江戸時代の食事「山盛りご飯!漬物!味噌汁!」
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
当時の日本に持っていって受け入れてもらえそうな現代の食べ物ってなんやろね
日本人の舌に合う和菓子全般はいけるか 茶漬けや湯漬けは炊飯ジャーなんて無い時代やから冷や飯を何とか美味しく食べる方法よ
電位炊飯器の保温機能が付くまでまで普通にやってたみたいやな >>236
うな重 俺的オススメ日本料理筆頭はコレ >>236
なんでも泣いて喜んで食すだろう
野菜ひとつとっても甘みが段違いだろうし >>237
牧畜が難しかったので安定供給というものが無い
タイミングが合えば老いた農耕用の牛を潰して食うとかあったようだけど
それだとあまり美味くないし調味料も限られてるとねえ 一時期増量の為に山盛りご飯毎日食べてたがおかずないと結構きついわ
ラーメンの汁かけたりお茶漬けで流し込んでたわ >>233
5つ上の同母兄は挙母藩2万石へ養子だから
タイミング次第よな >>241
急に甘すぎても却って不味いんちゃうか?
変に甘いとか甘ったるすぎるとかいうタイプの不味さもあるやん >>236
生クリームホイップあんぱんとか食べてみてほしいわ >>228
あーみりん風や薄めてる可能性もあるのか
飯の部見てたら
三右衛門 41歳三河島 飯68杯 醤油2合
\醤油2合/ 英雄たちの選択の栄養学の回で米をひたすら少ないおかずで食う日本の伝統的食事が身体にいいわけないってやってたな 紋次郎の食事シーンの動画はおすすめに来ると観てしまう >>240
田楽→おでん
この頃まではまだ「おでん」とは串に刺して焼いたものを意味した。
その後、江戸時代後期に千葉県の銚子や野田を中心に醤油の製造が盛んになり、
これをきっかけとして江戸において醤油で煮込んだ「おでん」が誕生したと言われている。 >>245
今の米は喜ぶんやないかな
甘さというか食味(タンパク質の含有量)からして違う 米中心の食事やとどうしても栄養バランス悪くなるな
昔の日本人はそれでどうやって生きてたんやろな 調べたら昔の日本酒ってビールとかそれ以下くらいの度数まで薄められてたんやな
それにしたって記録盛りすぎやろとは思うけど 白菜は江戸時代にはまだ存在してへーんから白菜持って行ったら流行るやろなあ 喧嘩させたら海の近くに住んでる奴が強いよな海無し県の奴と比べて身体出来上がってそう >>255
というか寒さに強い品種の種もみが滅茶苦茶喜ばれるだろうな 食べるラー油あったらワイも山のようなご飯も食べられると思う
やっぱ油と濃い味がほしい >>258
何ヶ月も保存して冬も越すためやからしょっぱいやろなあ >>259
何度か伝来はしてたけどアブラナ科の作物と混ざって
マトモに育たず残らんかったみたいな話きいたことがある 昔の人は筋骨隆々だったんだよな
タンパク質が今みたいにとれない時代で凄いわ 保存食やと当時の食い物書いてる本朝食鑑に各地の名物干物が載っててお土産の定番でもあったみたいやな
明石のタコの干物とか長崎のからすみとかくっそうまそう 農家 米食い放題ですおかずありません
えたひにん 肉食い放題です米ありません >>256
だから平均寿命は今より短いわけだしそもそも健康な食事しなきゃすぐ死ぬわけじゃないからね
最低限の必要な栄養が取れてれば適当な食生活でも40、50までは大きな病気もなく生きれるでしょ >>268
あとは神社仏閣巡りが主な旅行目的やから
門前の茶屋で餅や団子の類やろな
でもないと保存きかんしな 富 名声 この世の全てを手に入れた
征夷大将軍徳川家康 >>271
人間それぐらいの寿命のほうが幸せだと思うわ 朝夕の二食が基本で腹減ると思ったら間食してたっぽいな 玄米を毎日2合食うようになったら異様に元気なったわ
いっそ米糠も食うか迷ってる 50歳寿命だともう
何年も生きてられない民 ばっかりやw 調味料って塩醤油味噌みりんとかで砂糖は貴重品?
