。
その後、江戸時代後期に千葉県の銚子や野田を中心に醤油の製造が盛んになり、
これをきっかけとして江戸において醤油で煮込んだ「おでん」が誕生したと言われている。 >>245
今の米は喜ぶんやないかな
甘さというか食味(タンパク質の含有量)からして違う 米中心の食事やとどうしても栄養バランス悪くなるな
昔の日本人はそれでどうやって生きてたんやろな 調べたら昔の日本酒ってビールとかそれ以下くらいの度数まで薄められてたんやな
それにしたって記録盛りすぎやろとは思うけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています