三国志好きなら一度は耳にしたことがあるだろう、あの有名な「魏呷蜀の国力差は7:3:1」という数字。魏が圧倒的強者で、呉がまあまあ頑張ってて、蜀が「がんばれ!がんばれ!」って応援したくなる弱小ポジション。この比率、なんかカッコいい響きがあって、ゲームやドラマでもよく使われるから、すっかりお馴染みだよね。でも、ちょっと待って。この数字、本当にリアルなの?実はこれ、蜀や諸葛亮のファンが「いやいや、うちの蜀は国力弱いけど頑張ったんだから!」って持ち上げるために、ちょっと大げさに盛っちゃった説があるんだって。今回はその真相に迫ってみよう!
「7:3:1」の出どころってどこよ?
まず、この「7:3:1」って数字、どこから出てきたの?って話。正史『三国志』とか読んでも、そんなキレイな比率書いてないよね。実はこれ、後世の歴史ファンが人口や領土、経済力をざっくり見積もって作った「イメージ」に近いんだ。魏は中原を押さえてて人口も多いし、呉は長江の経済圏でそこそこリッチ、蜀は四川盆地でこぢんまり…って感じで、感覚的に「うん、まあそんなもんかな」ってまとめたのが始まりっぽい。
でもさ、これってめっちゃざっくりしすぎじゃない?人口比で言えば、魏が400万~500万人、呉が200万人くらい、蜀が100万人弱って推定はあるけど、正確な統計なんて当時ないわけだし。ましてや「国力」って、単純に人口や領土だけで決まるもんじゃないよね。軍事力、資源、指導者の能力とか、いろんな要素が絡むのに、「7:3:1」ってあまりにもキレイすぎる比率にしちゃうのは、ちょっと怪しい気配が漂ってくる。
蜀ファンの「諸葛亮上げ」が怪しいぞ
で、ここで注目したいのが蜀ファン、特に諸葛亮ファンの存在。だってさ、蜀って三国の中でも明らかに不利な状況で戦ってたわけじゃん。領土は狭いし、人口は少ないし、魏と呉に挟まれて「あれ、俺ら詰んでね?」って状況。それでも諸葛亮が知恵を絞って赤壁の戦いで呉と組んだり、五丈原で魏に挑んだりして、なんとか存在感を示してたわけ。