他に味欲しいなら日本のハーブみたいなの育てるしかないのかな >>276
米ぬかはすぐ酸化するから精米した時の出来立て以外食べないほうがええで >>281
そうなんか……
食べられるように専用の処理と加工しました!っていう商品あったけど高かったから
普通の生の米糠にしようと思ったけど、やっぱり食うには条件あるんやな 名前忘れたけど江戸時代の料理再現してる奴おもろかったわ
寿司の回すこ 東北の冬なんて干物漬物ぐらいしかおかずなかったやろなあ
そら塩分摂りすぎ民族なるわ 今より米の選別が悪くて青米も食ってたから昔の人間は力あったって聞くな >>280
白砂糖って南蛮船が積み荷のバランス取りで山みたいに持ってきてたからそれを福岡長崎佐賀藩は警備の特権を利用して直接購入してたみたいね
その流れであの地域の庶民には流通してたぽい 当時の江戸民は白米食って脚気になったら蕎麦で治したみたいやけど
案外経験則ってのもバカにできないんやな 昔の人は1日米5合食わすだけで300kg↑の米俵担ぎ上げてたから
そんくらいパワーがあるんやで炭水化物には 山奥とかで狩猟しながら生きてた奴らの方が都会より豪華な飯食えてそう 落語には昔の食事を説明する箇所があるけど朝は温ご飯で後は冷や飯 味噌汁は1回で漬物ばっかりというのが基本らしい
たまに魚とかは食えてたとか
>>276
そっちはぬか漬けで対応したらええよ
家に精米機あるならぬかを食ってもいいけど油が酸化しやすいから鮮度は大事 まぁ江戸時代も後半から全く人口増えなくなるからな
飢饉も相まって農民はかなり困窮してたっぽい >>237
江戸なら4ヶ所食べられる店あったで
大石内蔵助の息子が良く通ってた ドジョウとかアサリとか食えてたんちゃうの
深川丼とかいう 親子丼が庶民が食べれる動物性タンパク質で一番現実的なご馳走かな? タンパク質少ないのに、写真見たら筋肉モリモリの人ばっかなんだよなあ >>295
この時代の猟師ってメインの道具は弓?鉄砲?
武器の入手や管理とか今より遥かに厳しそうだから気ままに狩りとか出来たんかな >>298
薩摩は黒豚も喰ってたって聞いたよ
贅沢してやがる >>21
江戸では鶏鍋が人気やったらしい、普通に食ってたみたいやね 江戸は燃料代が高いから玄米よりすぐ炊ける白米食うようになった >>306
普段は罠、大物だと鉄砲持ち出すとかやないかな めっちゃ肉体労働する人は味噌汁と漬物は塩&塩で塩分多めや >>298
ソテツばかり食わせてた地域もあったらしいぞ
ちょうど薩摩に 当時の人間はゴリラみたいな腸内環境だったんやないの >>306
鉄砲だよ
なんなら農民もイノシシとか鹿が田んぼに攻めてくるから鉄砲で撃って鋤の上で焼いて食ってた >>308>>311
罠か
それなら役人に報告とかはいらなさそうだな こっそり肉食ってたと言われてる地域は現代もフィジカルエリート県だったりする >>310
なんで高いんや?
周りの木を勝手に切れないとか? 飛鳥時代あたりには蘇まであったのに鎌倉時代以降では日本で乳製品の存在感がなくなったのなんでよ すぐ痛むようなものでも保存手段と輸送手段があれば捨てずに食べることができる
冷蔵庫の発明と交通網の発達とロジを担う業者には感謝しかない 木造長屋ばっかりで火事起きたら町一つ消滅みたいなことあるから火の扱い失敗は重罪って聞いた >>318
もちろん
場所毎にここは◯村、あそこは△村と決まってる
藩や天領の木を勝手に切ったら悪質な場合死罪もあり得る 一般人は白いご飯なんてろくに食えんかったんちゃうの? >>111
そのテレビが何か知らんが1660年には蕎麦屋あるで
日野伝という蕎麦屋が人気あった >>292
江戸中後期には高松藩とかもサトウキビ栽培して製糖行われて
江戸に流通はしてたとか 山盛りご飯とか普通に農民じゃ食えないやろ?
今の学校給食みたいに国が嘘ついてる 米にパンに麺に穀物ってすげーよな
肉オンリー野菜オンリーはダメだがこいつら食ってれば生きていけるもん 木が建材であり燃料でありあらゆる道具の素材やもんな
薪の取り合いがきっかけで村同士の争いがよく起きてた 昔は玄米なんか食ってなかった
せいぜい七部突き程度 >>322
武士の首切ったり罪人の首切ったりした人いたじゃん
あーいう人が動物も切ってたのかね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています