江戸時代の食事「山盛りご飯!漬物!味噌汁!」
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>>280
白砂糖って南蛮船が積み荷のバランス取りで山みたいに持ってきてたからそれを福岡長崎佐賀藩は警備の特権を利用して直接購入してたみたいね
その流れであの地域の庶民には流通してたぽい 当時の江戸民は白米食って脚気になったら蕎麦で治したみたいやけど
案外経験則ってのもバカにできないんやな 昔の人は1日米5合食わすだけで300kg↑の米俵担ぎ上げてたから
そんくらいパワーがあるんやで炭水化物には 山奥とかで狩猟しながら生きてた奴らの方が都会より豪華な飯食えてそう 落語には昔の食事を説明する箇所があるけど朝は温ご飯で後は冷や飯 味噌汁は1回で漬物ばっかりというのが基本らしい
たまに魚とかは食えてたとか
>>276
そっちはぬか漬けで対応したらええよ
家に精米機あるならぬかを食ってもいいけど油が酸化しやすいから鮮度は大事 まぁ江戸時代も後半から全く人口増えなくなるからな
飢饉も相まって農民はかなり困窮してたっぽい >>237
江戸なら4ヶ所食べられる店あったで
大石内蔵助の息子が良く通ってた ドジョウとかアサリとか食えてたんちゃうの
深川丼とかいう 親子丼が庶民が食べれる動物性タンパク質で一番現実的なご馳走かな? タンパク質少ないのに、写真見たら筋肉モリモリの人ばっかなんだよなあ >>295
この時代の猟師ってメインの道具は弓?鉄砲?
武器の入手や管理とか今より遥かに厳しそうだから気ままに狩りとか出来たんかな >>298
薩摩は黒豚も喰ってたって聞いたよ
贅沢してやがる >>21
江戸では鶏鍋が人気やったらしい、普通に食ってたみたいやね 江戸は燃料代が高いから玄米よりすぐ炊ける白米食うようになった >>306
普段は罠、大物だと鉄砲持ち出すとかやないかな めっちゃ肉体労働する人は味噌汁と漬物は塩&塩で塩分多めや >>298
ソテツばかり食わせてた地域もあったらしいぞ
ちょうど薩摩に 当時の人間はゴリラみたいな腸内環境だったんやないの >>306
鉄砲だよ
なんなら農民もイノシシとか鹿が田んぼに攻めてくるから鉄砲で撃って鋤の上で焼いて食ってた >>308>>311
罠か
それなら役人に報告とかはいらなさそうだな こっそり肉食ってたと言われてる地域は現代もフィジカルエリート県だったりする >>310
なんで高いんや?
周りの木を勝手に切れないとか? 飛鳥時代あたりには蘇まであったのに鎌倉時代以降では日本で乳製品の存在感がなくなったのなんでよ すぐ痛むようなものでも保存手段と輸送手段があれば捨てずに食べることができる
冷蔵庫の発明と交通網の発達とロジを担う業者には感謝しかない 木造長屋ばっかりで火事起きたら町一つ消滅みたいなことあるから火の扱い失敗は重罪って聞いた >>318
もちろん
場所毎にここは◯村、あそこは△村と決まってる
藩や天領の木を勝手に切ったら悪質な場合死罪もあり得る 一般人は白いご飯なんてろくに食えんかったんちゃうの? >>111
そのテレビが何か知らんが1660年には蕎麦屋あるで
日野伝という蕎麦屋が人気あった >>292
江戸中後期には高松藩とかもサトウキビ栽培して製糖行われて
江戸に流通はしてたとか 山盛りご飯とか普通に農民じゃ食えないやろ?
今の学校給食みたいに国が嘘ついてる 米にパンに麺に穀物ってすげーよな
肉オンリー野菜オンリーはダメだがこいつら食ってれば生きていけるもん 木が建材であり燃料でありあらゆる道具の素材やもんな
薪の取り合いがきっかけで村同士の争いがよく起きてた 昔は玄米なんか食ってなかった
せいぜい七部突き程度 >>322
武士の首切ったり罪人の首切ったりした人いたじゃん
あーいう人が動物も切ってたのかね 玄米にそこそこ栄養詰まっとるからこいつを爆喰いするだけでもそれなりなバランス取れるんよな
なお江戸の町人は精米ばっか食っとるせいで脚気が流行りまくるもよう >>335
蕎麦が脚気にいいよって言われ始めても脚気になりまくってたからな
白米好きすぎたんだよ江戸の民は 四国のもんはクジラ食べ放題だったんやろ
問題はおろし生姜があったのかか >>300
息子やなかったわ
大石蔵之介本人やった
牛肉の味噌漬け焼いて食べてた >>282
1日3食は江戸後期からやな
それも土方メインで 健康の為に麦飯たまに食おうと思うんだが週一程度じゃ効果無い? >>337
生姜は江戸でも薩摩でも栽培されてたから全国的に栽培されてたんちゃうか Youtubeで良く見る木枯らし紋次郎のあれは一回食ってみたいわ >>320
中華も膾っつう生食文化あったのになんで火通すようになったんやろうな youtubeで江戸時代の飯再現してる奴おるけど結構うまそうに見えるよな その気になればうんこでさえ育つ豚さんが日本では流行らなかった理由とは? >>342
一日三食×7日は21食だから一週間に7食は目指そうや
なんもせんよりいいけど 昔は飯は赤米だろ
匂いも臭かった
女郎は少し平民よりはマシで魚の煮付けが毎晩付いたという >>348
さっきURL貼ろうとしたら書き込み出来なくなった
mateほんまこの仕様なんとかして >>328
瀬戸内海の島にはいまだにサトウキビあるで自生のレベル >>4
油もんがたらんねんな
鶏肉、鶏卵、油揚げあたりか? >>345
飢饉バージョンは昔は見れたけど今無いな
具のない味噌汁に薄いタクアンが二切れ、メザシが二匹で上等だとよ >>328
平賀源内に作らせたんやそれから和三盆が作られた
沖縄のサトウキビを移植したんだけどな 品種改良されてないとはいえ白米ドカ食い町が出来るくらいには美味かったんやろな
蕎麦は水に溶いてそのまま食ったりしたとか何とか聞いたわ >>360
天ぷら自体は宣教師から伝来してるし
搾油技術の発達や菜種の生産も盛んになったからね >>357
押し麦買ってきて普通の白米に適量まぜりゃええ
要は食物繊維欲しいだけやし >>349
少しでも平地があるなら米植えたろの精神 >>1
むしろ質素で食物繊維モリモリやから一気に糖にならず腹持ちだけは良かったんちゃうか 江戸後期に差し掛かる頃までは庶民には白米なんて超贅沢品だったからみんな玄米と雑穀米食ってて健康だったんやで
脚気がヤバかったのは米の収穫量が安定するようになって庶民も白米を日常的に食うようになってからや >>372
塩や酢も
醤油は当初は関西から輸送された薄口醤油使ってたけど
後に野田とか銚子とか関東近辺でも作る様になって
江戸中期には濃口醤油中心になっていったとか
鰹節を房総半島で作るようになったのも同時期で
関東風の味付けが出来たんやろな 東北で飢饉が発生しても九州では米が余ったりして
国内総量では食料は足りていた
ただ「助け合い」の精神がなかったから船輸送を使った援助などはなかった そういや江戸で酢ってあんまり使われてないんかな?
寿司に赤酢が使われてるのとなます系以外で酢が出て来た料理を知らない 今の娯楽にも食事にも溢れてる時代ってやっぱ神だわ
令和最高 >>383
魚や野菜を保存するために酢は割と使われてた
膾とか調味料と言うより保存液って感じ 牛肉送らなくなったら犬猿の仲になった水戸藩と彦根藩こっわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています